第2話 誘い、そして決意
俺は黙って歩いている。シェリーのやつも何も言ってこない。その沈黙が妙に気持ち悪かった。
俺のことを仮想現実で知っているやつは大勢いる。レイという名前は世界的に認知されているからだ。でも、現実世界の俺は……月島朱音は平凡だ。なんの取り柄もない。俺からBDSを取り除けば何も残らないと、この二年間で嫌という程痛感した。そして、月島朱音=レイという事実を知っている人間は家族とBDSの運営の人間の中でもほんの数人だ。
そう推測すると運営側から俺の個人情報が漏れていると考えるべきだ。もしかしたら、すでにネットで拡散されているのかも……と思ってネットを見るが、レイの情報は特別変わりがない。
なら、シェリーのやつは一体どこで俺の情報を……?
「私が奢るからテキトーに頼むけど、いい?」
「あぁ……いいよ、別に」
近場のカフェに入り、窓際の目立たない席に着いた俺たち。そしてシェリーが注文をした後に、俺は単刀直入に聞いてみることにした。
「俺のこと、どこ知ったんだ? 情報が漏れているのか?」
「……運営は貴方の情報を漏らしてないわ。BDSの運営会社クオリアは機密を絶対に維持する。個人情報の漏洩はないと断言できるけど……私は偶然知ったのよ。この転校も偶然」
「俄かには信じがたいが……」
「実はね、私のおじさんがクオリアのCEOなの。それで会社に出入りすることも何回かあって……その時にレイのパーソナルデータを覗き見しちゃったの」
「覗き見って……そんな古典的な……」
「仕方ないじゃない! あのレイよ!!? ちょっとぐらい見てもいいかなぁ〜って思ったら、東京にいる日本人でしかも私と同い年なんて……これはもう運命を感じたわね。でもそのことは誰にも、友達にも家族にも話してないわ。そこは信じて。それで……それから数ヶ月後にクオリアの東京支社にパパが転勤になって、私もそこに着いてきて……って感じ。同姓同名の別人かとも思ったけど、貴方の反応を見て確信したの。ねぇ、どうして引退したの?」
「……それは」
勝手に個人情報を見られて、そして偶然に同じ学校に転校だと? 馬鹿馬鹿しい。それに別にこいつしか知らないならいい。どうせ、俺はもうあの世界に戻らない。このまま平凡に生きて行くんだ。あの世界に、あの剣戟の世界にもう興味などない。俺はもう……。
だがそう思っていても、俺は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。そう思っていた時には口が滑っていた。
「脳機能の問題だ」
「……え?」
「幼少期からVRゲームに触れていた俺は前頭葉が異常に発達し過ぎていた。そして無理を通して世界大会に出て、三連覇したと同時に手術をしたよ」
「……完治はしたの?」
「してる。別に珍しい病気でもないしな。でも、俺の感覚は狂ってしまった。あれから何度もBDSに潜って、剣を振るった。だがあの時の感覚は戻らない。BDSでプロでやっていくなら、1秒以下の世界で判断しなければならない。BDSプレイヤーはゼロコンマの世界で戦っているんだ。そして感覚の狂った俺はもう……あの時の、レイには戻れない。そしてそう悟ったと同時にデータを消したよ。ま、シェリーに見られたってことはデータ自体は残っているんだろうけど、俺からあのデータにはもうアクセスできない。レイは死んだんだ」
「そう……そうだったの」
初めて他人に話した。家族にもこんな風に話はしていない。みんな俺のことを気の毒そうに見て、どこか余所余所しい態度だ。だがプロとしての活動と世界大会三連覇による賞金で俺は十分に家族に貢献できたはずだ。金のために戦っていたわけではないが、少しでも残るものがあればそれはそれで良かったと思っている。
「……ねぇ、私のコーチやってみない?」
「は?」
「もちろん、ちゃんとした契約をしてお金も出すわ。私ね、もう少しでプロリーグに入れそうなの。それで……こっちに来て貴方の力を借りれたらと思っていたんだけど……だめ、かしら?」
「……」
考えてみる。唐突な提案だったが……コーチか。VReスポーツの世界では、普通のスポーツの世界と同様にコーチやスタッフが存在している。特に最前線を退いたプレイヤーはコーチになることがよくある。個人競技に一見思えるが、プレイヤーを含めて一つのチームとして機能しているのが現状だ。
だが……俺がコーチになって誰かに教える? 俺にそんなことができるのか? はっきり言って、俺は感覚派だった。理論を突き詰めて考えるよりも、感覚で戦っていた。試合を振り返ったりもしないし、フィードバックもいらない。俺は戦えば勝てた。だから何も振り返らなかった。コーチやスタッフなど必要なかった。
でもシェリーはそうではないようだ。じっと俺の目を見てくる。
今まで燻っていたのは、俺はあの世界にまだ未練があったからだ。知っていたさ、そんなこと。ニュースで見るたび、俺の特集が組まれるたびに、憤りを感じていた。脳機能に問題がなければ、俺はあの世界でまだ最前線で戦えていたはずだ。今の世界ランク一位にも負けたことはなかった。そしてそんな妄想をして、悩んで、苦しんでいた。でも、戻る勇気もなかった。
踏み出せなかったのだ。
しかし俺は今こうして必要とされている。ならば、少しぐらい検討してもいいんじゃないだろうか。
「試合のデータと映像ある? 今見たい」
「もちろんよ!」
そして俺はシェリーからデータを受け取ってSLDで確認した。
プレイヤー名【シェリー】。実名登録している人間は多い。それは別に実名で登録しようとも、リアルがバレることがないからだ。まぁ俺はなんとなく別の名前にしていたが。
ちなみに、BDSのルールは一対一でHP300を削り切れば勝利である。また戦うのはスフィアというフィールドでそこには様々なギミックがあったりする。氷のスフィア、炎のスフィア、森のスフィアなど様々だ。
また、BDSではスキルというものが使用できる。数多くのスキルを使えるが、自分の剣技と相性のいいものを選ぶ必要がある。スキルは無限に使えるも、重ねて使用すればするほど疲労感が出てしまう。ここは現実に似ている。
さらにプレイヤーのキャラクターはヘビー、ミドル、ライトに分類される。ここでの選択もかなり重要な要素になる。
ヘビータイプは大剣などを使用できるが、一撃が大きい分隙が大きい。これはかなりの玄人向けである。
ライトタイプは逆に一撃のダメージ量は少ないが隙は少ない。しかし手数を増やす必要もあるのでキャラクターコントロールが重要となってくる。ヘビータイプほどではないが、それなりに扱いが難しい。
ミドルタイプはその二つの中間。一番バランスが取れており、プロリーグにもミドルタイプが一番多い。初心者から玄人まで使える。
俺はその中でもライトタイプを選択し、その極限まで研ぎ澄まされたキャラコン、剣技、スキルを合わせて世界の頂点に立った。そしてシェリーのキャラクターもまた、俺と同じライトタイプ。それに使っているスキルと戦い方も俺に酷似していた。
「俺に似ているな……というよりも……」
「私は貴方の試合を見て、BDSを始めたのよ。レイがプロリーグ入りして、初めてのプロとしての試合。あれを見て……感動した私はレイのようになりたくて……」
「なるほど……」
レイを模倣するプレイヤーは何もシェリーだけではない。数多くのプレイヤーが俺のプレイスタイルを真似た。だがこのゲームは真似るだけでは絶対に上には行けない。唯一無二のオリジナリティが、自分に合った戦闘スタイルが、必要なのだ。だから誰かを真似するのは途中まではいいが、プロになりたいならばそれは捨てる必要がある。シェリーの試合を見るに、彼女は俺の真似ばかりが先行していて自分のプレイスタイルが確立できていない。そのため臨機応変に対応できていないようだった。攻撃はレイを真似ればいい、でも防御ではそうもいかない。相手は様々な剣技とスキルを使ってくるからな。
俺はシェリーの弱点を看破すると、すぐに告げた。
「俺の真似はやめた方がいい」
「……でも、私は!!」
「君は俺じゃないし、俺は君じゃない。シェリーはもう十分に基礎が身についている。あとは自分のスタイルを確立すべきだ」
「……やっぱり変えた方がいい?」
「いや全てを捨てる必要はない。でもシェリーには俺のような俊敏性はない。それに刀を使うのもやめた方がいいかもな。あれは相当な剣技がないと扱いづらい。普通に剣を使うか……レイピア、ダガー、フランベルジュ当たりがいいかもしれない。それにスキルは火一辺倒だが、それも変えた方がいい。俺も四大属性は雷が得意だからよく使っていただけで、他の属性も使っていたからな。火、氷、水、雷、プロの中でもプラチナリーグを目指したいならどれか一つに特化しつつも満遍なく使えるようにした方がいい。相性が悪い相手だと剣技だけが頼りになるからな、それと……」
俺は彼女の試合を見て思ったことを口にしてみた。プロとして戦っていた時はこんなにプレイヤーのことを分析したことはないし、他のプレイヤーもそんな気にしたことはなかった。でもこうして他人を見ると、色々と勉強になるし、弱点なども容易に発見できる。言語化することの重要性を今さらながら思うと、シェリーはキラキラとした目で俺を見ていた。
やべぇ、話しすぎたか? プライド高そうだし、怒ったか?
だがそれは杞憂だった。
「すごい! すごい! すごい! すごい! こんなにしっかりと言われたのは初めて!! やっぱり私には貴方が必要だわ!! ねぇ、お願い! コーチをしてくれない!?」
頭を下げるその姿を見て、俺は思い出していた。強さを求めるためなら何でもする。俺は頭を下げたことはないが、懸命に努力していたのは彼女と同じだ。
そして今の俺は彼女の力になることができる。ならもう……迷う必要はないのかもしれない。
BDSから退いて二年。俺はずっと踠き苦しんでいた。あのゲームのことはもう忘れよう。たかがゲームだろ? 所詮はただのゲームというお遊び。マジになるのが無駄ってもんだ。
何度もそう言い聞かせた。でも俺はBDSのニュースからこの二年、目を離すことはなかった。いや、離すことができなかったのだ。あの輝かしい世界でもう一度戦いたい。その想いはどれだけ言葉で飾ろうとも、押し殺そうとも、無理だった。
きっとこの出会いは運命だ。俺はそう思い込むことにした。
そうだ。俺はまた……あの世界に行こう。そう、決めた。今なんだ。今しかない。俺があの世界に再び関わるのは……いつかの未来じゃない。
「……シェリー。こちらこそ、よろしく頼む。指導経験はないが、君を立派なプロのプレイヤーにしたいと思う」
「うん!!!」
そして俺はシェリー専属のコーチになるのだった。
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