What am I made of?

蒼城ルオ

紙とペンとワイン

 己を形作るのに必要不可欠なものとして挙げられる要素は、人によって千差万別である。


「終わったー! 脱稿後の美味しいお酒が飲みたいっ! What am I made of? What am I made of? Manuscript papers and fountain penes And a bottle of red wine !」

「はいはい、ご用意しますよ。でもその前にちゃんと食事してください、先輩」


 マザーグースを好き勝手に改変して妙な節までつけて、教養深いのか馬鹿なのか分からない騒ぎっぷりでソファに沈み込むのは、高校から数えてかれこれ両手でも足りなくなってくる長さの付き合いとなった先輩だ。ちなみに素面だ。文庫本で七割方隠れた毛足の長いラグに寝転んでこちらの歩みの邪魔をしなかったところは及第点だが、深夜であることを考えると差引マイナス、週末という情状酌量でどうにか0といったところだろうか。とてもではないが、雑誌でのインタビュー記事で謎めいた空気の中に情熱を一匙加えたようなコメントを寄せる新人賞受賞者とは思えない。最早ソファから起き上がることすら億劫なのか視線だけがこちらを向き、薄い唇が尖る。


「ちゃんと食べてるよ?」

「カロリーメイトとウィダーとエナドリはご飯じゃありません」


 机の上と言わず横と言わず散乱したファイルや新書を棚へ戻す。転がり込んで三年が経つ家が不夜城と化して五日、そろそろ頃合いだろうとノックをせずに扉を開ければ、先輩自身は想定外に順調だったが部屋の惨状が酷かった。後でゴミ袋を持ってこようとまずは空き缶を脇に寄せる。机の下に転がったペンは捜索されるより先に代替わりしたのだろう、同類の立てかけられた筆立てへ。メモ帳の類も軽く整えておく。


「何が食べたいです?」

「生ハムかチーズかチョコ!」

「つまみですね却下」


 一蹴しつつ脳裏で検討。先の赤ワイン発言と言い、肉が食べたい気分で、かつ糖分が足りていないのだろう。冷凍保存してあるビーフシチューはあるが、温めている間に業を煮やすだろう。断りはしたが明日の朝食用のバゲットと一緒にチーズでも与えておいたほうがいいだろう。流石に食べつくしはしないだろうが、もしそうなった場合は明日の午前中に買出しに行こう。すっかり家政婦、いやこれは最早母親か、と息をつきながら、えーだの鬼だの駄々をこねる整った顔を見ないよう意識して年上の幼児を窘める。


「そういう生活してると長生き出来ないんですよ」

「紙とペンとワインのない人生に何の価値があるというのか、いやない」

「せめてこっちに問いかけてください、自己完結しないで」


「――自己完結でいい、自己完結がいいんだよ」


 ふ、と言葉に重みが増す。誘われるように向き直れば、いつの間にやら半身を起こして、穏やかな瞳がこちらを見つめていた。


「紙とペンとワインさえあればいいってのは本気。いい作品作っていい酒飲んで、そんで太く短く生きれば上等。でもさ、君は違うだろ。何か作るのは好きでも、それに人生全賭けするのは怖いし、それが原因で死ぬのはもっと怖いだろ?」


 責めるでもなく、咎めるでもなく。己の才能に驕っているのでも、他の才能を見定めているのですらなく。


「君はそれでいいんだよ。しっかり大地に根差した生活送って、たくさんのささやかなものを大事に抱きしめてれば」


 ただ、彼我に透明で柔らかな線を、ペンで紙に引くよりもささやかで、ワインを零すよりも後に残る線を引く。


「それが、……」


 そして、唐突に言葉が途切れる。先輩の白くて細い指が自身の口元を覆い、数秒前までこちらを向いていた双眸が虚空を浮く。口の中で転がされている言葉は、もう聞き取れない。口を隠す役割をしていない手、先輩の利き手が、何かを探して彷徨う。


「先輩」


 近づいて、紙とペンを渡す。引っ手繰るように受け取ったその手から、世界が生まれる。きっと先輩はもう、すぐ傍にいる人間のことを気に掛けなどしないだろう。食事すらもってのほかだ。喉を通るのは頭を回したことによって足りなくなった水分を補うとき、あるいはそれこそ、酷使によって錆びついた頭の回転を無理矢理に再稼働するために、酒に頼る時だけか。ならば、水差しとグラスを持ってこなければ。全く携帯されていない携帯栄養食の残骸をゴミ箱に放り込んで、振り返る。


「先輩、ひと段落したら声をかけて下さいね」


 ただ一人にだけ向けた言葉は、届かない。だから先輩が、こちらにだけ向けた言葉をかけてくれることは、これから暫くはあり得ない。きっとまた、自分から時機を見計らって声をかけるまで、声も瞳もこちらを向くことはないのだろう。何度も声をかけても鬱陶しそうにされることだけはない、だが、まるで何もいないかのように没頭されるくらいならいっそ詰ってくれたほうがいいと思うのは、おかしいだろうか。ソファ前の足の低い卓に覆いかぶさるようにして書いているために落ちかかった髪を払って纏めてやりたい衝動に襲われて、ぐっと押し殺す。今は誰も、何も、求められていない。求められているのは、書き記すために必要なものだけ。料理でも、気遣いでもない。


 先輩を形作るのに必要不可欠なものとして挙げられる要素は、先刻本人が戯れに口にした通り、紙とペンとワインだけなのだろう。

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What am I made of? 蒼城ルオ @sojoruo

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