壁と軋轢 ①
昨晩のサギリの言葉の意味がようやく分かった。
朝からずっと注目を浴びっぱなしだ。
しかも皆、遠巻きに自分を見て小声で話しているくせに、近づけば雲を散らすように逃げてしまう。
それが称賛の意味ではないことに気づいたのは剣の稽古の時だった。
「あ、エリン!」
いつものように声を掛けたのに、彼女はさっと身を引いた。
「あたし、あっち行かなきゃ」
言葉を濁してそそくさと去る彼女にスラウは伸ばしかけた手を下ろした。
競技場でもいつも以上に視線を感じる。
じっとしていると居心地が悪いのでストレッチを始めた時だった。
「てか、調子乗りすぎだろ?」
「王族のドラゴンに手を出すとか、どんな神経だよ?」
声が聞こえたので顔を上げると訓練生がこれ見よがしに大きな声で話していた。
そんなつもりはないんです、そう言おうと彼らを見ると、2人はクルリと背を向けて去ってしまった。
素振りでもやれば周りの様子も気にならなくなるだろう。
そう思っていつも使っている木の棒を取りに武器庫へ入った。
足を踏み入れた途端、談話していた人たちが一気に静まり返った。
何なの、今日は?!
木の棒を荒々しく掴んだ時、誰かの手とぶつかった。
エリンだった。
「あ、エリン!」
慌てて踵を返す彼女を呼び止めた。
「ちょっと待ってよ!」
立ち止まりはしたものの、彼女は振り返ってはくれなかった。
「何で避けるの? 私、調子に乗ってなんかいないでしょ? ドラゴンとパートナーになったのだって……」
「ごめん、スラウ。今はそういうの……良いから」
冷たい声が突き刺さる。
立ち尽くすスラウを置いて彼女はそのまま走り去ってしまった。
1人取り残されたスラウはしばらく茫然と突っ立っていたが、ふらふらと足を踏み出した。
武器庫を出る時、誰かが呟いた。
「やっぱり下等身分かとうみぶんって傲慢ごうまん……」
「は?」
振り返ったが、皆下を向いていたので誰が言ったのか分からなかった。
下等身分かとうみぶん?
傲慢ごうまん?
やるせなさがふつふつと湧き上がってきた。
***
「お前ら、スラウ見なかったか?」
サギリの言葉に訓練生たちは黙ったままだった。
「エリン、スラウとの稽古はどうした?」
「……いなくて」
「ふーん」
サギリは顎に手をやった。
「じゃ、ロウ。今日だけ相手してやれ」
傍に立っていた青年に声をかける。
雰囲気がいつもと違うことくらい分かる。
やはりそうなるか……
サギリは小さく唇を噛んだ。
スラウはこの重圧に耐えられるのだろうか。
王族のドラゴンという多くの人にとって手の届かない存在のパートナーという地位に新入生が選ばれたとすれば訝しがる者は当然、妬む者もいるだろう。
ましてやスラウが地上界から来たとあれば尚更のことだ。
そんなことを思いながら競技場の端に目をやる。
自主練しているいつもの姿は見えなかった。
***
スラウは噴き出した汗を拭った。
鉄の柵を押し開けて進む度に気温が高まり、地面も赤茶けてきた。
最後の柵を押し開けると昨日一悶着あった大きな岩場へ辿り着いた。
だが、ドラゴンはそこには居なかった。
辺りをきょろきょろと見回していると頭上で大きな羽音が聞こえた。
見上げるとドラゴンが巨大な翼を広げていた。
翼は熱風を巻き起こし、大きな巨体が岩場に降り立つと砂埃が舞い上がった。
もう腰は抜かさないが、まだ威圧感に気圧されてしまう。
スラウは数歩後退ってドラゴンを見上げた。
『こんなに早く会いに来るとはな』
「会いたくて来たんじゃない! あなたのパートナー、取り消してもらいたくて来たの!」
声を張り上げるスラウにドラゴンは首を傾げた。
「私、あなたのパートナーになるつもりはなかった。だけど、私がここに居たせいで……だから、昨日のは誤解だって皆に分かってもらえたら……」
『再び仲間に入れてもらえるとでも?』
ドラゴンがスラウの言葉を継いだ。
『どうして分かるのか、とでも言いたげだな』
「当たり前でしょ! だって、ここまで来るのに何時間も歩いたんだよ?」
『残念ながらお前の思っていることは叶わない』
「私が他のドラゴンのパートナーになれば良いってことでしょ?」
ドラゴンは鼻で笑った。
『覚えていないのか。私はお前を選んだ。だが……お前も私を選んだのだ。この決定は覆らない』
「ちょ、ちょっと待ってよ! 「私があなたを選んだ」ってどういうこと?!」
ドラゴンはそれ以上何も言わなかった。
猫のような細い黄金色の瞳でスラウを一瞥すると翼を大きく広げて天高く舞い上がっていった。
***
日の傾きかけた競技場にはもう誰もいなかった。
それが少し寂しくもあったし、安心した。
スラウは武器庫の扉を恐る恐る開けて中を覗いた。
誰もいない。
安堵の息を吐く。
何も悪いことをしていないのに、こそこそするのは好きじゃないが……
今は距離を置いた方が双方の為だ。
自主練用の木の棒を掴む。
練習を抜け出した分、自主練で補わなくては……
いつもの場所に行き、ローブを脱ぎ捨てた。
棒を握る力が強くなる。
――『調子乗りすぎだろ?』
ふと声が蘇る。ダメだ、考えちゃ……
――『ごめん、スラウ。今はそういうの……良いから』
集中しなきゃ。
――『残念ながらお前の思っていることは叶わない』
「あーあ、動きが滅茶苦茶じゃねぇか」
思わず強張った肩にローブが掛けられた。
「サギリ……」
掠れた声が乾いた唇から漏れた。
「これじゃ、ダメだな。今日はもうやめだ」
「……」
俯くスラウの肩をサギリが軽く叩いた。
「……フォセたちがな、お前が帰ってこないって騒いでたんだ」
「ふぇ?」
「ふぇ、じゃねーよ」
小さく笑ったサギリはふと真顔になった。
「……何があった? 何か言われたんだろ?」
「何でも……ない」
「……」
小さな溜め息が聞こえた気がした。
その時、遠くから声が聞こえてきた。
「あ、いたー!」
フォセとチニの姿がみるみるうちに大きくなる。
「もうっ! 心配したんだから!」
「訓練が始まってから、僕ら全然顔合わせてないから、たまには一緒にご飯食べようと思って」
サギリはスラウの持っていた木の棒を取り上げると手を振った。
「たまには先生が片付けておいてやるよ。さ、帰った、帰った!」
半ば追い出されるようにして競技場を後にしたスラウはフォセとチニと宿舎に向かった。
2人とも何も言わない。
2人はどう思っているのだろう?
皆と同じように思っているのだろうか?
エリンの顔が、心無い言葉が、脳裏をよぎった。
もう傷つくのは嫌だった。
「ね、2人ともさ」
「ん?」
「昨日の話、聞いた? 私が王族のドラゴンを……」
「うん! パートナーになったんでしょ? 凄いじゃん!」
「いや、そうじゃなくて……」
また沈黙。
「あの、私のこと傲慢ごうまんだと思う?」
「えぇ? 何それぇ?」
フォセが大きな声で笑った。
笑い飛ばされたことに驚いた。
でも、それが嬉しかった。
「むしろ、ドラゴンは良いパートナーを見つけたと思うよ」
「そう、だよね……」
「……何か言われたの?」
心配そうに顔を覗き込んでくるチニに言うべきか悩んだ。
「ひとつ気になることがあって……『下等身分かとうみぶん』って何?」
その言葉を聞いた途端、フォセが歩みを止めた。
思わず振り返って驚いた。
彼女の目に怒りが見て取れる。
「誰に言われたの?」
「分からない」
「「下等身分かとうみぶん」って言うのはね、僕みたいに生まれが地上界で、後でこっちに来た人を指すんだ。生まれも育ちも天上界の人たちと区別する差別用語だよ」
チニが小さな声で呟き、フォセが不快そうに鼻を鳴らした。
「地上界で生まれた者は人間の血が濃いのに対し、生まれも育ちもこっちの世界の者の方が天使の血を濃く受けついでいるから優秀だとする偏見だよ。実際は大して両者の間に差はないのに」
「ちょっと待って!? 人間界出身の人って、ほとんど特殊能力の人たちじゃ……」
「そう。だから……専ら特殊能力の天上人を差別する時に言われるんだよね。僕は小さい頃からいじめっ子によく言われていたんだけど……そっか……スラウもそうだもんね」
「勿論、全員がそういう考えだとは言わないよ。でも……そういう考えがなかなか無くならないのも事実なんだよね」
フォセは相変わらず前を睨んだままだった。
スラウは思わず唇を噛んだ。
自分が色々と言われることより、人間に対する偏見を持っている天上人がいるということが許せなかった。
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