ペンと、紙と、
武蔵-弁慶
第1話
どうしようもなく、寂しくなったから、僕は大きな旅行鞄を買った。
目を覚ますと、汽車はすでに上空軌道に乗っていた。ボロボロの腕時計で時間を確認すると、あと少しで午後二時になるというところだった。
僕は慌てて窓に下ろしている分厚い日よけを上げた。
「うわぁ……!」
僕は感心して声を上げた。
日よけを上げた先にあったのは、ギンバネカザミの大群だった。ギンバネカザミは、渡り鳥の一種で外見は鷺によく似ている。ただ、一つ違うところはその羽の一部が銀化しているところだ。
ギンバネカザミの大群はこの時期、餌を求めて南へと飛ぶ。この十州鉄道条街線は、その旅路と重なるため、運が良ければ同じ高さを飛ぶギンバネカザミを見ることができるのだ。
昼の光を浴び、銀色に輝く翼をはためかせる鳥の姿はまさに雄大。この歪んでしまった環境下で生き残るために、体の一部を銀化させた動物たちの生に対する貪欲な姿勢は、あまりにも尊くて、美しかった。僕は鳥たちの羽ばたきを、その一分一秒の命の羽ばたきを見逃すまいと彼らを見つめた。
資源不足、食糧難、天変地異にエトセトラエトセトラ。それらにより引き起こされた第n次世界大戦により、地球の人口は全盛期の四分の一にまで減った。更に、進歩した兵器による環境汚染は、人間のみならず生き物の生活をガラリと変えた。
先ほどあげたギンバネカザミのように、環境に合わせて進化したものの数は少なく、環境に適応できずに絶滅した種が多くいる。生態系なんてものはあってないようなものになった。
そんな中、人間は強かにも、発達した科学と化学の力で環境に適応した。だが、今更手を取り合っても、激減した人口は留まることを知らない。この環境が一変した世界で、少しずつであるが人間も減少の一途を辿っている。絶滅した種の仲間入りを果たす日も近いというのが僕の見解だ。
そんな死への旅路を続ける世界で、僕は旅人という身分に身をやつしている。荷物は着ているものと、大きな旅行鞄、そして彼女のくれたペンとノートだ。電子機器の類を持ち歩かないのは、僕のプライドに関わるからだった。
プーという音がして、汽車の扉が開いた。駅のホームに降り立ち、伸びをする。筋が伸びる感覚がして、長いこと汽車に乗っていたことを教えてくる。ギンバネカザミの大群に夢中になって気がつかなかったが、相当疲れがたまっているらしかった。
ゾロゾロとホームに人が降り立つ。
こういう光景を見ると、本当に人間の数が減っているのか疑問に思ってしまう。
「さて、泊まる所を探さなきゃな……」
僕はそう言って、大きな旅行鞄を抱えて改札を抜けた。
「おぉ……!」
改札を抜けた先には、十州随一の人口を誇る阿週のの大都会が広がっていた。背の高いビルに、整備された道路。青々とした木々と色とりどりの花が咲き、街の時を刻む巨大時計台がどっしりと構えていた。
「流石、阿州……。大都会だ……」
この環境が激変した世界で、激変する前の世界と同じような風景が見れるとは、ただただ感動だ。
僕は感激して、時計台を見上げた。時計台には豪奢な飾りが施されており、人間の技能の精密さが伺える。
少しの間、呆然としていた僕だったが、こうしてはいられないと思い返した。僕には泊まるところがないのだ。まずは、泊めてくれる人を探さなければ。
「そのためには……」
人が一番集まるところ。昔も今も変わらない、生に最も深い関わりを持つところ。
「市場にレッツゴー!」
僕は一人、拳を突き上げて意気揚々と一歩踏み出した。
「すごい!」
市場は思った通り、人の活気に満ち溢れていた。「安いよ安いよ〜!!」
「さぁさぁ、ご覧ください! とれたて新鮮だよ!」
「この艶は他じゃご覧なれない! おっ、お目が高いね! 奥さん!」
「こちらの商品、合計で……」
色とりどりの露天に、所狭しと並ぶ商品。あちらこちらに色彩が散らばるその様は、油絵のパレットによく似ている。それと同じくらいに人々の声が飛び交い、音楽のように響き合っている。
「ふふふ。ここなら、きっといい人に会えるよね!」
僕は早速、ごった返す人波に飛び込んだ。
「あの! すいません!」
「あっ、奥様! 何でしょうか?」
声をかけても、無視された。
「あの!」
「そちらの商品ですね!」
またも無視。
「すみません!」
「えーと、こちら合計で……」
さらに無視。
三十分後、市場の近くのベンチでうなだれる僕の姿があった。
「……ううう。轟沈だ」
身なりからして旅人の僕を相手にする商人や、相手にするお客さんなんていないわけで。
「宿、どうしよう……」
僕は旅行鞄を抱えて、ため息をついた。
空を見上げると、空はオレンジに染まり始めていた。夜に近づいている。夜になれば、零下五度にまで下がる。野宿をしてもいいけど、できそうな場所はどこにもない。
『野営禁止』の立て札がここまで憎いのは久しぶりだ。
そんな風に僕が落ち込んでいると、声がかけられた。
「あの……」
「え?」
顔を上げると、クリクリとした茶色の髪に、同色の大きな目をした女の子がいた。
「旅人さん、だよね?」
「あ……。うん、僕は旅人をしてるよ。何の用かな?」
僕がそう答えると、彼女は丸で雲の切れ間から太陽がのぞいたような眩しい笑顔になった。
「本物の旅人さん!?」
「え、う、うん。本物の旅人っていうのが何なのかはわからないけど、僕は旅人だよ?」
彼女は僕の答えを聞き、嬉しそうにその場で飛び跳ねた。何がそんなに嬉しいんだろう? そう思っている僕に彼女は爆弾を投げかけた。
「やったぁ!! 旅人さん! もしよかったら、私の家に来ない!?」
「え? ……えぇぇ!? いいの!?」
驚いて、彼女の肩をガシッと握ってしまった。
本当にいいの? 本気にするよ? 宿なしの旅人ほど調子に乗りやすいやつはいないよ!?
「いいよ! おじぃちゃんに話してくる!」
彼女はそう言って、市場の中に消えていった。少しすると、彼女は白髪だが、がっしりとした体つきの男性を連れてきた。
「おじぃちゃん! ほら、旅人さん! ねぇ、うちに泊めてもいいよね?」
「お、お願いします!」
僕は立ち上がり、彼に頭を下げた。この機会を逃したら本当に宿無しだ! 僕は本気でお願いした。
「……あんた、今までどこを巡った」
僕は頭を下げたまま、答えた。
「和州と名州と刃州、です」
「ふぅん……」
なんとも言えない反応に、僕の全身に緊張が走る。泊めてもらえない?
「いいだろう!」
ポンと僕の頭に温かいものが乗った。バッと顔を上げると、ニヤリと笑ったおじいさん顔があった。
「泊めやるよ!!」
おじいさんはヤマト、女の子はヤワラと名乗った。
「市場に野菜を卸している。まぁ、いっちまえばただの農家だ」
彼はそういいながら、車で高速で走らせた。何しろ、かなり辺鄙な場所らしく、急がなければ日が暮れてしまうらしかった。
「僕は旅人です。名前は……」
「いいよ。旅人は、後腐れないように名を残さない、だろ?」
そう言っておじいさん、ヤマトさんはウィンクをした。ヤワラちゃんもそこは分かっているらしく、可愛らしくウィンクをした。
市場から二時間、車を高速で走らせてそこについた。
「何にもないけど、何でもある、がうちのうり!」
そう言って車から飛び降りたヤワラちゃんの言う通り、そこは何にもないけど、何でもあった。
「……すっごい」
ただっ広い畑に、流れる清流。遠くの山は夕日を受け赤く染まり、鳥の飛ぶ様が見える。
何もない。だけど、何でもある。それがよく分かった。
「俺は車を停めてくる。ヤワラ、家に連れてけ」
「はーい!」
元気よく返事をするヤワラちゃんが返事をし、僕を家まで案内してくれた。
「ここだよ」
「デッカ!!」
そこは広い和風の家屋だった。
「お父さんとお母さんは、町に出稼ぎに行ってていないの」
ヤワラちゃんはさっさと家に入ると、電灯をつけた。電線もないのにどうやって、と尋ねると「自家発電!」と言い、水車を指した。その水車の発電量で家の電気は十分に賄えるらしかった。
一室、部屋を貸してもらい、僕は旅行鞄を置いた。
少しするとヤマトさんが帰ってきて、夕食になった。家で取れた野菜と、山で狩った動物の肉は空きっ腹によく染みた。話を聞くとこの野菜と肉を市場に卸しているとのことだった。
お風呂もいただき、人心地ついたところで、ウズウズしたヤワラちゃんにねだられた。
「ねぇ、旅人さん! 教えて! 他の街のこと!」
僕はそんな彼女が可愛くて。
「いいよ」
様々な話をした。見聞きしたもの、食べたもの。その土地の風習に人々の言葉。とても楽しそうに聞くから、僕はついつい話しすぎてしまった。気がつくと、ヤワラちゃんはまぶたを擦っていた。
「寝かしつけてくる」
ヤマトさんがそう言い、ヤワラちゃんを寝かしつけに行った。
「ありがとうございます」
喋りすぎちゃいました、と言い僕はヤマトさんからコーヒーを受け取った。シンとした夜の空気が、電球により温められる。
「んで、あんた、何で旅人なんてしてんだ?」
「それは……」
「誤魔化さなくってもいい。別人格さん」
「……バレましたか」
「まぁな」
へへへ、と笑い、僕はポケットの中にあるものを取り出した。
「……写真?」
「本人格です」
色あせた写真には、美しく笑う彼女の姿。
「彼女に見せたくって」
「……それで、か?」
「彼女、記者になりたかったんです。だから」
僕が、書き残しておこうと思って。
彼女の分まで、全部、全部。
旅行鞄の中には、今まで僕が書いた原稿が詰まっている。全部、彼女に見せるため。全部、彼女に遺すため。
「紙と、ペンと、僕の心」
彼女に世界を見せるため、彼女に世界を遺すため。
僕は、旅人になった。
ペンと、紙と、 武蔵-弁慶 @musashibo-benkei
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