紙とペンと宇宙一のモテ男
あんどこいぢ
紙とペンと宇宙一のモテ男
トイレの脇の奥の席に、人だかりができている。とはいえここ竜骨腕亭は、銀河連邦基地四〇〇正式認可店だ。トイレ脇だからといって衛生的にどうこういうことはない。ただ下座の席だということだけだ。
正午過ぎからその席で、まぁ四人がけのボックス席なのだが、そのさらに奥の隅でねばっていたのは、宇宙貨物船ヘカテ号のレントン船長。アンチエイジング技術もで尽くした感があるこの時代に、普通におっさんになっていっている風変わりな男である。一人になりたいのだろう。しかし自分の船には帰りたくない? 人恋しいのだろうか。
そこに人だかりできだしたのは、夕飯どきも一段落ついたハブ標準時二〇時半ば。変わり者だが偏屈ではないので、彼はオレベロン号のベルデ船長と相席していた。そのベルデがトイレに立ち、髪を解きながらでてきていった。
「キャプテン・キッドの宝の地図かい? 今どき紙のファイルだなんて──」
この店の客層は船乗りとしてはまぁ大人し目なほうなのだが、それでも宝の地図と聞き、数名がおおっ! と歓声を上げ駆け寄っていった。だがレントンの手の中の紙は、ぱっと見にも地図などではない。
「なんだよこれ?」
誰かが不満の声を上げた。
二人の少女とコーヒーカップ。
真ん中の少女は躍動感いっぱいのボーイッシュな少女。トップスは腕捲り、ボトムスはホットパンツで、今しもどこかから飛び下りたといったような印象。もっとも背景は描かれていないが……。
左側はもう一人の少女。真ん中のコよりぐっと落ち着いた感じ。なんらかの施設のインフォメーションガールか? あるいはCA? 彼女もボトムスの丈が短い。ボックスミニ? ベルデも含めやはり船乗り。その手の話には確信が持てない。
さて右側がコーヒーカップだ。白い平凡なデザインのものだが、これだけにささっと背景が描かれている。それ自身が落とす影のような斜線。
背後から背中を丸め覗き込んでいた男が、レントンの肩をつつき、説明を促す。
「ま、クイズってゆうか賭けってゆうか……。仲間二つを丸で囲みなさいって……。こんなもんも渡されたよ」
彼がジャケットのポケットから取りだしたのは、超アンティークな油性ペン。そして上体を椅子の背凭れに預け、股間辺りをぐっと突き上げ、
「因みに賭かってんのはこの俺自身なんだぜっ」
といった。
「おおおおっ」
「ひゅーひゅーっ」
その日なん度目かの歓声が上がった。
それが収まるのを待ち、ベルデがいった。彼女はいつの間にか、レントンのすぐ隣りの席を占めている。
「胴元はあの天文学者さんかい? 一夜のめくるめくアバンチュールを、なんて話じゃなさそうだね? いよいよ身ぃ固めんのかい? レントン」
「ああ、まあ、こいつの結果次第なんだが……」
またまた大歓声。
ナディ・ヤン博士。将来を嘱望される若き天才科学者。その上テラ出身のエリートでもある。だがどちらかといえば人懐っこいルックスで、あれではこの辺りでは軽く見られることもあるのかもしれない。そのせいだろうか? 彼女はここへやってくるたび、レントンのヘカテ号を必ずチャーターするのだった。
さらに彼女はレントン‐ヤン組の片ほうとしても有名だった。恒星天文学専攻の彼女は、惑星状星雲の実地調査などに彼の船を雇うわけだが、距離の測定が難しいそうした星々のチャート上の位置づけに、意外なくらい貢献しているのだった。十指にあまるR‐Yがふされた星々。
天の川銀河の中心へとじわじわと生存圏を広げてきた人類は、遂にオリオン碗を飛びだし、ここいて・りゅうこつ碗に幾つかの橋頭保を築いていた。連合基地四〇〇はもっともホットなフロンティアだ。
ウェイトレスのミイがその輪の中に入ってきたのは、ハブ標準時二一時過ぎ頃。レントンのはす向かいの男にジョッキを運んできたついでに、といったさり気ない態度でだった。
「レントン船長、結婚するんですか?」
が、それに応えたのはベルデだった。
「どうだろねぇ。こいつぁ中々の難問だよ。この馬鹿に解けるたぁ思えないねぇ」
「ちょっといいですか?」
ミイがレントンの向かいの席の二人に、目配せする。
これはちょっとしたルール違反だ。接客はカウンターの中でだけ。テーブルについての接客だと、その店は風営法の対象になってしまう、などというのがテラ以来の慣わしだった。
が、二人とも喜んで席を譲った。どさくさに紛れに小鹿のような、彼女の脚をちら視している。
脚だけでなくくりっとした瞳も、僅かに上向いた愛いらしい鼻も、元気な小鹿を思わせる娘だ。いい匂いの風が舞った。
とはいえ残念ながら、彼女はこの店のナンバー・ワンではない。半月ほど前、新しいウェイトレスが入ってきたのだ。男は所詮新しもの好き。まぁ彼女も他店に移り、そこでまた新しいウェイトレスになればいいのだが……。今や男でさえ、馬鹿正直に老けていくのは変わり者のレントンくらいだ。
そのレントンに課せられた難問。
席に着くと、彼女はまたいいですかと尋ねた。問題の紙がテーブル上に置かれ、くるっと天地を逆転される。そして──。
「船長自身はどう思ってます?」
「いや多分引っかけだろうから、コーヒーカップは必ず入るんだろうな……」
ミイは軽く溜め息を吐いた。
「引っかけって……。位相幾何学の初歩中の初歩ですよ。なんかちょっと、簡単過ぎるな……」
そこでミイはベルデたちにも目配せした。
ベルデに促され、全員他の場所に移ったり、または店をでるなりしたようだ。
ミイもレントンの前でいずまいを正した。
「答えは合ってます。でも本当に大事なのは、船長自身の気持ちですよ。どうなんですか? 一体どうしたいんです?」
「そりゃまぁ、こんなもんまで突きつけられて、情けないなって思ってる……。だからちゃんと謎解きつきで、答えてやりたいなって思ってんだが、俺、学ないから……」
「そうですか……」
彼だけではない。さっきまでこの席で騒いでいた連中は、皆宇宙船の乗組員たちなのだ。にも関わらず誰一人として、この問題を解くことができなかった。レントンが無駄ないい訳をする。
「計算は基本的にAIがするんだ。スイングバイとか、ブラックホール周辺の本当の時空の状態だとか……」
「それはいいです」
ミイはにべもない。また大きく溜め息を吐いた。
「一応確認しておきますね。正解の賞品が、あのひとなんですね?」
「いや。俺が間違ったら結婚なんだよ。俺、賭けのカタに取られちゃうんだ」
「そっか……。あのひとも辛いんだな……」
重苦しい沈黙が流れる。レントンは模範解答をせっつきたいのを、必死に堪えているようすだった。やがてミイが紙の天地をひっくり返し、左側の少女を指差しながらいった。
「このコの耳、ピアス開いてるように観えませんか? あのひとはどうです? ピアスしてます?」
「えっ? えっ? どうだったかなぁ……?」
またまた沈黙。またまた溜め息。そして……。
「今すぐヘカテ号へ帰って、あのひとの耳、観せてもらってください。そしてピアスがあったら、こう──」
そういって真ん中の少女とコーヒーカップとを囲む丸を、指先で描く。
「あっ、違った。わざと間違えなきゃいけないんだ。こう。で、ピアスがなかったら全部ドーナツ。そんで女の子同士が仲間んなって、わざとその逆答えて、こう。彼女がどう取るか判んないけど、ピアスの穴の確認が同時に謎解きってことにもなるはず。船長、私、あなたのことが心配です。全部AI任せは、やっぱ駄目ですよ。絶対あのひと、捉まえてください」
そして彼女は席を立った。
が、この時期妙なデータが確認されつつあった。ヒトが乗った宇宙船は事故率が低いというのである。船長がいった通り、計算はほとんどAIが行う。またヒトがその計算に横槍を入れることは、まずない。AIに負うべき責任がないとき、彼らもまた手を抜くなどということがあるのだろうか? いや。例の三原則の第三条だってあるのだ。にも関わらず……。パラドックスという言葉が妥当かどうかは判らないが、取り敢えずのちに、「有人宇宙船のパラドックス」と呼ばれる問題である。
紙とペンと宇宙一のモテ男 あんどこいぢ @6a9672
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