紙とペンと、画伯。

@r_417

紙とペンと、画伯。

***


 まだまだ寒さが厳しい夕暮れ時。僕は画伯のような彼女と出会った。

 都会のように寿司詰めになることなど皆無な我がローカル線は、相変わらずスカスカの乗車率を誇っている。それは乗る時間が変わろうとも時期が変わろうとも変化はなく、いつだって車両内の乗客全員を瞬時に把握できる。……つまりは、よくも悪くも他人の動向が筒抜けな路線とも言えるだろう。


「…………」


 さて、そんな路線で日々通学している中で様々な光景を目撃してきた。

 みかんを食べるおばあちゃん、母親との会話に夢中になっているお菓子を両手いっぱいに握っている小さな子ども、連んで小型ゲーム機で対戦する他校の男子高生たち……。つまりはどんなに乗客が少なかろうと、食べる、語る、遊ぶといった一通りの寛ぎの光景は見慣れているつもりだった。

 だが、所詮は【つもり】。そのことを彼女に遭遇して、僕は初めて思い知る。


「………………」


 ボックス席に一人座っている彼女は車内と車外の温度差で生じた結露を用いて、絵を描いていた。その状況が酷く珍しい光景に思えたのは、僕の中で【相手がいるから成り立つ光景】と思い込んでいたからに他ならない。

 だが、一人で窓に絵を描く行為で他人に迷惑を掛けることもなければ、不利益を及ぼすこともないはずだ。こんなにガラ空きの車内の楽しみ方として、咎められることは何一つないだろう。僕自身の固すぎる思考に動揺し、しばし立ち止まってしまっていると、不意に彼女が窓に視線を固定したまま無機質な声を掛けてくる。


「……あなたも好きなの、ネコ?」

「へ?」


 スカスカの車内にも関わらず、彼女の動きをまじまじと見つめていれば、不審度はうなぎのぼり。そんな不審な僕に声を掛けて、様子伺いしたくなる彼女の気持ちは十分理解できる行動と言えるだろう。

 だからこそ、彼女に恐怖心を与えたくない一心で、彼女の質問に真摯に答えたいと意気込んでいた。意気込んでいたのだが……。


「あ、うん。好き、だけど……」

「……だけど?」

「え、と。これは、ネコなの? たぬき、じゃなくて?」


 不意に声を掛けられてテンパっていたとはいえ、失礼極まりなさ過ぎる。冷静に考えなくとも、僕が一方的に悪いだろう。


「あ、……っと。ごめ……「あー、もう! 君までそんなこと言うかなー。どうせ、私は絵心ないですよー」

「へ?」


 無機質に表情一つ変えなかった画伯な彼女の感情が急に表に現れ、僕の方が困惑する。プリプリと怒りつつ、悪戯げな笑みを浮かべる姿は無邪気という言葉が一番よく似合う。額面通りの言葉よりマイルドさを感じるのは、恐らく彼女の表情がクルクルと変化するためだろう。


「てか、酷い! じゃあ、君はもっと上手なネコを描けるってわけ?」


 そう言って、無理やり彼女に対面する形で座らされ、窓にネコを描くよう強要される。とはいえ、全ては身から出た錆。他校の制服を着ている以上、下手に不審者として学校に報告されないように大人しくしておく方がいいだろう。こうして僕は彼女の要求をのみ、ネコを描いたことが全ての始まりだった。


***


「あ、画伯! こんにちは!」

「ははは、こんにちは。てか、君が画伯だろ?」


 あれから、タイミングが合えば彼女と一緒に車内を過ごすようになっていた。

 お互いがお互いを画伯と揶揄し、結露した窓に絵を描き、談笑する。緩くとも気持ちが確かに繋がる心地よさは格別だ。だが、彼女と……画伯と過ごせば過ごすほどハードルが上がり、踏み出せないことがあるのも事実である。


「相変わらず画伯の絵、個性的だよね」

「……」

「画伯?」


 僕たちの出会いは窓の結露に描いた絵だった。それは紙とペンでは味わうことさえできない消えてなくなる儚いアートで、ゆきずりのものとさえ思っていた出会いとシンクロする。奇跡的に今に続く出会いに繋がっているとはいえ、消えるか続くか絶妙な繋がり故に怖気付く思いもある。彼女の名前も、連絡先も……。自覚しているからこそ、尋ねることに二の足を踏んでしまう。

 言葉が詰まった僕を見ていた彼女はカバンからノートを取り出し、サラサラとペンを走らせる。そして、ビリっと気持ちよく破き、僕に目線を合わせて向き直る。


「……面と向かって、言いにくいことがあるなら。こっちでもいいから」

「え……? どういう意味?」


 彼女は僕の質問に答えることなく、僕の片手に先ほどの紙を強引に握らせ、振り向くことなく下車をする。手のひらの紙には知りたくてたまらなかった彼女の名前と連絡先が可愛らしい文字で書かれている。


「……嘘でしょ、カッコ良すぎでしょ」


 出会った日と同じような強引さで、彼女は更に踏み込むテリトリー侵入さえも呆気なく許してくれる。紛れもなく、彼女の強引さは彼女の武器だろう。

 そして、彼女の強力な引き付ける力に、僕は惹き寄せられ、そして惹かれ続けていくだろう。


【Fin.】

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