二.出会い②

スラウは今しがた聞こえた言葉に拳を握り締めた。


「……今、何て言った?!」


背後に立つ仮面の男は笑いながら答えた。


「クククッ……ロナルド・セルターを殺したのはこの俺だと言ったのさ」


スラウの噛み締めた唇が小刻みに震えた。


「……れ」


「あの男は最期まで頑固な奴だった。お前の居場所を吐こうとしなかった……だからあんなに苦しみながら死ぬ羽目になった……」


「黙れぇっ!」


男は自分に突きつけられた剣を見下ろし、いささか小馬鹿にしたように肩をすくめてみせた。


「……正気か?」


男はひらひらと手を振ると自分の後ろで剣を次々に抜いていく部下を制した。


「任せろ。何、すぐ片づける。それよりも奴らだ。奴らを殺せ」


覆面の者たちたちは茂みの向こうへ音もなく姿を消した。

それを見送った男はスラウに向き直ると剣を引き抜いた。


 スラウは震える唇を強く噛んだ。

男が剣を構えて走ってくるのが見えた。

スラウは自分の剣を再び強く握り直すと、狂った獣のような声を上げて真っ向からぶつかっていった。

2人の剣が高い音を立てて交わった。

2人は再び離れ、間合いを図った。

男が再び剣を振りかざして飛びかかってきた。

スラウは自分の全神経を相手の剣の動きに集中させた。

剣は再び激しい火花を散らしてぶつかり合った。


「うまいじゃないか……あの男にでも習ったか? ん?」


嘲笑うような男の口調にスラウは目を剥いた。


「黙れぇぇっ!」


スラウも負けじと攻撃を仕掛けようとしたとしたが、男の腕の方が彼女よりも断然上だった。

だが、冷静さを失っていた彼女にはここから逃げるという選択肢はなかった。


 ガン――

鈍い音と共にスラウの剣が飛ばされた。


「くっ……!」


スラウは剣を握っていた右の手首に触れた。

血が滲んでいる。

男は剣を失ったスラウに容赦なく襲いかかってきた。

必死に地面を転がり、躱しながらも常に目の端で剣のある場所を捉え、隙さえあれば自分の剣を取りに行くつもりだった。


 不意に男が剣を構え直して大きく振った。

嫌な予感がして咄嗟に飛び退いた瞬間、目下に広がる光景にスラウは凍りついた。

さっきまで自分が立っていた場所が炎に包まれていたのだ。


「お前の弱点は心得ているぞ」


男はすぐさま宙に浮いているスラウに向かって剣を突き出した。

スラウは慌てて横に跳びのいたが、勢い余って木の根に頭から突っ込んでしまった。

痛みを堪えながら目を開くと、すぐ目の前に自分の剣が転がっているのが見えた。


「……っ!」


咄嗟に剣に手を伸ばした瞬間、その手を踏みつけられた。


「うあぁっ!」


 男は声を上げるスラウを無造作に脚で仰向けにひっくり返した。

そして、その上に馬乗りになると剣を喉元に突きつけ、頭を押さえつけた。

喉に鋭い痛みが走り、スラウは顔を歪めた。


「喜べ……父親と同じ剣で死ねるのだ……」


「……っ!」


男が剣を掲げるのが見えた。

そして……

スラウは思わず目を瞑った。


 しかし、何も起きなかった。

恐る恐る目を開けると、男はスラウのペンダントに気を取られていた。

仰向けに転がされた時にローブがめくれて、それが露になっていたのだろう。

石は夕陽を跳ね返して美しい橙色の輝きを放っていた。

男はまだ石を食い入るように見つめていた。

頭を押さえつける手が緩み、スラウはその隙を見逃さなかった。

男に脚をかけて逆に地面に引き倒し、自分の剣を掴んで男の胸に突きつけた。


「ハァッ……ハァッ……」


肩で荒い息を押さえ、自分を見上げる表情の読めない気味の悪い仮面を睨みつける。


「おじさんの仇、取ってやる!」


――『どんな悪人でも良心を持っているはずだ』


育ての父ロナルドの口癖がふと思い出された。

こんな奴に良心なんてあるわけない。

スラウは頭を振って剣を一層深く突きつけた。

剣先がマントに食い込んだ。


――『どんなことをされても我を失うな! 我を忘れてやってしまったことは取り返しがつかないんだぞ!』


そう叫ぶ声が聞こえた気がした。

スラウは歯をくいしばった。

男の胸に食い込んだ剣先が震える。

スラウは唇を強く噛んだ。

では、一体どうすれば良いと言うのだ?


「私はお前が憎い! でも、お前を殺せない……」


 突然、スラウのペンダントが金色の光を帯びた。

感情のせめぎ合いに同調するかのように光は強くなったり弱くなったりしていたが、遂に耐えきれなくなったかのように光が迸り出た。


「う、うああぁぁぁ!」


スラウは身体を仰け反らせた。

一気に力が抜けていくのが分かるのに、自分では制御ができなかった。

石から噴き出した光は洪水のようにスラウの腕と剣を伝い、男の胸を貫いた。


「グアァァァッ!」


男は大きく痙攣すると、がくりと首を反らしたまま動かなくなった。


 どうしよう?!

スラウは途切れかけた意識の中で必死に考えを巡らせた。

どうにかして止めなくては……

力がどんどん抜けていく。

次第に腕や膝まで震え始めた。

止まれ……!

止まれ、止まれ!


 ようやくスラウの想いが通じたかのように光の流れが緩やかになり、止まった。


「ハァッハァッ……」


世界がぐるぐる回っている。

驚くほど早く脈打つ胸に手を当てる。

もう立っていられなくてふらふらと膝を地面についた。


『スラウ! 大丈夫か?』


ラナンが慌てて戻ってきた。

スラウは力なく頷くと剣にすがるようにして立ち上がった。

目眩を覚えてよろめく。

脚が泥沼にはまったように動かせない。

スラウは重い瞼を瞬いた。

視界が霞んでしまっている。

ラナンは首を傾げた。


『何があったんだ?』


スラウは分からないと首を振った。


「でも、凄く……疲れた……」


ラナンはスラウの傍に横たわる男を見て眉をひそめたが、興味を失ったように背を向けた。


『約束の山頂まであと少しだ。行こう』


スラウは頷くとラナンに続いてよろよろと足を踏み出した。


 何度もぬかるみに足を滑らせながらも、どうにかラナンの後について行った。

山頂が見えてきた時、後ろの方から獣の遠吠えが聞こえた。


「何?」


振り返ると巨大な黒い獣がこっちに向かってくるのが見えた。

目は紅く、黄ばんだ犬歯を剥き出している。


「狼?」


だが、その獣は普通の狼よりも数倍大きく、尾が地面を引きずる程に長かった。


『急げ!』


ラナンの声にスラウは重い身体を引きずるようにして前を向いた。


『早く!』


頭では分かっているのに、身体が自分の思うように動かない。


「うわっ!」


山道に突き出た木の根に足を取られ、派手にひっくり返った。

立ち上がろうとした時、上からべたついた液体が頬に垂れてきたのでスラウは思わず顔を上げた。

いつの間にか目の前の樹がなぎ倒されていて、その上にさっきの獣がいた。


「ヒッ……!」


あとずさった瞬間、聞こえた低い唸り声に振り向くと背後の道からも獣がじりじりと間合いを詰めてきていた。

ガサガサと音を立てて両脇の茂みからも獣が現れ、逃げる道はもうどこにもなかった。


『スラウ!』


ラナンが駆け戻る間にも、木の上の獣は低く唸りながらスラウに飛びかかった。


 思わず目を瞑った瞬間、ドサっと重い音が聞こえた。

恐る恐る目を開けると、足元にさっきの獣が転がっており、その首には細い銀色の矢が刺さっていた。

ヒュンと耳元を掠める音と共に矢が次々と獣に向かって飛んで行った。

獣たちが吼えた瞬間、3人の青年が茂みから飛び出してきた。

あっという間に獣を倒してしまった3人はスラウの目の前に1列に並ぶと静かに跪いた。


『契約主スラウ様。あなたを迎えに参りました』


くしゃくしゃとした赤い髪の青年が言った。


「え、何……?」


彼は胸元から紙を取り出した。


『契約内容の確認をお願いします』


「契……約……?」


『ここに書かれていることが君の望むことか、確認してくれるだけで良いですよ』


彼は安心させるように白い歯を見せて笑った。

スラウはぼんやりとした視界で懸命に紙を見つめた。

よく読めないが……恐らく……


「はい、大丈夫です」


スラウが頷いた途端、胸から蒼白い光が飛び出してスラウと彼らを結んだ。


『契約成立。スラウ様。契約期間中、我々は貴殿をお守り致します』


3人の声が重なった。


「あ、え? えっと?」


首を傾げた時、後ろで獣の咆哮が聞こえた。

振り返るとさっきの狼が群れをなして来ていた。


『俺らが引きつけるから早く山頂へ!』


彼らはそれだけ言うとスラウの上を軽々と飛び越えて行ってしまった。


「何……なの?」


『落ち着いたらちゃんと話すよ』


気が付くとラナンが肩に乗っていた。


『俺たちは先に山頂で待っていよう』


スラウは疲れた顔で微笑むと頷いた。


「うん」


だが、1歩踏み出した瞬間、脚に何かべっとりとしたものが巻きついた。

見下ろすと黒い縄みたいなものが見えた。

スラウは思わず悲鳴を上げて脚を振り回し、ほどこうとした。

その拍子に強い力で引っ張られ、スラウは勢いよく地面に倒れ込んだ。


『うわっ!』


ラナンが宙に放り出され、スラウは茂みの中に引きずり込まれた。

どうにか顔を上げて後ろを見ると、自分の脚に巻き付いていたのはあの獣の尾だった。

腰に手を伸ばし、引き抜いた短剣を地面に突き立てたが、短剣は空しく地面を掠って転がってしまった。

スラウを引きずる獣が吠えると、もう2匹が現れた。

獣たちは黄ばんだ犬歯を剥き出し、低く唸っていた。

喰われる!

よだれを垂らす獣から逃れようとスラウの細い指が地面を掻いた瞬間、茂みから声が飛んできた。


『待てぇっ!』


さっきの青年たちだった。

それぞれ剣と槍を構えた2人が待ち構えている2匹に向かって走っていった。

弓矢を持った青年はスラウの前に膝をつくと矢をつがえた。

くせのある暗い金髪の隙間から覗く淡い緑色の瞳が獣を射抜いた。

次の瞬間、放たれた矢がスラウを引きずっている尾に突き刺さった。

尾のちぎれた獣は甲高く吠えて飛び上がると、雄叫びを上げて引き返してきた。

次いで放たれた矢は見事獣の眉間に命中し、獣はもんどりうって倒れた。

弓を担ぎ直した青年は地面に倒れたままのスラウを抱き起した。


『大丈夫か?』


その声が遠のいていく。

スラウは口を力なく動かすとそのまま目を閉じた。


『ライ! 全滅だ! 俺が最後のを仕留めたんだ!』


『……俺だ』


『いいや! 俺が倒したんだ……何だよ?』


『お前の目は節穴か』


『何おぅっ?!』


言い争いながら歩いてきた彼らはスラウを見て口を噤んだ。

そのうちの1人が赤っぽい髪をくしゃくしゃと掻いた。


『ライ、どうしたんだ? 大丈夫か、その子?』


ライと呼ばれた青年はスラウの顔を覗き込んだ。


『気を失っているだけだ。それに、彼女はついこの間まで人間だったんだ。身体がまだ追いついていなくても無理はないだろう』


『それもそうか……ハイド。お前はここに残って情報を集めてきてくれ。この山に闇狼あんろうが出るなんて話、聞いてねえからな』


赤髪の青年はさっきまで口論していた青年に言った。

ハイドと呼ばれた青年は長い黒髪を掻き上げた。

切れ長の深い青色の瞳がスラウを見下ろしたが、結局彼は何も言わずに紺色のローブを翻して去っていった。


『さてと』


赤髪の青年は呟くと右耳に触れた。

耳に掛かっていた銀色の装置から光が出て、彼の顔の前に赤い文字が宙に浮かび上がった。

青年はそれを見ながら指を滑らし、一際大きく光る文字を軽く叩いた。

ブッ――

鈍い音と共に文字が揺らいだ。

彼は画面に向かって口を開いた。


『こちら火の天上人グロリオ。契約主を確認。これより天上界へ戻ります』

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