第21話 追憶 6


 感覚が鈍っていると分かったのは、世界大会二連覇をした後の最初の試合だった。カトラとの決勝で俺は世界最強であり、世界最高速のプレイヤーとして君臨した。


 プラチナリーグでも連戦連勝。だが、それでも徐々に俺の体は何かに縛られているような感覚に陥る。初めは普通に勝てた。圧倒的な速さが少し鈍っても、相手は遅すぎる。だから序盤で本気を出せば勝てた。でも試合が少しでも長引くと負けた。それは10回に1回程度のことだから、勝率9割を維持することはできた。


 しかし、そこには確かな焦燥感があった。


 俺が負けるのは、俺が衰えているからじゃ無い。相手が強いからだ。ちゃんと俺の対策をしているからだ。そう思い込んでも、やはり違和感は拭えない。


 それから先の試合を機に、俺の代名詞は紫電一閃が完全に定着した。それは、体に鈍さを隠すために使っていた。試合の初めから紫電一閃を出せば勝てた。だから愛用していた。使い勝手がいいとか、そんな理由では無い。ただ、現実から目を背けたいと思った……だから使っていた。



「うッ!! 頭がッ……」



 ある日、一人で自主練をしていると鋭い痛みが頭に走った。俺はすぐにログアウトして、自分で病院に行った。するとそこの病院では対応できないと言われて、大きな病院に行った。そのときはちょうど母親が付き添ってくれた。子どもに無関心な親だが、病気などの時はいつも側にいてくれる。でもそれは優しさというよりも、ただ子どもに問題があると仕事に差し支えるから……とかそんな理由というのはなんとなく察していた。


「……前頭葉の発達が異常すぎます。お子さん、VRゲームとかします?」

「実は……BDSでレイってプレイヤー名でプロとして活動しているんです」

「レイ、ですか……なるほど、納得しました。この症状は子どもの中でもVRゲームを長時間行うと起きるものなんです。でも安心してください。今はまだ薬でどうにかなりますし、大きなことにはならないでしょう。万が一の場合は手術をすれば大丈夫ですし、多くの症例を基にして治療法は確立されていますので」

「よかった……朱音は大丈夫なんですね」


 母はホッとしていた。でも俺は背筋が凍りつく想いだった。


 脳機能に障害がある。それは事実上の引退宣告だ。この医者と母は簡単にいうが、俺にとってはこれは……死と同義だった。


 つまりこのまま戦えばさらに症状は悪化する。それに手術なんてしてしまえば、さらに感覚が鈍ってしまう。


 嫌だ……俺は最強のプレイヤー、レイなんだ。もっと、もっと先の高みに行くんだ。次の目標は世界大会三連覇なんだ。


 嫌だ、負けたく無い。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ……俺は負けたく無い。



 それから先のことはよく覚えていない。



 ◇



「お兄ちゃん、今日も勝ったね!」

「……」


 二人で晩御飯を食べる。両親はよく仕事場に泊まることがあるので、今は二人で晩御飯を食べている。


 俺は先ほどプラチナリーグの試合があり、勝ってきた。でも焦りしかない。俺のイメージ通りに体が動かない。第二回世界大会決勝の時の感覚が再現できない。あれこそが……俺の辿りついた領域。神の領域だ。あそこにいれば負けることはない。あそこにいれば、いつか素晴らしい景色が観れる。だというのに、俺の足元はずぶずぶと泥沼にハマって行く。どこまでも飛んで行ける翼も、もうどこにも飛べない。イカロスの翼は、輝かしい太陽の前では無残に溶けて無くなってしまう。


 そんな幻想が俺を毎晩襲った。


 だというのに、有紗は脳天気に話しかけてくる。


 もう俺に……期待するのはやめてくれ。


「うるさい……」

「え?」

「うるさいッ!!」


 バンッ! と思い切り机を叩く。有紗はそれを見てビクッとするが、俺は八つ当たりをした。そう、これは八つ当たりだ。有紗は何も悪くない。だというのに、この時の俺は全てを有紗にぶつけた。


「お前に何がわかる!? あの世界で戦ったことがあるのか!? 負けられないプレッシャーの中で勝つという意味がわかるのか!? いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、脳天気に応援すれば俺が満足するとでも思っているんのか!? あぁ!!? ふざけるな!! 俺の剣は毎日鈍る。ずっと、ずっと、ずっと、あの時の感覚を求めているのに……徐々に遅くなっていく。その苦しみがお前にわかるのか!!? 負けることの怖さを、あの頂点に居続けることの怖さをお前は知っているのか!!? 有紗、お前に分かるのかッ!! なぁッ!!! 答えてみろよッ!! なぁッ!!!?」

「お、お兄ちゃん……」


 ぶるぶると震えている。でもこれでよかった。もう有紗からの応援なんてうんざりだ。両親と同じように俺を一人にしてくれ。俺を孤独にしてくれ。俺を孤立させてくれ。俺を孤高にしてくれ。じゃないと……頭がどうにかなりそうだった。


「……」


 俺はそのまま黙って部屋に行った。食器はそのままにして、有紗が静かに泣いているのを無視して部屋に戻ってBDSの世界に潜った。



 この時を機に、俺と有紗は決別した。


 もう、俺の側には誰も居てほしくなかった。



 ◇



「第四秘剣、紫電一閃」


 超高速の電磁抜刀術、紫電一閃。今日もこれで勝った。もう俺にはこれしかなかった。世間ではレイは紫電一閃しか使えない愚か者だという批評もある。逆にそれだけで戦うレイは素晴らしいというものもある。


 だが世間の声は気にしない。俺は一人で戦える。


 その翼が徐々に灼け落ちているのを知りながらも、俺は止まることができなかった。


「レイ選手、今回も勝利おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 マスコミの対応も慣れてきた。ただ淡々とこなせばいい。世間の求めるレイを演じればいい。それだけだ。たったそれだけのことだ。


「最近は紫電一閃を連発していますが、何か意図が?」

「もう少し磨きをかけたいのです。秘剣を完全にものにできているとは思えませんから」

「なんと! あれでもまだ完成の域にないと」

「えぇ……まだまだです」


 それは嘘ではなかった。俺の紫電一閃の完成形はカトラを切り裂いたあの時のものしかない。それ以外のものはゴミと同じだ。


 俺はすでに他のプレイヤーのことなど見えていなかった。この焦燥感を埋めるには勝利しかない。でもその勝利もただの作業と化していた。必要なのは、俺の求める理想にたどり着くこと。今は頂点に居ない。俺のイメージではすでにレイというプレイヤーは失墜していた。でもそれならまた登ればいいだけだろ? 


 なぁ……そうだろう、俺?



「レイ、おめでとうござます」

「カトラか……」

「こんなことを言うのは、良くないと思うのですが……思いつめているのですか?」

「……そんなことはない」

「でもあなたの剣は……」

「俺に勝ったことのない奴に、俺の剣の何が分かる。俺の剣は勝者の剣だ。そしてお前の剣は敗者の剣だ。口出しするなら、俺に勝ってからにしろ」

「待って……レイッ!!」



 無視した。もう誰の声も聞きたくない。黙って背を向けると、ログアウトして現実世界に戻ってくる。


 ベッドから体を起こすと、すでに朝になっていた。


 カーテンを開けて、外を見る。朝日と雲ひとつない青空。鳥たちもそれを喜んでいるかのように鳴いている。


 そんな情景とは対照的に俺は……もう堕ちるしかなかった。


 レイは確実に狂い始めていたことに、俺はまだ気がついてはいなかった。

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