第20章 唐突な別れ
イジメっ子達が去った後。
静まり返った図書室の中で、フェネリーはリコットに頭を下げた。
「先生、ありがとうございます」
「別に俺はただ思った事を言っただけだし」
そう礼を言うのだが、リコットの返事はそっけないものだった。
照れているとかそんな事は全然ない。
リコットはただ本当に、当たり前に思った事を言っただけの様だった。
(怖くて苦手だって思ってたけど、少しは克服できそうかも)
無神経そうな所がありがたく思える日がくるなどとは、フェネリーは思いもしていなかった。
とりあえずイジメっ子達の逆襲という脅威が去った後、改めて室内を見まわしたフェネリーは当たり前の事を尋ねる。
ここ最近、この図書室の主と化していた。小さな(自称)魔女の友達についてだ。
「そう言えば、今日はクゥ様いませんけど、どうしたんですか?」
「……」
どこかに隠れているわけではないのかと、視線をあちこちへ彷徨わせながら、フェネリーはりこっとへ何気なく尋ねるのだが、帰って来たのは逡巡するような沈黙だった。
「?」
ややあって、リコットが口を開く。
「外に出ていった」
「えっ、クゥ様が外出!?」
聞こえた言葉にフェネリーは驚きを隠せない。
いつも図書館に引きこもってばかりだったクゥが外に出るなど、一体どんな天変地異の前触れか、とそう思わずにはいられなかった。
だが、リコットは首を振ってそんなフェネリーの想像を否定する。
「もう、ここには戻ってこない。王立学校にも」
そして、そう付け足してきたのだった。
その言葉をフェネリーは……、いつもとは違って暗い色を帯びたリコットの言葉を、いつもなら思った事をハキハキ喋るはずの教師の言葉を聞き逃したなんて事はなく、しっかりと聞きとってしまっていた。
つまりリコットは、「クゥはこれからずっとこの学校には戻て来ない」と、そう言ったのだ。
「……うそ、戻ってこない。それってどういう事ですか? クゥ様お家に帰っちゃうんですか?」
いつかいなくなる存在だと理解していた物の、あまりにも唐突な出来事にフェネリーはすぐにはその内容を信じられなかった。
「アイスブルー監獄に行くんだ」
リコットに述べられた地名。
その場所はフェネリーも知っている場所だ。
悪い事をした子供によく大長言い聞かせる話に出てくるところ。
寝る前によく母親に読んでもらった話に出てくる場所で、一度入ったら一生出られないという罪を犯した人の為の収容施設。
「どうして……、監獄って悪い事した人が入る場所なんですよね。どうしてクゥ様が? 確かに偉そうだし、我が儘だし、上から目線なのがクゥ様ですけど……。クゥ様が悪い事なんて、するはずないですよ!」
他の誰が分からなくても、フェネリーだけは知っていた。
女王様の様に振舞う小さな友達が、本当は優しい性格をしていると言う事を。
たった数ヶ月の付き合いでしかないフェネリーだが、彼女にはクゥが悪い事をするような人間にはとても見えなかったのだ。
精一杯否定の言葉を紡ごうとするのだが、そんなフェネリーの疑問にリコットは答えない。
述べられたのは、別の事だった。
「まだ、この部屋を出て行ってからそう時間は経っていない。今なら追いかけても間に合うかもしれない」
その言葉を聞き終えるや否や、フェネリーは走り出した。
学校を飛び出して、町中にいる下級聖霊達に行方を尋ねつつ、フェネリーはクゥの後を追いかけていく。
何度も途中でこけたが、彼女はいちいち泣いたりしなかった。
確かに怪我もして、血も出ていたかったが、我慢できないほどではなかったからだ。
フェネリーにとってそれは、クゥとの別れに比べればなんて事のないものだった。
そうして走っていき、クゥに追いついたのは、王都を出る門の前だった。
ギリギリのすべりこみだったが、フェネリーはその場にどうにか間に合った。そう安堵しながら、小さな少女は今までに出した事が無いくらいに声を張り上げた。
「行かないで、クゥ様!」
検問でのやりとりの為に止まっていた馬車の一つに、フェネリーはそう声をかける。
それは他の馬車よりも、少々頑丈そうな馬車だった。
気のせいでも勘違いでもない。その中にクゥはいる。
それは途中で出会った光の玉に、検問で止まっている馬車達の中を探る様にと頼んだからだ。
馬車窓から小さな少女の見慣れた顔が覗いて、フェネリーを見つめる。
あどけない少女の顔だが、その表情は嫌な物でも見てしまったとでも言わんばかりのものだった。
クゥは口を開いて、幼さのある声で先程発したフェネリーのこえにも負けないような声量で、言葉を綴った。
「ごみくじゅ。何でここにごみくじゅがいるのかしら。その泣く事しか得意がないごみみたいな顔を私に見せにでもきたの?」
見た限りでは、クゥはまったくいつもと変わらない様子。いいや普段よりもいくらか尊大な態度だった。
フェリーはクゥのいる方へと近づいて行こうとするが、その行為はほかならぬ本人によって止められる。
「来ないで、落ちこぼれがうつるじゃない」
「クゥ……さま」
これまでにせっしてきたクゥとは思えない暴言に、フェネリーの思考は真っ白になる。
さまざまな罵声を日常的に浴びせられてきたフェネリーだが、そんな風にクゥに罵られた事は一度もなかったからだ。
「く……クゥ様、どうして行っちゃうんですか、クゥ様がいなくなっちゃったら、ボク……友達がいなくなっちゃうよ」
だが込み上げて来た様々な感情を、フェネリーはかろうじて飲み込んで抱いていた疑問を言葉にする。
「飽きたからよ。面白い事が何もないから、それだけだわ。ああ、みっともないからこんな町中で泣きわめかないでちょうだい。注目されて迷惑だもの」
「そんな……」
クゥは何かに気づいたように、帽子につけていた石……課外授業のお土産をこちらに向かって放り投げた。
小さな音を立てて地面に弾むそれは、課外授業にて発見されたたただ綺麗なだけの石ころだった。
アドバイスをしたクゥに礼をしたいと思ったフェネリーが、クゥに一番似合う色の石を探し出した物。
「それとも、わざわざ追いかけて来たのは、この貴重な
クゥは何故だか分からないが、嘘をついていた。ただ、課外授業で拾って来ただけの石ころの事を偽って。それはフェネリーがクゥに話した内容でもあり、本人も分かっているはずの事柄だというのに。
目の前にいる小さな友達の意図が分からずに、フェネリーはそれ以上の言葉を紡げない。
そんなフェネリーの様子を見てか、クゥは馬車の中にいる誰かに話しかけ始めたようだった。
「知り合いなんかじゃない」とか、「迷惑してる」とか「ただの貸し借りの間柄」とかそんな内容の言葉が、フェネリーの耳に伝わって来た。
やがて、話し終えたクゥが視線を戻す。
その顔は、底辺にいる落ちこぼれの存在を蔑む様なもので。フレディをはじめとしたイジメっ子達が浮かべる様な、そんな顔だった。
「しょんな物欲しそうな顔をしなくても返してあげるわよ。嫌ね、庶民ってお金の事になるとしゅぐにごうつくばりになるんだから」
「違うよ、クゥ様。ボクはただ……」
どういう事か話を聞きたかっただけ、とそうフェネリーは言いたかった。
だが、そんな言葉もクゥにすぐさま遮られてしまった。
「うるしゃいわね。
クゥは侮蔑の表情を見せて、そう一方的に言い放ち、馬車窓を閉めてしまう。
「そんな、嘘だよね。クゥ様。ボクとクゥ様は友達だよね。嘘だよ、そんなの、行かないでよ」
フェネリーは叫ぶが、それ以降馬車の窓が開く事は二度と無かった。
町の外に向かって走り出していくそれを追いかける気力は、湧いてこなかった。
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