紙とペンとこの世でいまだ名付けられないもの

DDT

第1話

たまたまハマったのは、ある定点カメラだった。

ビルの屋上のような閑散とした風景に、ベニヤでできた手作りの立て看板らしきものが映っている。

ズームしてみたら、貼られた紙の上に画と文字が視認できた。

それは素人が描いたような、あるいはプロが走り書きしたような、荒い画と吹き出しの文字。

マンガの一コマなのだった。

定点カメラの映像は変わらない。しかしいつの間にか、ほぼ毎日貼られた紙の画は変わっている。

そして、それは連続している。物語を紡いでいるのだ。


たわいのない話だった。

子ヤギとワニが二足歩行で会話しながら暮らしている世界。

ピクニックで出会い、相手が気になりはじめ、偶然の出会いがあって、ケンカして、引っついたり離れたり。


オレは4年前に少年誌でデビューした中堅のマンガ家だ。

初めての応募作が賞を取り、そのまま連載できたのはとんでもなくラッキーだった。そこで運を使い果たしたのかもしれない。

てごたえがあったのは初めの数回だけで、だんだんと人気が落ちていき、オレは詰んだ。休載になったのは昨年末。

それからは一晩中、続きの展開を考えては破り捨てる日々だ。

息抜きにネットをさまよっていて出会ったのが、定点カメラのマンガだった。オレしか読んでないのではないか、と思うとなぜかほっとした気持ちになり、荒いけれども味のある画が、サビきった心を少しだけ温めた。


ところが、今週あたりから雲行きが怪しくなってきた。

ワニの子ヤギへのほのかな恋愛感情に、食欲が優ってきたように思う。あきらかに子ヤギを食べようとしている。

子ヤギはその変化に少しも気づいていないようだ。

可愛く拗ねてみせたりして、いまだワニを翻弄して楽しんでいる。

オレは仕事を忘れて、定点カメラを見続けた。

早く次のコマを。


その時、初めてカメラの中に黒い人影が写り込み、看板に近づくのがわかった。それは実体のない影そのものだった。

すっと画面が動き、影がフレームアウトすると、いま貼られた新しいコマが見えた。

それは捕食寸前の子ヤギの画だった。

グアアアアアアアッ、という効果音がついていた。


緯度5.684350、経度139.656486。

オレは地図上で位置情報を確認して、車のキーを握った。

ふと思いついて戻り、愛用のGペンと原稿用紙を一枚持ちだした。

オレが物語を書き換えよう、子ヤギを救おう。


その場所は、廃屋のような昭和のビルだった。

路地に車を放置して入り口を探す。ところどころトタン板や鉄条網で覆われているが、故意に破られた隙間もあった。

穴のひとつに、覚えのある紙が貼ってあった。

見慣れた筆致で「ここからお入りください」と書いてある。

ガランとしたホールには、奥に向かって次々と矢印の描かれた紙があり、オレを誘導した。暗い廊下を抜けて扉を開けると、ビルの壁面に張り付いた非常階段だった。

サビて朽ちかけた踏板をきしませながら、オレは螺旋状に駆け上がる。

屋上まで上ると、見慣れた光景が広がっていた。

確かにあの定点カメラだ。

ここに設置しているのだろう、アングルもぴたりと同じだ。

足元に「靴をお脱ぎください」と張り紙がある。

よく見ると素材の違う細い廊下のようなものが、看板に向かってまっすぐにのびている。

オレは靴を脱いで揃え、足を踏み出した。

両手にペンと紙を持って。


振り返った瞬間、ほかの人たちによって脱ぎ捨てられたたくさんの靴が山になってみえた気がした。

オレの体は立て看板をすり抜けて、そのままふわりと浮かび、落ちていった。


終わり

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