紙とペンと私たち

双星たかはる

日ぐらし、机に向かいて

 今日も『し』を考えている。毎日頭がいっぱいなのだ。義務でもなんでもないのだが、自然と思考はそちらへ向かう。

 どうしてだろうね。考えてはみても、答えらしい答えは出ない。そうしている今も、『し』が取り憑いて離れないのだった。


 だいたい、『し』ってなんなんだよ。それを考えることは、しあわせってなんなんだ、と思考することに似ていた。はっきりした形がない。それはなぜか。個個の経験や考えかたにより様相の異なるものだからだ。


 これといった確証がない。それでも紙にペンを走らせる。

 

  しあわせでした。

  これからわたしは


「──だから、なんなん、しあわせって!」

 苛立ってくる。

 論点が完全にずれてしまった。

 パーマでボサボサの髪を掻きむしって続ける。


  しあわせでした。

  わたしは夕日へ向かいます。

  ほおずき色に染まりたい。

  影もろともに飛び込んで、

  この身を焼いてしまいたい。


 ああ、とため息をつく。ペンが転がった。

「どうせ書いても読まれないだろ。読んでもなんとも思われないだろ」

 ひとりごちて、伸びをした。肩のあたりから軽快に音。

 

 なにがどうよければいいのかが、まったくもって判らない。まず共感される定番と言えば色恋沙汰。次に流行りものかな。そうだ、『し』にも共感が必要なわけだ。こんなんだから自分は受け入れられないのか。しかし、自分の『し』に望むのはそうじゃない。もっとこう、なんかこう──


 もどかしさにかぶりを振ると、何度目かのため息をついて、背もたれに体を預けた。


 万人に受け入れられる人間などいない、という言葉が浮かぶ。それは判っている。だからこそ受け入れられたときにはすごく嬉しいし、だからこそ苦しい。理解されないことがとても苦しい。判ってもらえないことが哀しい。寂しい。


『し』は、もっと自由でいいものなのだと思っていた。形はどうあれ、尊厳は守られるものなのだ、と。しかし、それは甘いようで、現実は違って、ある程度パターン化されているように見える。そこからはずれると、誰からも相手にされない。さながら宗教のように。

 

  できれば死んでしまいたい。


 嘆きながらも、妄想の幅を深めながら広げる。

 が、次の行が出てこない。

 思考がすっかり凝固した。


「だけどねぇ、どうしても書きたいんだよ」 

 

 ペン先が折れんばかりに手に力を込める。

 このパソコン時代、わざわざ紙に下書きをするのにも意味がある。粗を見つけやすくするためだ。全体のバランスを見るためだ。なにより、プロっぽくて気分が乗る。


 思うことを文字という形にして書き出して昇華する。いつしか習慣になっていたこと。やがて、書く行為自体を好きになり、俳句や詩にも手を広げるようになった。言葉に接することが楽しく、書くことは己を表現することそのものになっていった。


 誰でもいい。自分自身のことじゃなくていい、自分の書いたものを知ってほしい。目にして、できればリアクションをしてほしい。ささやかな願い。その実、いちばん難しいことでもあるのだけれど。

 この難しさは人間関係と同等である、というのは持論である。


 わたしとおなじように、書くことが大事な表現手段であるという人は少なくないと思う。スラスラ書ける人のそばで、手が止まる人もいるだろう。書いたものをしばし寝かせる場合もあれば、すぐ発表したい場合もあろう。


 なにかを書きたい。作品を発表したい。そう思える限り、誰に縛られることもなく、自由に書けばいい。ほかでもない自分に縛られるかもしれない。それでも、表現したい気持ちがあるなら、書き始めてしまうといいだろう。なんでもいい。始めることだ。


「来たっ、思い浮かびそう!」

 事実は小説より奇なり。ならば事実を書くのもいいんじゃないか。

 時間がかかろうとも、誰かの作品に似ていようとも、自分だけが書き得るものがあると信じて。


  そして朝には風に吹かれます。

  窓から部屋に舞い戻り、

  澄んだ心で横たわり、

  想像という力でもって、

  この世にふたたび生まれたい。

  まっさらになった自分に向けて、

  しあわせについてを教えたい。

  

「……どうしてもしあわせを論じたいのか……」

 自分の思考に笑ってしまう。

 なんなのかを問い出したらまた振り出しだ。

 

 自分をうまく書けていますか。

 文字のなかにしあわせを見るわたしへ。

 わたしたちへ。




20190317

KAC4用書き下ろし

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