喰い よる鎮 歌

比良野春太

紙 いによ  魂歌

『 陽に照らされた埃が煌めい いる。

 そこは少女の祖母の書斎兼寝室 、祖母の書斎の窓際は一見ぎっしりと日焼けした薄茶色で風化し一頁一 の手触りがざらり するような本が詰 込まれているがその 太陽の軌道上はし かり本が除けてあり、陽の光線は毎朝規則正しくベッドに眠る祖母の顔を照らしていた 竹の秋が来て風が吹くたび窓にかさり 竹葉が吹き付けられるようにな た季節に祖母は目を覚まさなか た。

 享年百三

 老衰だった。

 美しい文章を書く小説家と て有名だった祖母の死は、大き 新聞の隅を飾った

 祖母の書斎に入った少女は、せき込まずにはいら ない程に積もった埃と部 を取り囲むように設置さ た本棚と、万年筆が綺麗に並 てある机と、堆 積まれた文庫本の搭と 中央にぽつんと置 れた 白い祖父母の二人用のベッドを静かに見つめていただけな にいつの間にか涙を流し いた。

 あんなに優しかっ のに。

 私が文芸部に入ったときには、  の小説がはよ読みたいわあと言ってくれたのに

 文章の書き方も丁寧に教えてく たのに。

 まだ一つも読んでもらってないのに

 嘘 

 どう て。

 どうして!

 涙はとめどなく流れ 、

  れから少女はベッド脇のティッシュで涙を拭った。

 本棚には律儀に『海外文学』『ハウツー』『宗教』『写 集』『純 学』『比較心理 』などというタグが付いており、ぐるっと見回すと実に多種多 な本が取り揃えられていて、文庫本の搭は確か晩年に痴呆に った祖父が積み木遊びの要領で積み重ねて遊んだもの 残しておいたのだと生前に祖母から聞い いる。


 !!注意!!

 

 !!!!これ以降は食べないでください。これは本番ですよ!!!!


 !!注意!!


 

 ふと、

 少女はベッドで隠れてよく見えない部分の壁にも本があることに気付く。

 ベッドを力いっぱい除けてみると――そこには『餌』とタグ付けられた小さな、そして大分古びた木目調のラックがぽつんと置いてあり、そのうちには背表紙に何も書かれていない文庫本程度の黒い本がぎっしりと詰められていた。

「……、餌?」

 餌。

 それはジャンルを示しているのか?

 それとも?

 少女の胸がざわつく。

 振り子時計の秒針の音が大きく聴こえる。

 触れてはいけない、という恐怖と、触れてみたい、という欲望が渦巻き、その渦は祖母の死という事実により激しく攪拌され、気付くと少女は「祖母の遺品を整理する」という理由をこじ付けてその本のうちの一冊を手に取っていた。

 そして、少女は本を開く。


 まず少女の眼に飛び込んでくる色は、銀。

 煌めく銀色。銀。銀。米粒大の銀色が本を埋め尽くしている。

 銀。銀。銀。

 その銀の粒が蠢くのを見た瞬間、少女は本を放り投げた。

 本は枕に落下し、一弾みして掛け布団に受け止められる。


「え、」


 虫だった。

 それも、夥しい数の。

 意味が分からなかった。

 ただただ少女は、してはいけないことをしたのだ、という激しい後悔に襲われ身動きが取れない。そうしているうち、抜き取られた一冊を埋めるようにラックから銀色の虫が続々と這い出た。だからやめておいたほうがよかったんだ、と頭を抱える内に、銀色の虫は布団に埋まっている本へ列を成していた。



 例え少女が「紙魚しみ」や「死番虫しばんむし」という言葉を、そしてその言葉が指し示す本を食らう虫を、予め知っていたとしてもこの状況を理解は出来ないだろう。



「お前は……ああ、孫か」


 そうして布団に埋まった本はさも当然のように喋り出す。

 少女はいつもどおり自分に「起きたことは仕方がない」の暗示を掛けている最中だったので本の言葉をよく聞き取ることが出来なかったが、数瞬の後、自分しかいないはずの祖母の部屋で他人の声が聞いたという異常事態を理解し悪寒が走った。

 泣きたい、と少女は思うが、祖母の死を悲しんだ分で涙は枯れていた。

「お前だよ、お前」

 と喋る本に、起きたことは仕方ない、と三回ほど唱えてから、

 少女はやっとのことで、

「はい……なんでしょう」

 と小さな声を絞り出す。

「ヤエさんは死んだのか?」

 や、え、やえ、ヤエ……ああ、お婆ちゃんの名前だ。

「はい、先日、ここで冷たくなっていました」

「病気か」

「老衰です」

「…………、ああ、そうか。貞雄さんに呼ばれたのかもしれんな」

 貞雄は少女の祖父の名だった。

 しばしの沈黙の後、少女はこの声が本からでなくこの虫たちにより発せられていることに気付く。この小さな一匹一匹が、小さな声を揃えて私に聴こえるような大きさの一つの声を成していたのだ。

 虫たちは、すすり泣いていた。

 皆、一様に、涙していた。

 少女には、虫たちが祖母の死を悲しんでいるように思えた。

 なんで、と少女が言いかけたところで、虫たちがもぞもぞと身の上を語りだす。

「我々の一族は随分とヤエさんには――お前のお婆さんにはお世話になったのだ。

 もう八十年以上も前だが、ヤエさんがここに嫁入りして、無理を言って書斎を作ってもらったとき、我々の祖先が書斎に棲み付いた。

 書斎ほど良い住みかはないからな。

 ヤエさんは虫食い穴に気付いてはいたが、放っておいてくれていた。

 虫もお腹がすいているから、と一人呟いていたな、確か。

 しかしある日、貞雄さんが我々に気付き、ホウ酸で出来た団子で駆除しようとした。半分ほどの同胞が罠に掛かり死に、当時はまだ言葉を解さず知恵もなかった我々もここまでか、と思われたところにヤエさんがやってきて、我々を助けてくれたのだ」

「それじゃあ、あなた方は、その末裔、ということで……」

 言い切る前に、枯れたはずの涙が少女の眼に溢れて、頬を伝った。

 おかしいよ、こんなの。

 ねえ。

 お祖母ちゃん。

 おかしくて涙が止まらないよ。

「そうだ。

 あれから八十年だ。おそらく、もともとヤエさんには魔術、というか、まあ細かいことを言っても伝わらぬとは思うが、そういうものの素養があったに違いない。だから彼女とは幽かだが会話できた。こうしてお前が我々の言葉を聞くことが出来るのも、同じ血を引いているからだろう……。

 ヤエさんは我々に根気強く日本語の教科書を与えてくれた。

 幼稚園児が読むようなひらがなの本から初めて同じ本を何冊も。

 それを食い続けるうちに我々はいつしか言語を理解したのだ。

 それに我々が飽き足らぬと見るや、彼女は自ら文章を綴って我々に食わせた。もうこの習慣は五十年にもなった。色々なインクを、ペンを、筆跡を試して、一番おいしい文字を我々に食べさせようと努力してくれた。この『餌』のラックは彼女が書いてくれた文章が詰まっていたが、もうほとんど食べてしまった。

 小説が好きだ。

 美しい、流れるような文章が好きだ。

 そういう、舌が肥えてゆく我々の期待にヤエさんは答え続けた。

 その代わり――言ってはおこがましいが、お前も知らないと思うが、ヤエさんは生まれつき左目がひどく悪くてな、ここ二十年ほどは右眼も悪くなって視界が相当悪かったらしい。お前の母親はヤエさんが不意に転んだり気躓いたりするのを見てボケはじめたと思ったみたいだが、単に目が悪かったのだ。

 だから我々は代わりに本を読み聞かせ続けた。

 ……お前のことも文章で知った。

 文章を書くのが好きな孫がいるから、私が死んでも大丈夫ですよ、とつい最近言っていたが、まさか、その通りになってしまうとは」


 語り切ったか、紙喰いの虫たちは堰を切ったように泣いた。

 

 ――虫と一緒に祖母の死を悲しむなんて、意味が分からないけど、意味が分からないなりによく分かる。この虫たちは悲しんでいるのだ。


 少女は決意する。


「じゃあ、私が、書きます」

「……それは、本当か」

「はい、でも、書けたことがないんです、小説が。

 途中でいっつもつまらなくなって、投げ出してしまうんです。

 書ききれないんです。

 お祖母ちゃん、私の小説を読んでくれるって言ってたのに、お婆ちゃんが死ぬまでに書ききれなくて、お祖母ちゃんにすごい小説を見せたくって、でもこれじゃだめだって思ってるうちに書けなくなってて、だから、」

 だから。

 ――わたしには書けないかもしれない。

 決意をしたのに、直ぐあきらめそうになる。

 少女はこの自分の癖が嫌いで仕方がない。

 明日は頑張ろうと布団に入っても、朝になれば忘れている。

 面白いと思って書き始めた小説は、朝になればつまらない。

 だから、書けない。

「書け」

 でも、書け。

 紙喰らいの虫たちは声をそろえ、跳ねた。

 一斉に銀色が跳躍し、朝陽に乱反射する。

「書け。

 途中まででも良い。

 ゴミにはするな。

 それは我々の餌だ。

 我々が食べながら推敲しよう。

 お前は小説が書きたい。我々も美味しい文章が食べたい。良い関係じゃないか」

 銀色の光に塗れ、少女は自分の頭を取り巻いていた靄が晴れてゆくのを感じた。

 紙喰らう虫たちはいっせいに移動し、机の上のペンを取り囲んだ。

 どうやら、このペンで書け、と言いたいらしい。

 このペンで流れるように書けば口触りが良くてうまいんだ、と虫が言った。

 また何匹かは、今日は書き終わるまで返さんぞ、と冗談めかして言った。

 それから紙喰らう虫たちはインクをどうするかで喧嘩になってもいた、黒のインクだけでも数十種類のものが取り揃えられていて、それぞれにご丁寧に『朝食用』や『来賓用』などと書いてあったりして、どれを使って書かせるかで虫たちは諍いを起していたらしい。

 同様のことが原稿用紙でも発生していた。


 それから、少女はペンを握って逡巡し、

「……何を書けば良いか、全然決まってないんです」

 と照れ笑いしながら呟く。


 一瞬の静寂の後、紙喰らいの虫たちは大笑いして告げた。

「――じゃあ、これを書けば良いじゃないか」


 虫たちが推敲すると原稿に穴が開いて自分で読み返せないことに気付くのは、また別の話。


(了)』


 あとがき


 お祖母ちゃん

 やっと書けました

 わたしと、お祖母ちゃんの、共通の友人たちのはなしです


 未熟だけど(勢いに任せたから後半力尽きてるって言われました)

 読んでくれたらうれしいです


 最初の部分は、おかしとかん違いされて食べられました


 (了) 

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 喰い よる鎮 歌 比良野春太 @superhypergigaspring

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