冤罪探偵
一十 一人
【冤罪探偵】
第1話 「首切り死体を見たらまず入れ替わりを疑え」
◇
こほん、では早速。
貴方は「首切り死体を見たらまず入れ替わりを疑え」という言葉を知っていますか?
「まあ、人並みには」? それは何より。
ですが、それでも、一応説明しときますと「入れ替わりを疑え」ってのは推理小説を読み進める上での格言とでも言えるようなものです。
言葉を変えるなら、変身中は攻撃してはいけないとか、食パン咥えて走ってる転校生にぶつかるとか、そういうお約束や様式美、それのミステリー版ですかね。
「首切り死体」自体がミステリーにそう毎度毎度頻出するわけでも無いので、これを知っていれば何か得になる、というわけでもないんですが、しかし知っておいても損はない分類の知識だとは思います。
――そうですね、いわば公式。
こういう言い方はあまり僕の好みじゃあないんですけれど「首切り死体を見たらまず入れ替わりを疑え」とは即ち推理小説の公式である――なんて換言してもいいと思います。
従って、その有用性は僕も認めるところですが、しかし僕実はこの格言あんまり好きじゃないんですよね。
だって首切り死体を見てまず疑うべきなのは、普通入れ替わりトリックより先に犯人の良識でしょうに。
ミステリーの常識なんて知らなくても一般常識さえ持ち合わせていればそれは普通の発想だと思うんですけどね。
だって、考えてみてもくださいよ。
例えば、貴方がどうしても入れ替わりトリックを使いたいとしましょう。
それが必要に駆られてなのか、知的好奇心によるものなのか、はたまた特に理由なんてないのか。
それが何故なのかはどうでもいいとしても、貴方はとある理由によってどうしても入れ替わりたい、ああ入れ替わりたい、入れ替われないくらいならもう死ぬ――とします。
そうなれば必然、貴方は頭を悩ませて誰かと入れ替わるという運びになると思いますけれど、その時、例えそれほどまでに入れ替わりトリックを堪能したい貴方だったとしても――果たして貴方は本当に死体の首を切り落とすんでしょうか?
言い方を変えれば、例えどれほどの入れ替わり願望があったとしても――例えどれだけの理由があったとしても、わざわざ首切り死体を作り出すなんて愚行に手を染める奴が居ると本気で思いますか?
実際のところ、入れ替わりトリックだなんて仰々しく言ったところでそれは手段に過ぎないんですから。
目的は首切りではなく自らの犯行がばれないように死体と入れ替わる……それだけの話なんですから。
アリバイ構築、時間差トリック、密室殺人に消えた凶器、エトセトラエトセトラ。
こんな具合に何も入れ替わりトリックだけが完全犯罪の第一歩というわけじゃありません、むしろ実行のリスクが高い方でしょうし、そう言った観点から見ても愚策もいいところです。
どうしても誰かと入れ替わって犯行を成し遂げたいならば双子の入れ替わりトリックとかも有りますしね。
双子の兄が犯行している最中に双子の弟がアリバイを作るとかそういう奴。
それは得てしてミステリーの御法度として語られることが多いですけれど――しかし首切り死体を使った入れ替わりトリックと比べれば、仮にミステリーとして失格の烙印を押されたとしても人間的には幾分か真っ当だと思いますよ。
少なくとも僕は入れ替わりトリックが使いたいからと死体の首を切り落とす奴よりはよっぽどそっちの方が人間然としていると思いますね。
だって、高々自らの無罪を演出する為だけに人間を殺した後、死体の首を切り落とすなんて悪辣卑劣な人間が居るとするならば、それはもう殺人犯じゃなく殺人鬼の所業ですから。
そんなことするのは鬼と名のつく修羅――悪鬼羅刹、天魔波旬の異類異形な輩だけです。
僕はそんなものを人間とは到底呼ばない。
普通に考えればそうなんですよ。
首を切るという行為は、成る程、人を「殺す」のに十分なのかもしれないですけれど、しかし「人間は首を切らなきゃ死なない」訳じゃないんですから。
人は普通に死ぬ――こんなことは誰でも知ってることなんです、首切りだなんてそんな異常に死ぬこと自体がよっぽど異常事態なんですよ。
首というものは土台人を殺すのに切っても切らなくてもいいんですよ、別に人間って首が繋がっていれば心臓が潰されても生きているような超生物じゃありませんし。
だから首切りは人死にと切っても切れない関係だとはやはり言えないでしょう。
それに付け加えて言うならば、人体における首という部位はそう易々と切り落とせるような代物でも無いですしね。
だって、首切り殺人ってこの世に現存するありとあらゆる殺人方法を難易度順に並べてランキングするならば、まず間違いなく難易度星五に入る神業ですよ。
それは心理的な話を抜きにして、技術だけの話です。
あなたも一人暮らししていれば肉くらいは切ったことあると思いますが、分厚いブロック肉を相手にすればどれ程までに切れ味鋭い牛刀を握っていたとしても、素人には容易に調理できないことくらいは容易に想像がつくと思います。
況してや、相手は食用の柔らかい肉ではなく筋張っていて、真ん中には太い骨も通っている。
尚且つ生前ならばまな板の鯉ならぬまな板の人体というわけにはいかないんですから、固定もされていない空中で首を断ち切るだなんてチェーンソーでも使わなければどう考えたって不可能でしょう。
そりゃ、もちろん、周囲に惨劇を起こす事も厭わず、「首切り死体」を作り出す――無理くり首と胴体を切り離すこと自体は可能だとは思います。
やりようによってはもしかすると特殊な道具を駆使し、綺麗に出来るのかもしれません。
けれど、やはり相手に死んだことすら気づかせぬ刀の一閃! なんてのはただのファンタジーですよ。
アニメや漫画みたいに本当にそれが出来るのならばカッコ良いんでしょうけれど、そんなことが出来たのは中世だとかに実在したという処刑を生業にしてる血塗られた一族だけでしょうね。
――と、僕が何を言いたいかと言えば、つまり首切り死体というものは首切り殺人によって生じるものじゃあ無いんです。
首を切ったら確かに人間は死ぬんでしょうけど、首を切って人間を殺せる奴なんて実はそんなに居ないんですから。
だから、首切り死体とは殺した後、死体の首を切って始めて出来る――そんな人間の悪意の澱から生じる物なんですよ。
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