第6話 変なエルフ

パイは二つあり、神父とソレルの三人分というには大きく、分けることを前提としていた。セルマは通りすがりのマーリャにざっくりと一切れ分を渡してきたが、まだまだ余りそうだった。

教会の今日の昼食と夕食がセルマのパイになる可能性は高い。

重なっていて未だ切られていないもう一つのパイがひき肉を詰めたものであれば、なんとか消費できるだろう。

マーリャは三人の健闘を祈り、自分が貰った分をその場で平らげて農作業に向かった。

実りの秋の収穫はまだまだ終わりそうにない。

作物の土を払いのけながらも、村人たちは森に現れた獣と負傷した養豚家の息子の話題でもちきりだった。

生活圏にほど近い場所で起きた事件であるゆえに、片手間の雑談というには熱のこもった意見が散見された。

最も幼く弱いソレルを三人が守りきれなかった件については言外の含みが感じられたが、未成年の過失を問いただすより獣への対策を進めようと話が切り替えられたため、居心地の悪さはさほどではなかった。

なんとか本日分の仕事を片付け、粉挽き小屋への橋を渡ったマーリャは背後から声を掛けられた。

「待って、カーバンクル」

耳なじみのない呼称を使う人物は一人しか心当たりがない。

振り返ると大方の予想通り、風変わりなエルフの姿があった。

獣を退けた時の俊敏さはどこへやら、一歩一歩が緩慢で鈍い。夕暮れ時に近付いてみて分かったが、目の下にくまが出来ていた。

ひょっとしたら一晩と半日、ずっとソレルの看病をしていたのかもしれない。

「……その、カーなんたらいうんはなんやの」

持ち場を離れてぶらついている理由を尋ねるより先に、まず気になる点を指摘したかった。

「吾(わ)はマーリャ。初めに名乗らんかったんはこっちが悪いとやけど、勝手に変なふうに呼ぶんは止めてんか」

マーリャは自分の名前が気に入っていた。

十年前に他界した亡き父が、異国に咲く矢車沢菊(マーシャリア)にちなんで名付けた大切な贈り物だからだ。

うっすらと非難を込めて高いところにある整った顔を見上げると、ジョサイアは意表をつかれたように薄紫の目を丸くした。

「そういえば、あれこれと言い忘れてたね。ごめん。不愉快にさせるつもりじゃなかったんだ」

まさかそう言われるとは思わなかった、と顔に書いてある。

「えっとね、カーバンクルは『丸い柘榴石(ガーネット)』っていう意味だよ。赤い綺麗な宝石で君の目の色と似てたから、つい呼んじゃった」

喋りながら肩掛けカバンから出してきたのは、昨日の彼が獣を食い止めるために使った戦棍だ。柄は握りやすそうな木製で、飾り気に乏しい。

暗がりでは何かと不明瞭だったが、草刈り鎌と似た片手用の寸法で先端に荒く削り出された赤い石がついている。

宝石としての加工はされておらず、明らかに磨き上げる前の原石だった。

「似てるでしょう?」

ジョサイアが握った手を傾けると、原石は光を反射して鈍い光沢を示す。

鮮烈な真紅ではなく茶系に近い濃い赤は、言われてみればマーリャの双眸と類似している気もした。

戦棍から再びジョサイアの顔に視線を移すと彼は戦棍をしまい、そこはかとなく得意げな笑みを返してくる。上手く説明が出来たと感じているようだ。

「……褒めとるんなら、ええよ」

「うん。君はとても親切で魅力的だ。あの時の恩だってある」

比喩されるなど初めてで少々気恥ずかしく思っているのに、ジョサイアは更に被せてきた。

初対面の雨の日のことを回想するような言い方を受け、マーリャは苦笑しながら首を横に振る。

「吾やのうても、あない困っとったら誰かて助けたやろ。子供相手に、そんな気にせんでええが」

「えっ? 君はまだ子供なの? 皆と背丈が同じくらいじゃないか」

村人の平均身長を示すように、マーリャの背の分ほどの高さで手を平行に揺らしてみせる。

ジョサイアからすれば村人は皆、背が低い。頭頂が見えるばかりとなれば、一様に似通った身長とみなしていてもおかしくはなかった。

「次の春にアンギナムで成人の儀を済ませたら、大人やの。それまでは何も決められん子供やき」

年頃になった子供たちは親の職種や貧富の差なく一度集められ、大聖堂で成人の認定を受ける。

そこで都市に移住するか村に居着くか、働き手として決断を下すのだ。この地に住む者にとっては、将来が決まる一大行事といえた。

「なるほど、人間は脆いからね。すくすく育ったご褒美を貰うんだね」

ジョサイアは合点がいった様子で朗らかに手を打った。

マーリャの意図するところとは認識がずれている気もするが、今ここでエルフと人間(ヒューマン)の価値観の差を正すのは難しそうだ。

会話自体は共用語を使って成り立つものの、それで相手の本質まで図れるわけではない。

「そういや……あんた、どっから来たん? アンギナムじゃなかとね」

ふと浮かんだ疑問を投げかけるとジョサイアは少しだけ神妙な面持ちになり、頬に垂れた髪の一房をすくって耳に掛けてみせる。

「生まれは遠いところだよ。ここよりもっともっと樹が多くてね、果物ばっかり食べてた。そればかりだと飽きがきていけないね。アンギナムはここへ来る途中に寄ったけど、なかなか栄えてたよ。露天にあったニワトリの燻製が美味しかったな」

故郷と地方都市に思いを馳せつつも、食事の記憶が鮮明に残っているらしかった。口調は誠実ながら、心なしか口元にしまりがなくなってきている。

出身地をぼかしたのは何かしら意図があるのか、単なる天性によるものか分かりづらい。

「ほうか。食べるん楽しみなってきたわ」

マーリャは私事の詮索を避けて微笑んだ。

村では雑穀を平らげ育てやすい豚か、野を駆けるウサギ以外の肉をほとんど口にする機会がない。ニワトリを飼う習慣が根付いていないのだ。

未踏の森の話より、近々食べられるかもしれない味覚の方が今は興味を惹いた。

「アンギナムがどういうところか教わったかい?」

「そりゃ、ある程度は。せやけど旅なんか、自分で行かんと実感も沸かんやろ」

「確かに。吟遊詩人でもないと、上手く伝えられないね。僕なんか食べ物の件以外だと建物が大きかったとか人間が沢山いたとか、そういう当たり前のことしか言えないや」

文才なんてものもないから、と更にへりくだりながらも表情は決して暗いものではない。

「とにかく晴れ舞台、楽しみだね!」

落ち着きなく足踏みする子供っぽい仕草といい、日だまりでまどろむ猫のように細くした目といい、純粋に眼前の少女の前途を祝う気持ちであふれていた。

ジョサイアと別れた後、歩き慣れた道を進みながらマーリャは一人で長い息をつく。

「エルフいうたら貴族みたいに思うとったけど……違うんやの」

詳しい実態が明らかにならないまま、一風変わった外見と寿命の長さと高慢な態度が噂として届いていた。

あくせく動き回らざるをえない人間たちを滑稽だと笑っているとも聞いた。

しかしーー実際に関わってみるとまるで違った。多少認識の差はあれど、十分わかり合える範囲にいると感じた。

似通った生き物が同じ場に在り続けるうえで多少の衝突は起こりうる。他種族への理解者よりも、問題を起こした者の方がどうしても目を引く。

人々の噂になって物語に書き記されるのは大抵そちらだろう。

たった一人で今すぐ何かが出来る訳ではないが、せめて偏見を持たずに接する側でいようと思った。

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