あなたに送る手紙

たちばな立花

1

「紙とペンを用意されても、綴る言葉がないわ」


 真っ白な紙を目の前に、お嬢様は器用にペンをくるくると回します。


「思いを綴ればよろしいのです」

「お会いしたこともない婚約者に?」


 お嬢様の婚約者は現在隣国にご遊学中の身。この話がまとまった時には既に国外におりました。その彼から送られてきた隣国の品物に、お礼を送らねばなりません。


 お嬢様はまだ見ぬ婚約者があまり好きではないご様子。彼も色々と噂の絶えないお方の用です。結婚すれば大人しくなるだろうと旦那様は言っておりますが、そうとは思えません。


 しかし、私はこの屋敷に仕えるただの執事。口出しをできる身ではございません。


「お礼のみでも構わないかと」

「絶対、お母様が確認するわ。そうなったら書き直しになってしまうもの」


 何度もペンを取るのも面倒だと、お嬢様は机の上に突っ伏しました。これは長期戦になりそうです。


「では、最近あったことなどはいかがでしょうか?」

「そうね……」


 お嬢様はつらつらと書き始めます。少し悩みつつも、筆を走らせる様子を私はただ黙って見つめているのみ。


 しかし、紙を一枚使い切った時には、少し不満げでございました。


「どうかなさいましたか?」

「もう一枚紙を用意して」


 お嬢様の願い通り、もう一枚差し出すと、また悩みなく筆を走らせます。二度目はあまり長くはないようでした。さすがに覗き込むわけにはいきませんが、遠目から見ても一枚目とは明らかに密度が違います。


 彼女は最後に名前を書くと、筆を置きました。丁寧に折られた手紙に何を書かれたのかは分かりません。


「こちらでよろしいですか?」

「ええ、手間をとらせてごめんなさい」

「一枚目は何がいけなかったのでしょうか?」


 お嬢様は適当に折られた一枚目の手紙に視線を移すと、少し考えるように眉根を寄せました。


「日記みたいになってしまったの。そんなの読んでも楽しくないでしょう?」

「婚約者の日記なら、読みたいと思いますが」

「そんなことしてる暇が有ったら女の子の尻でも追っかけてるわよ」


 彼の噂はお嬢様の耳にも入って来るのでしょう。なんなら、一介の執事よりも詳しいかもしれません。不満が顔に出ております。


「どこかの誰かがここから連れ出してくれたら良いのに」


 お嬢様が小さく呟いて私を見上げました。そんな目をしても、ただの執事には何もできないのです。ただ、彼女の花嫁姿を見送るしかないことを私自身悔しく思います。


「この手紙はあなたにあげる」

「日記をいただいてもよろしいですか?」

「ええ、煮るなり焼くなり好きにして」


 お嬢様はさっさと部屋から出て行ってしまわれました。どうしたものか。折られた手紙をまじまじと眺めることしかできません。日記と呼ばれた代物を読むのはどこか罪悪感が沸きます。


 良いと言われたのだから良いのでしょう。読んでも咎められることはありません。それでも罪悪感は拭えません。


 しかし、興味あるのです。彼女が普段どんな物を見ているのか。


 好奇心の方が勝った私は、四つ折りにされた紙を開きました。


 手紙の中はお嬢様が言うように日記でした。しかし、各所に私の名前が出てくるのです。いつ見ていたのだというような事も書かれております。観劇の帰りの馬車でのできごと、勉強の合間にいれた紅茶の味。


 確かに、これでは婚約者に送るどころか、奥様に見られたら大目玉でしょうね。


 目の前には、紙とペン。


「あとは、勇気が必要そうですね」


 私はまだ温もりの残るペンを握りしめました。

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あなたに送る手紙 たちばな立花 @tachi87rk

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