紙とペンと赤い傘

真城夢歌

紙とペンと赤い傘。

ー五月ー

 その日はとても心地の良い五月晴れだった。

 祖母の入院の知らせを聞き、ちょうど休日だったのでこの大きな病院へと向かった。幸い、大したことはなく、すぐに入院できると医師は言っていた。

 一安心したところで僕はお見舞いの品だけ置いて病院を出ることにした。

 病院を出ようとした時だった。ザーザーと雨が降ったのだ。僕は持っていた赤い折り畳み傘を広げた。

 駐車場を抜けようとした瞬間、僕の歯科医の隅に人影が映った。

 病院の入り口から少し離れた、屋根付きの駐輪場の下にいるのは車椅子の少女と、女性だ。

 僕は気になり、近づいてどうかしたのかと尋ねた。どうやら、庭を散歩していたら突然の雨で病院に戻れなくなってしまったらしい。

 僕は赤い傘を女性に渡し、何も差さずに雨の中を歩きだした。

 

 「え、でもそれではあなたが…。」

 

 戸惑い、僕の後を追い、肩をたたいて「私たちは大丈夫ですから。」といって傘を僕に返そうとした。

 僕は、手を横に振って「家近いんで、風邪ひかないようにしてくださいね。」とだけ言って「でも」という女性を無視して走って家に帰った。

 帰ったころには服はびしょ濡れで、風呂場へ直行した。

 あの人たちは親子だろうか、あのあと大丈夫だったかとても気がかりだ。

 雨はやむことはなく、翌日の朝まで降り続いていたのだった。


 -一週間後ー

 僕はまた祖母のお見舞いに向かった。

 殺しても死なないんじゃないかっていうくらい元気でぴんぴんしていた。同じ部屋だったご老人ともすっかり仲良くなり、むしろ快適な日々を送っていた。

 僕は持ってきたフルーツバスケットを置いて、「くれぐれも看護師さんに迷惑かけないでね。」と言った。

 

 「大丈夫大丈夫!おとなしくしてるわよ。あはははは。」


と、なんとも信用ならない返事が返ってきた。

 大丈夫かな、と思いつつ僕は病室を出た。

 

 一階に行くと、この前の少女が、待合席の脚に車椅子のローラーが引っ掛かり動けなくなっていた。

 僕は「大丈夫ですか?」と声をかけると僕のことを覚えていたのか、はっとした顔になった。

 車椅子を動かすと、彼女は指で何かの形をぱっぱと作り出した。

 手話だろうか。僕には何を言いたいのかわからなかった。

 それを察したのか、彼女は紙にきれいな字で『ありがとうございます。』と書いて僕にそれを見せた。

 そのあと彼女は『わたしははなすことができないんです。すみません。』と付け加えた。

 僕は彼女からペンを借りると、隣に『大丈夫です。部屋まで送ります。何号室ですか?』と書いた。

 そこで彼女は首をかしげた。

 『すみません。わたしかんじをかくこともよむこともできないんです。』

それを見た僕は『すみません。だいじょうぶで。へやまでおくります。なんごうしつですか?』と書き換えた。

 彼女はそこまでお世話になれないと書いたが、大丈夫だって言い聞かせて部屋の番号を聞き出し部屋へ送った。

 そこには昨日の女性が立っていた。

 

 「またご迷惑をかけてしまい申し訳ありません。」


 そういって女性は頭を下げると、彼女をベッドへ戻した。

 この女性は彼女の母親で、彼女は一ノ瀬鈴というらしい。僕と同い年で、何らかの病気で余命三ヶ月らしい。学校にまともに通ったことが小学校低学年以来なく、友達もいないからさみしい思いをさせてしまっていると言っていた。だから漢字が書けなかったのかと納得をした。

 僕と同い年の彼女は本当なら今頃中学校に通っていた。それなのに病気のせいで自由を奪われてしまっていた。

 僕はそれでも元気に明るく生きている彼女に少し惹かれてしまった。


 「また来てもいいですか。」


病室を出ようとした瞬間、僕はそう聞いた。

 女性は一瞬驚いたような顔になった後、直ぐに笑顔になり「いいわよ。」と言ってくれた。


 その次の日、僕はさっそく彼女のいる病室へ向かった。

 百枚入りのルーズリーフを出し、『ぼくはあきもとけい。すずさんとおなじちゅうがくにねんせいです。よければおはなししませんか?』とかいて彼女に見せた。

 彼女は嬉しそうな顔をして『すずでいいよ!よろしくね、けいくん!」と書いた。


 それから僕は毎日毎日病院へ通った。

 話すことは学校であったことや友達の馬鹿話、家庭のことなどだった。

 他愛のない会話だったが、僕はそれが楽しみで毎日通っていた。

 修学旅行に行ったとき、お土産で買ってきた和柄のポーチはとても喜ばれ、八つ橋もとてもおいしいと言って気に入ってくれた。

 ときどき友達を数人連れてくることがあった。

 最初はなんてリアクションされるか怖かったが、意外とみんなすんなりと引き受けてくれ、彼女とも話題を盛り上げてくれたおかげで彼女はより一層笑顔になることが多くなった。

 こうしているうちに祖母は退院し、月日が流れるのを早く感じるようになった。


 『あしたちかくではなびたいかいがあるんだって、ここからでもみれるからいっしょにみようよ!』

そう書かれていた。

 八月中旬。僕の心は完全に彼女にひかれてた。

 余命宣告を聞いてから三ヶ月が経とうとしていた。

 彼女がこの世を去る前に、自分の気持ちを伝えようと思っていた僕に絶好の機会が訪れた。

 家に帰り、僕はなんといえばいいか一晩中考えていた。なんていえばいいかわからなかった僕はとうとう花火の時間が来るまで何も思いつかなかった。


 午後七時半。花火大会が始まった。

 病院に行く途中の屋台で買ったわたあめをわたすと、とても喜んで食べていた。

 鮮やかに散る花火。

 僕は彼女に袖を引かれた。

 『て、つなごうよ。』

突然のことにびっくりしながらも僕は右手を出して、彼女の左手をつないだ。

 心臓は張り裂けそうになるくらいバクバクして、彼女の顔を見ることができなかった。

 僕の心に『好き。』という言葉がぽつんと浮かんだ。そうだ、これだけ言おう。わざわざ長い文を考えなくても気持ちだけ伝えられれば。

 僕は彼女の方を向いた。しかし、彼女はルーズリーフに何かを描く途中で目をつぶって動きを停止している。

 嫌な予感がした。

 僕は恐る恐る手首の脈を確かめた。

 脈がなかった。

 急いでナースコールをすると、急いで医師たちが現れ手術室へと運ばれていった。

 

 「お願いだ。まだ死なないでくれ。」


 僕はそう願った。

 しかし、神は残酷であり僕の願いは受け入れてもらえなかった。

 彼女はそのまま、思いを告げることなくなくなってしまったのだった。

 僕は泣いて泣いて泣きまくって、学校に行けなくなるくらい心は沈んでしまった。

 せめて好きという気持ちだけでも伝えたかった。余命より早く死んでしまった彼女。僕に悲しみの感情が積もった。

 でも、僕の立ち直りは意外と早いものだった。悲しみより、鈴の分まで生きてやるという心が勝ったからだ。

 友人の支えもあり、僕はすぐに復活することができたのだった。


 -二十年後ー


 「あなたー、早くまとめないと業者さんが来ちゃうわよー。」

僕は「ああ、わかったよ。」と、短く返した。

 あれから二十年。僕は医者になり、良い妻と子供に恵まれた。

 今日は新しく建てた一戸建てに引っ越しの日だった。整理をしていると、なかなか懐かしいものもあり、しみじみしているうちに時間ばかりが過ぎていってしまう。

 机の奥からでてきた古い箱を開けた。

 そこに入っていたのはルーズリーフと当時使っていたペンと赤い傘だった。

 僕は懐かしくてついつい開いてしまった。鈴と僕の書いたものを読んでいると、また自然と涙が出てきた。

 最後のページは呼んだことがないものだった。そこには、彼女の思いがつづられていた。


 『けいくんへ

みじかいあいだだったけど、わたしとなかよくしてくれてありがとう。

ともだちがいなかったからすごくうれしかった。

けいくんがきてからとてもたのしかったよ!

あと、わたしはけいくんをいつのまにかすきになってました。

わたしのさいごのわがままとしてきもちをつたえさせてください。

ほんとうにありがとう。

 すずより』


 一気に涙があふれた。

 なにこれ、こんなの反則だよ。

 

 僕は箱にノートと赤い傘を入れて段ボールに入れた。


 僕は、二十年前に彼女が死んだあと、墓に自分の気持ちを書いた紙を置いた。

 ねえ、きみにちゃんと伝わっているかな。


 あの日、雨が降らなければ彼女に出会うことはなかった。

 あの日、車椅子のローラーが椅子の脚に引っ掛かってなければ、また話すこともなかった。

 

 僕らを繋いでいた「紙とペンと赤い傘」そして奇跡と偶然に、ありがとう。

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紙とペンと赤い傘 真城夢歌 @kaguya_hina

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