第17話 未知の味
ふらついたマーリャにセルマは顔を曇らせる。
「大丈夫? ジョサイアさんに薬貰ってこよか」
「ん、平気。知らんとこ来たのに休むの、勿体ないけ」
座って軽く話しただけで少しばかり楽になってきた。慣れない馬車で乗り物酔いを起こしていたに違いない。
立っていられないほどでない以上、呼びつける必要性は薄いと感じた。
歯の具合も気になるが、そこは自分で強く意識しなければ良いだけの話だ。
「きっと、お腹空いてしもとるんよ……セルマ、一緒に露天行ってくれんね」
ジョサイアの名が出たからか、彼から聞いたニワトリの燻製という食べ物が頭に浮かんだ。
積んできた携帯食は慌てて食べずとも日持ちする。見知らぬ味を確かめた方が、旅の楽しみになるだろう。
セルマにとっても魅力的な誘いだったようで、二つ返事で同行を決めてくれた。
ディアンやジョサイアにも声をかけてみようと隣の大部屋に足を運んだが、ノックをしても返事はなかった。
ドアに鍵がかかっており、一階にも居なかった点からして早々に街へ繰り出したらしい。
「二人の予定、聞いとる?」
「ううん、着いてどうするかは言うてなかったわ。さっきの様子やと、ディアンはパパについてったんかもしれんね」
組合への挨拶回りについていけば、団体の気風や治安の善し悪しをいち早く把握しておける。ダーチェスという身元保証人といた方が、一人で向かうよりも安全だ。
可能性の高い、理にかなった行動といえた。
「ジョサイアは巡礼者やけ、教会かな? でも、薬の買い足しがあったら素材屋回りに行くやろし、馬車でずっと昼寝しとったからどこぞで食べとってもおかしくない……あん人が一番、どこにおるか分からんね」
セルマの言につられる形でマーリャも神父の行き先を予想してみたが、こちらは少々示唆(しさ)しづらかった。
旅の途中に立ち寄った程度で定住していなくとも、来たばかりの自分たちよりはずっと自由に動き回れる。
かといって、出先の候補をしらみつぶしにあたろうとは思わない。
もし居たらせっかくなので誘っておこう、という軽い気持ちでいた。
「ここにおらんなら仕方ないわ。早う食べに行こか」
「探さんでええの?」
「あっちはあっちで済ませるやろし、絶対一緒に食べんといけん訳やないもん」
マーリャはしごく当たり前の返答をしたつもりだが、セルマはどこか納得していないようだった。
あえて口にしないまでも、何か言いたげな表情を浮かべているのだ。
「ディアンと食べたかってん?」
感情の機微に疎(うと)くてもセルマが彼に視線を送り、積極的に関わろうとしていることは伝わっていた。
しかし常にそればかりとは限らない。
「いや、そっちやないんよ」
ふう、と軽く息をつき、どこか達観した眼差しを向けられる。
正しい意味を尋ねても、セルマは回答してはくれなかった。
二人は街の地図を頼りに路地を抜け、露天商の立ち並ぶ通りに着いた。
四六時中開催されている小規模な蚤(のみ)の市とでも言おうか、盛況ぶりを肌で実感する。売り物は店によって全く違い、木箱に新鮮な野菜や果物を山積みにした八百屋もあれば生活用の雑貨を乱雑に並べた小間物屋もあった。
手で持ち歩けるような軽食を売る店の多さも目をみはる。
あれこれと落ち着きなく視線を移す中、巨大な塊の干し肉を紐で吊るした店を見付けた。
豚肉で作ったハムやベーコン、腸詰めなどの加工品だけでなく、こんがりと焼き目の入った小ぶりな骨付き肉まで売っている。
乾かしていない生の焼き肉からしたたる、食欲をそそる脂の様子にマーリャとセルマは思わず唾(つば)を飲む。
割高と分かっていても誘惑には勝てずお金を出し合い、骨付き肉とニワトリの胸肉の燻製(くんせい)を一つずつ購入した。
人とぶつかって取り落とさないように注意しながら脇道に逸れ、ベンチを見付けて揃って座る。出来たてを味わうため、骨付き肉を先に手に取った。
一口目を含んだ瞬間、マーリャは強い衝撃を受ける。
「美味しい! 塩だけやなくて、何か違う辛さがあって……」
いつだったか、珍しく村に出回った魚の塩漬けを食べた時にも味が濃いと感じたが、それとはまた別の深みがあった。
驚きながらも噛むのを止められず、やがて喋るよりも食べる方を優先させた。
続けて口にした白身の胸肉にも似通った風味付けがされている。
殺菌によって保存効果を高め、また肉の旨味を引き立たせる香辛料という存在をマーリャはその時、初めて体験した。
セルマもマーリャと同じ順番で食べており、いっそう派手に驚嘆の声をあげていた。
事前に大きめのフワスを完食しているとは思えない食べっぷりだ。
「豚よりも柔らかくてあっさりしとる。うち、これ好きやわ。食べられる鳥なんて、よう知っとったね」
勧めに従って購入したが、食べ慣れないために珍味めいた感覚でいたのだろう。
「ジョサイアが教えてくれてん。出る前にあん人のこと話したし、ちょっと思い出したと」
自己判断では、食べ慣れた食材にだけ手を伸ばしていただろう。
これが彼の食べたものかは分からないが、忘れずにいて良かったと感じた。
「やっぱり仲がええんやね」
優しくゆったりとしたセルマの言葉を、マーリャはあえて否定せずにいた。
しかし、彼女が思うほど親密ではないとも思った。
相手が実年齢を計りづらいエルフであるからか、いまいち距離感が掴めないままなのだ。
先ほどのような雑談を交わしたこともあるが口論になった覚えもあるし、どのような意図で言われたのか分からないままの事柄も多い。
医者にかかる患者としてのやりとりによって、目上の人物といった印象が強くなりつつあるが、彼は先生と呼ぶには子供じみた言動が目立つ。
心のどの位置に据えれば良い存在なのか、これほど迷う相手もなかった。
二人は気ままに街を散策した。村にない、きらびやかな細工の並ぶ装飾店や仕立て屋の商品を外から興味深く伺うだけでも時間は過ぎた。
小間物屋で土産となりそうな雑貨を眺めている時、夜の帳が下り始めたと気付いて小料理屋へ飛び込み、夕食をとった。
店の外見こそ良かったものの露天とは違って味が悪く、野菜のスープすら水のようで寂しい食卓になってしまった。
宿屋へ引き返す道の途中、ちょうど書類を携えたダーチェスとディアンに出くわす。室内に入ってすぐ、ジョサイアも二階の階段から降りてきた。
ダーチェスとディアンはマーリャたちの予想通り挨拶回りをしており、安くて美味しい大衆飲食店(ブラッスリー)で食事をとったと言って詳細なメニューを知らせてきた。
次は絶対にその店で食べる、と二人が決意したのは言うまでもない。
ジョサイアは明日の舞台となる教会に顔を出したと宣言したが、どこで何を口にしたかは明かさなかった。
「皆、揃ったことやし公衆浴場(ベイン)へ行くで」
「……公衆浴場って何?」
ダーチェスの言にセルマが疑問を示す。
読んで字のごとく、多人数で湯に浸かる施設であると説明を受けると顔を真っ赤にしてうろたえた。
マーリャとディアンも同じ反応を示す他なく、顔を見合わせて閉口する。
村では一人用の小さな蒸し風呂が主流で、子育て中の親子くらいしか一緒には入浴しなかった。
服を着ずに不特定多数の目に触れるなど考えられない。
「ま、行ってみたら分かるけ。蒸し風呂より気持ちええし、垢擦りのん人に磨いて貰う分、肌が良くなる」
他に身綺麗にする選択肢がないとなると、腹をくくるしかなかった。
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