紙とペンとコーヒーと

@Wisyujinkousaikyou

紙とペンとコーヒーと

とある住宅街。

大都市の郊外に位置するここは、昼間滅多に人を見ることは無い。

そんな無人の町の薄暗い路地を抜けた先の陽の当たる開けた場所にある築33年の木造建築。

ここは「cafe ライズ」。

御歳六十三の【日登 淳一郎 (ひのぼり じゅんいちろう)】が1人で経営するお店だ。

冒頭から分かるだろうが、このカフェにはほとんど客は来ない。

ライズは淳一郎が三十の時、自分の趣味の為に経営を始めたカフェで、当時は小企業に務めていた会社員達の憩いの場としてライズの名を知らない者はいなかったと言うが、時代と共に開発が進み、気付けばここは人ひとり来ない寂しいカフェになっていた。

コーヒーの味は評判も良く、品数も多数、専用機械も沢山置いてあるのに。

時代の流れというのは恐ろしいものだ。


そんなある日、淳一郎がコップを磨いている時。

チリン。

ドアに開けたベルが音を鳴らす。

「おや、いらっしゃい」

久しぶりに現れた客は黒髪の大人しそうな少年。歳は........17くらいだろうか。

少年は会釈をしながら窓辺の席に腰を下ろす。

「いらっしゃい、よくこんな店にやってきたね。さて、注文は何にするかい? 若い者にはこういうココアやフロート系がいいんじゃないかい?」

淳一郎が丸い木製のトレーを持ちながら近寄る。

「........ブレンド。砂糖一本」

淳一郎は少年の思いもよらない注文に少し驚いた。

「おや、少年、君の渋いね。ちょっと待っててくださいな。ただ今お持ちしますよ」

と、彼はカウンターに戻って行った。

少年はゴソゴソとカバンを漁り出す。

シュワーッ、ポコ、ポコ。

ドリッパーに敷かれたフィルタの中の粉末状のコーヒー豆が泡を立て膨らみ、コーヒーポットに一滴、また一滴と落ちていく。

豆は膨らみは萎みを繰り返し、ポッドに落ちるコーヒーは一定の感覚を保ち続ける。

フィルタの湿りが多くなり、コーヒーが途切れず落ちる頃、少年は真っ赤なパソコンを開き、何かを打ち込み始めていた。

コーヒーがポットの下五分の一を占める頃、ちょうど落ちるコーヒーが途切れる。

少し茶色味を帯びた黒いコーヒーは、淳一郎によって磨かれた純白のカップに丁寧に丁寧に注ぎ込まれる。

コップを持ち上げトレーに乗せてマスターが少年の元へ運ぶ。

「お待たせしました」

淳一郎の笑顔と共に机に向かうカップからは白い湯気が尾を引いていた。

少年はコップを鼻に近づけ匂いを嗅ぎ、その後そっとコーヒーを飲む。

「美味い........。酸味も少なくて飲みやすい。深みも凄いあって香りもいい。マスター、この豆は........?」

少年の感想に喜びを隠せなかったのか、ダンディーな雰囲気のマスターの口角が上がる。

「これはな、私が自分で見つけた自慢のブレンドコーヒーなんだよ。久々のお客さんにそこまで褒めてもらえるとは。とっても嬉しいよ」

少年は

「ここに来ないお客さんは何だか損してる気がしますね」

といった。

「はっはっは! 面白い少年だね! さて、ごゆっくりどうぞ」

マスターはそう言ってカウンターに戻って行った。

淳一郎は窓辺でコーヒー片手に何かに集中している彼に懐かしなを覚えた。

時は二十年前。

いつも同じ窓辺の席に座る女性。

【大山 由羽(おおやま ゆう)】はライズによく来る常連さんだ。

「マスター! 今日もあれね!」

元気な18歳のその女性は毎日ブレンドを、注文し、机の上に原稿用紙と万年筆を、置いていた。

彼女は小説家。とは言ってもまだまだ無名。

だが、午後の日差しに照らされる彼女はとても美しかった。

由羽はいつも同じ位の時間にやって来る。

「いらっしゃい。原稿はどこまで進んだのかい?」

いつしかマスターはこれを聞くのが小さな楽しみになっていた。

しかし、いつからだろう。彼女は急にお店に来なくなってしまった。

それから約1ヶ月。

とある冷たい雨の日だった。

チリン。

ドアの下に立っていたのは淳一郎より少し年上の女性だった。

「マスターさん、少しお話があります........」

俯いたままの女性に少し困惑しながらも話を聞くことにした。

「突然のご訪問すみません。私、【大山 久美子(おおやま くみこ)】と申します。このお店によく来ていたゆうの母親です。この度ゆうの........。ゆうの訃報をお伝えするために参りました........」

突然の報告にマスターは言葉を失った。

「ゆうはつい先日、癌により亡くなりました。その際、マスターさんへ伝言を預かりました。」

ゆうのお母さんはポケットから紙切れを取り出す。

「マスター、お元気ですか。突然の事でごめんなさい。私、癌になっちゃったみたいなの。でも必ず元気になってまたコーヒー飲みに行くから!楽しみにしていてね!」

ゆう直筆の文にマスターの、悲しみが込み上げてくる。

「それとマスターさん。こちらの原稿、ゆうが渡してくれと........」

お母さんが茶封筒に入った原稿をマスターに、手渡した。

彼はその原稿をぎゅっと握りしめる。

「ありがとうございます」

マスターは目を真っ赤にしながらお母さんに顔を向けた。

「では、私はこれで........」

マスターを察したのかお母さんは帰っていってしまった。

その日はお店を早めに閉めて、茶封筒を開けた。

原稿を引き出すと1番上には大きなメモ。

『マスターへ

こんな名もない小説家に色々と良くしてくれてありがとございました!』

メモの上に水滴が一粒垂れた。

まるでコーヒーのように。



今でも忘れないあの日から約二十年。

とある少年が通い始めた。

彼は毎日うちに来て同じ席に座りブレンドを飲みながらパソコンで打ち込む。


ある時マスターはきいた。

「君は一体、何をパソコンでやっているんだい?」

少年は答えた。


「僕は名もない小説家です」

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