第20話 疑惑と猜疑
「どうして、そんなふうに思うの?」
ジョサイアの顔に動揺や焦りは浮かんでおらず、湯の暖かさでかえって血色がいいくらいだ。
日頃と変わりない態度だったが、ディアンは緊張の糸を緩めなかった。
「今日、近寄って分かった。あいつのうなじに変な模様が見えて、そこらが真っ赤になっとった。薬師と呪術師の組合(ギルド)に顔出して聞いたら皮膚の異常炎症か、身を食い潰す呪いかもしれんて言われた」
村のごく一般的な装いである長めの頭巾と、首元まで包む長衣を着用していた時は背中が隠されていた。
首周りが露出している旅衣装になって、ようやく判明したのだ。
以前マーリャの手足をむしばんだ、硬い鱗が覆うような変化ではない。
鬱血めいた色になり、刺青(いれずみ)めいたものが浮き出ているが硬化している様子はなかった。
表皮自体には症状が現れていないため、本人はまだ自覚していないだろう。
「伝え聞きの憶測の方が信用できる? なんだか寂しいな」
「……時間があれば引き返して、連れて行けとったかもな。どれも確証は持てん。でもあんたは未知の病やて言うた舌の根も乾かんうち、他人には伝染せんて触れ回りおった」
マーリャ自身が口止めを願ったことは知られていなかった。
それを差し引いても、目の前のエルフはなんらかの秘密を握っている。
とめどなく湧く疑問を胸にディアンは核心を突こうと距離を詰めた。
「あんた、あれがどういうもんか知っとるんと違うか。知ってて黙っとるなら、ろくな相手やないわ」
ジョサイアは弁解するでも退くでもなく、小さく首を傾げてみせる。
「君は彼女を妹のように思ってるのかな。それとも、恋愛的に好き?」
「……茶化しても効かんぞ」
「迷わず味方に回り、守る側の反応だと思っただけだよ。いろんな人間に大事にされて、彼女はとても幸せだね」
友人というよりは、年の離れた親類か世話人めいた言い回しだった。
ディアンがマーリャをどう認識しているか問いながらも、その実あまり重要視していそうにない。
注意して声音を拾えば、ディアンへの関心の薄さが透けてみえた。
「大げさに考えなくても大丈夫。カーバンクルの身には何の問題もない。命に関わるようなことは起こらないよ」
ジョサイアは頭に乗せていた布を広げて肩に掛け、ニッと微笑む。
愛想のいい秀麗な顔は、わずかに覗いた真実をたやすく隠してしまう。
直接の回答を示さないまま背を向け、湯から上がっていく彼をディアンは引きとめなかった。
口を破る気がない者にどう訴えようと暖簾(のれん)に腕押しだ。
「……腹の底が見えんわ」
小声で独り言を漏らし、自身も湯を後にする。
聞き出すために無駄な時間を費やすより、問題が起きかけている当人を気にかけた方がいい。
マーリャと同時に入浴したセルマは友の背中をじかに見る。
その場の指摘はできないかもしれない。しかし具合を気にかけ、どうすべきか悩むくらいはするだろう。
セルマも治癒についての専門的知識を持たないが、嘘のない言動と人の良さは旧知のもので信頼がある。
この広い都なら、夜間でも診てくれる治癒者がいるかもしれない。
セルマに懸念を打ち明け、二人でマーリャの説得にあたり疾患の正体か治す方法を探るべきだ。
正体不明の焦燥感がディアンを突き動かしていた。
公衆浴場からの帰り際、セルマはディアンからヒソヒソ話を受けていた。
どうやら込み入った相談だったらしく、マーリャは宿屋に戻って早々に別部屋へ向かう後ろ姿を見送った。
二人は進む道こそ違えど、共に都市住まいを目指している。明日、成人の儀で何と宣誓するか確認し合っているのかもしれない。
マーリャは漠然と見当をつけ、重くなるまぶたに従って寝間着(ナイトウェア)に着替えた。
襟や袖に何も飾りがなく、色染めもされていないシンプルな麻布のワンピースで膝下まで隠れるほどの長さだった。
枕を頭の下に据えて横になると旅の疲れが一気に全身を包み、手足を重たげにしていく。
儀式自体は昼前に行われるが、マーリャたちは参加する側だ。
諸々の準備のためには何時間も前から教会へ入っておかなくてはならない。
日の明けきらない早朝、鶏が鳴く前に父に叩き起こされるかもしれない。外歩きの最中、セルマは憂鬱そうに言い、うなだれていた。
寝起きの悪い一人娘を村の労働に間に合わせるべく、ダーチェスは日々さまざまな手段を編み出し、実践してきたという。
隣接したベッドで眠るマーリャは、その現場を目撃する可能性が限りなく高い。
早くに実父を失った身の上、父親が起床を促す様とは一体どんなものかと興味を持っていた。
「……吾(わ)も一緒くたに飛び起きるやろね」
薄く笑って目を細めると、まぶたまでも重くなる。
睡眠欲に逆らわず閉じれば、意識が飛ぶのはすぐだった。
ーー眠りの淵に落ちる寸前、誰かの足音を聞いた気がした。
ほんの数分後、ディアンとセルマは女性部屋のドアをノックした。
ジョサイアへの不信や呪い云々までは同調しなかったものの、マーリャに再診察を受けさせる点で意見が揃ったのだ。
だが、肝心の返事が戻ってこない。
既に寝てしまったのかと思い、鍵を持つセルマがドアを開いた。
「……マーちゃん?」
明かりの消えた室内はきわめて暗い。
部屋の中は二人分の荷物があるだけで、もぬけの殻だった。
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