あなたへ

秋瀬田 多見

最愛の人へ

拝啓


 桜の季節も過ぎ去り、温かな日差しが厳しい暑さへと変貌を遂げようとしている今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。


 私は相変わらずの毎日で、今でも朝の散歩は欠かしていません。雨の日は少し面倒くさいなあ、なんて思ったりもしますが行ってみると意外と楽しいことが多いことに気が付きます。


 傘を叩く雨粒の音が楽器見たいで、川沿いを歩けば水面の波紋がリズムを刻んでいるように見えます。たまに雨宿りしている野良猫なんかを見かけると、今日はラッキーだな、なんて思ったりもします。


 まあそういいながら、ビシャビシャな状態で家の玄関を開けるときはやはり面倒くさいなあと思うのです。



 そうそう、この前嬉しいことがありました。なぜか急に炭酸を飲みたくなって、自動販売機でジュースを買ったのです。そうしたら、なんと当たりだったらしく、もう一本ただで貰えました。といっても、二本は流石に要らなかったので、近くの公園に居た男の子にあげてしまいました。男の子の笑顔が見られて、私は非常に満足です。


 それともう一つ嬉しいことが。なんと、近くのゴールデンレトリバーのマロちゃんとお友達になりました。毎朝彼の家の前を通るので、顔を覚えてくれていたようです。飼い主とお話をするようになって、スキンシップを取らせてもらうと、初めからすぐに抱きつかれました。いやあ、あの可愛さは反則ですね。顔をべろべろと舐められましたが、その愛嬌に免じて許すことにしました。



 なんですか?そんな些細な事でいちいち嬉しそうにするな。でしょうか。いいえ、こんな些細なことだから嬉しいのではないですか。私は初めからこんな性格なのです。知っているでしょう?



 他には、そうですね、ホラー映画を見てみました。久しぶりの映画館だったので、見る前はワクワクが止まりませんでしたよ。でも、問題がありました。その映画、凄く怖かったんです。ホラーだから当たり前だろ、と呆れていそうですね。違うのです。見ていないからそう思うのです。腰を抜かすかと思う勢いでした。途中から目を瞑ってみたのですが、あれはオススメしません。視界情報がない分、音の怖さが如実に伝わって来て、想像が膨らみ余計に怖くなります。

 

 ということで、もうホラーは一生行かないことに決めました。なんですか、その顔は。見えていますよ。




 どうですか?そちらは。あなたの大好きな小説は置いてあったりしますか?ほかの人と交流を取れたりするのでしょうか?駄目ですよ、自分から接しにいかないと。あなたは私が言わないと、すぐ一人で居ようとしますからね。


 それに、ちゃんと朝の散歩もしてくださいよ。朝の概念があるのかはよくわかりませんが、私も歩いているのですから、一緒に歩きましょう。


 それでは、今回はこれくらいにしときましょうか。私はまだまだそちらに行くつもりはありませんが、ちゃんとこの手紙を読んで、私のことを忘れないように。浮気は許しませんからね。


                                    敬具


 島津 浩司 へ


 島津 相見 より





 島津相見はすらすらと動いていたペンを止め、テーブルに置いた。ふう、と小さく息を吐き固まった腰を伸ばす。4枚になった手紙を、用意していた便箋に入れ椅子から立ち上がった。


 部屋の隅に置いてある遺影の前で膝を折ると、線香をあげ、先ほど書いた手紙を置いた。


「書いてきましたよ。今週も。それにしても、紙とペンとあなたさえいれば、こんなに充実した毎日が送れるとは思いませんでしたよ。最初は嫌々でしたが、あなたの趣味に付き合ってよかった」


 島津相見は一人、ニコリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたへ 秋瀬田 多見 @akisedatami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ