第20話 あなたの顔は?


 三連休最終日。今日は午前中はトレーニングをして、午後からは休みということにした。この三日間はかなり詰め込んだから、たまにはこうした休息も大切だろう。


「朱音、買い物に行きましょう!」

「いいけど……どこ行くの?」

「うーん。渋谷とかでいいんじゃない?」

「ざっくりとしてるなぁ」

「今日はせっかく半日休みなんだから、外に出ないと!」

「……その意見には賛成だけど、渋谷は人が多くて嫌だ」

「ならどこがいいの?」

「人が少ないところ」

「東京にそんなところはないわ!」

「……それもそうか。なら、シェリーの好きなところでいいやもう」

「わかったわ!」


 そして俺たちが向かったのは、カフェが併設されている本屋だった。ここなら落ち着けるし、色々と静かでいいという理由でやって来た。


「朱音は何を読んでいるの?」

「英語の参考書。ぶっちゃけテストがやばい」

「現代では同時翻訳機もかなりのレベルにきてるし、英語の勉強なんてしなくていいと思うけどね〜」

「そうは言っても試験で課されるから大変なんだ」

「ふーん。そういうものかしら」

「シェリーは英語もできるのか?」

「私は英語と日本語はネイティブレベルね。あとはフランス語とドイツ語は日常会話程度……かしらね」

「羨ましい……」

「ふふ。ま、頑張って勉強しなさい」


 そう言ってからシェリーは何処かへ行った。きっとあいつも何か本を探しているのだろう。すると、トントンと肩を叩かれる。


「せーんぱいっ! こんなところで何してるんですか?」

菖蒲あやめか。奇遇だな」

「ここは私の行きつけなんです」

「そっか」

「先輩は一人ですか?」

「いやシェリーと来てる」

「シェリーと来てる? シェリーって、シェリー・エイミスさんですか?」

「知っているのか?」

「学校の中でもかなりの美人と評判ですよ? 先輩はどうしてそんな人といるんですか? 狙ってるんですか?」

「いやそういうわけでは……」


 なぜか菖蒲に詰問されていると、ニコニコと笑いながらシェリーが帰って来た。


「見て! なぜか日本刀の研ぎ方の本があったの! って、あら? お友達?」

「先輩の後輩でーす! 四条しじょう菖蒲あやめと言います!」

「菖蒲? いい名前ね! 私はシェリー・エイミス。シェリーでいいわ、よろしくね菖蒲!」


 シェリーと菖蒲は瞬く間に意気投合。流石はコミュ力の高い女子同士。俺ならこうはいかない。そして菖蒲が飲み物を注文して、それが届くと三人で話し始めるのだった。


「先輩とシェリーさんの関係って何なんですか?」

「いや……それは……」

「朱音は私のコーチよ」

「コーチ?」

「えぇ。確か、あなたは知っているのよね?」

「あぁ! 何のことかわかりましたよ! でも確か、レイのコーチがシェリーってことは本名でやっているんですか?」

「そうね。私は本名でやっているわ」

「はえ〜。二人とも有名人じゃないですか!」

「私はともかく、朱音は有名よね? 最近はレイの特集も多いし。取材依頼も来ているんでしょ?」

「来てるけど、断ってるよ。別に話すこともないし……」

「なるほどぉ。それでこの三連休に特訓でもしてたんですか?」

「よく分かったわね! そうよ! この三日間は私の家で合宿していたの!」

「ん? 私の家で?」

「えぇ! 泊まり込みってやつよ!」

「……先輩」


 じーっと菖蒲が見つめてくる。べ、別にやましいことはない。俺は毅然とした態度で応じる。


「別に何もしてない。ほとんどBDSに潜っていたしな」

「ふーん。ふーん!」

「あら? ヤキモチかしら、菖蒲?」

「別にヤキモチではないです。でも、有紗ちゃんが知ったらキレそうですね」

「言うのだけは勘弁してください」


 俺は頭を下げる。今回の件、俺は友達の家に行くと言っている。別に間違いではないが、有紗はシェリーにはいい想いを抱いてない。バレると色々と面倒なことになるだろうしなぁ……。


「別に言いませんよ。でも親御さんとか大丈夫だったんですか?」

「私の家はあまり人がいないから。この三連休も私と朱音だけだったわ」

「先輩……」

「やめろ、そんな目で見るな! 俺は無実だ!」

「ふふ。そうよ、朱音は何もしていないわ。でもBDSでは鬼コーチなのよ?」

「先輩が鬼ですか。想像つきません。いつもへにゃってしてるのに」

「そうそう。いつもはヘニャヘニャだけど、BDSでは別人なの」

「仕方ないだろ……アリーシャに勝つには、それにプロとしてのキャリアを歩みたいならあれぐらいは当然だ」

「ふーん。流石、伊達に世界ランク元1位、世界大会三連覇はしてないみたいですね」

「お前の言い方はいつも何か癪だな、菖蒲」

「いえ? 純粋に褒めているんです。珍しいことなんで、ありがたいと思ってください」

「お前は俺をなんだと思っているんだ!!」

「「あはははは!!!」」


 シェリーと菖蒲が同時に笑う。全く二人とも俺を蔑ろにしすぎだ。別に丁重に扱えとは言わないが、それなりの態度ってもんを……と言っても意味ないか。今更だしな……そして俺たちはしばらくそのまま談笑を続けたのだった。



 ◇



「じゃあ、私と菖蒲はもうちょっと買い物するわね!」

「先輩ー、次は奢ってくださいね!」

「はいはい。じゃあな」


 そう言うと先輩は去って行きました。私としては先輩もいて欲しかったけど、今はこの人に話があるので自然な形で先輩には離脱してもらいました。


「さて、菖蒲。どこに行く? 私はどこでもいいのだけれど」

「ちょっと広場にでも行きましょう。涼みたいので」


 二人で外に出ると、心地よい風が流れて来ます。今は夕方で丁度いい具合に陽に照らされ、まさに黄昏時という瞬間。でも私にはやることがあった。


「ねぇ、気持ちいいわね!」

「そうですね……」


 私は、はしゃいでいるシェリーさんに単刀直入に尋ねる。


「ねぇ……シェリーさんはどうやって先輩のことを知ったんですか?」

「うーんと、私の家ってBDSの運営元なの。それで偶然レイのデータを見ちゃって……」

「なら先輩の家は? 先輩はシェリーさんには教えていないのに、普通に来ていたって言ってましたよ?」

「……何が言いたいのかしら?」


 にこりと微笑むシェリーさん。いつも明るくて、陽気で、そしてとても可愛い。でも私は知っていた。いや、勘だろうか……この人はどうにも嫌な匂いがする。乙女の感といえばちょっとアホみたいだけど、直感的にこの人は危ういと感じている。


 その表情はいつも通り笑っているも、その目はじっと私を見つめている。どこか虚空を見ているような、深淵を覗いているような感じ。


 やっぱり私の勘は正しいみたいだ。


「あなた、先輩のこと……元々知っていましたよね? 非合法な方法で調べたんでしょう? それに、たまたま見たって話を聞きましたが、それも嘘でしょう? だっておかしいですもん。そんな偶然が重なるなんておかしい。有紗ちゃんともあなたはどこか怪しいと話していたんです」

「……あーあ。やっぱ、女って勘が鋭いのね。朱音はあっさりと私を受け入れてくれたのになぁ〜」

「何が目的ですか?」

「目的? そんなものは昔から……いえ、生まれた時から変わらないわ。私は世界の頂点に立つ。それがどんな方法であってもね」

「先輩をどうにかしようと思ってるんじゃないんですか? レイのことを売ろうとか?」

「まさか。そんなことしたら私が困るわ。レイにはまだ役割があるもの。私が必要ないと思うまで、側にいてほしいわ」

「便利な小間使いですか、先輩は?」

「何? 怒っているの? でもコーチってそんなものでしょう? プレイヤーが必要ないって言えば、解雇される運命なのよ。でも朱音はお人好しね。かなりの大金を契約のために用意していたのに、タダでやるなんて。朱音はバカよ。でも、その実力は間違いない。私は彼の指導で間違いなく成長しているのを感じる。彼はプレイヤーとしても一流だけど、コーチとしても一流の稀有な例ね。本当に助かるわ」

「私がこのことを先輩に言ってもいいんですよ?」

「言えばいいじゃない。でも、状況証拠しかない。決定的なものはないわ」

「録音していると言っても?」

「それ……ジャミングしているわよ?」

「え?」


 私は自分のSLDを確認する。すると電源がついているのに、モニターが表示されない。


「その程度の対策はしているわ。でもね、別にバレてもいいの。私は彼を利用するし、彼も私を利用しているもの」

「先輩は別に……!」

「知っているんでしょ? レイの最期を、そしてあなたは朱音が引退してからのリアルの姿を知っている……だからこうして詰め寄って来ているんでしょ? 朱音も『いいお友達』を持ったわね」

「あなたはどこまで知っているんですか……?」

「朱音にも初めに言ったけど、私は彼のことならなんでも知っているわ。文字通り、なんでもね。レイの方だけでなく、なぜ引退したのか、引退した後の彼の生活はどうだったのか、リアルのことも知っているわ。だから彼に声をかけてたの」

「転校も偶然ではないと」

「えぇ。朱音のいるクラスになったのも、そう手配したからよ。私は初めから彼が目当てだった」

「危害を加えるつもりはないんですよね?」

「そうね。私は純粋に彼の指導を受けたいだけ。ちょっと良くない方法で近づいたのは確かだけど、そこだけは信じてもらって構わないわ」

「裏の顔は先輩に見せる気は無いんですか?」

「裏? 裏ってなんのこと? 陽気に振る舞っている私が表で、今の私が裏なの? 人間ってよく本性とかいうけど、あれって間違いよね。別にそれが本当じゃなくて、ただ使い分けてるだけなのに。学校の私、家の私、友達の私、いろいろな形があるじゃない。朱音の前では、朱音の私。そしてあなたとこの話をするときは、今の私がいるの。ね、おかしく無いでしょ? 人間は誰でも顔を使い分けているのよ?」

「……レヴィナスですか」

「あら、博識ね」

「……もういいです。でも、先輩に何かしたらただじゃ済みませんよ?」

「あら怖いこと。肝に銘じておくわ」



 これ以上話しても得るものはないと思って、私たちはそこで解散した。


 やはり、シェリー・エイミスという女は普通ではない。


 それが今回の件でよく分かった。そしてBDSの世界はやはり……好きそうになれない、そう思った。


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