枠を超えて広がる世界

岩木田翔海

枠を超えて広がる世界

「形のあるもので形のないものを表現しなさい」


 先生からなぞなぞのようなお題が出された。僕はこれに沿って一枚の絵を完成させなければならない。

 渡されたのは一枚の八つ切り画用紙。今回のお題にその他のルールはない。


 先生の説明が終わると生徒の手はそれぞれ動き出す。

 水彩絵の具にポスターカラー、クレヨンに色鉛筆、さまざまな道具を使って一枚の絵を描き出そうとしている。


 でも僕はカラフルな絵より黒い鉛筆だけで仕上げるモノクロな絵が好きだ。

 これはきっと物語の中にタイトルだけが登場する小説に対して抱く想像力に似ていて、失ったミロのヴィーナスの両腕に馳せる思いとも似ている。

 つまりはことによって無限の可能性を孕み、受け取りての最も納得のいく姿、最も美しいと思う姿に変換されるのである。ようするに、モノクロの絵は色が塗られていないことによって、人によって全く別の色合いに、その人が最も美しいと感じる色合いに見せることができるということである。

 だから僕は色のない絵によって、最高の色を見せることができるモノクロの絵が好きなのだ。


 それゆえ僕の机の上にあるのは濃淡の違う三本の黒色鉛筆だけ。まことにモノトーンな机上である。


 さて、何を描こうか。

 どうせなら今まで見た中で一番美しいものを描きたい。最も色調豊かで情趣を兼ね備えたものを。


 そうだ、あの日の夕暮れを描こう。どこまでも朱い空と、少しずつ青黒くなっていく水平線を。赤、青、黒が絶妙に混ざったあの景観を一色の鉛筆で。

 僕の黒色鉛筆はただの黒ではない。すべての色を混ぜることで誕生する黒色は、黒だけでなく赤や青も包括しているのだ。それゆえ赤も青も排斥したこの紙の上では赤にも青にもなり得るのだ。


 まず最初にあの日の光景を鮮明になるまで思い出す。

 あれは格別な瞬間ではなかった。その映像は、ありふれた日常の一部で、学校から帰る頃の通学路から見た夕暮れ。特別だったことを言うのであれば何気ない日常に眠る美しい一瞬に気づけたことだ。この景色を見たらさっきまで思い悩んでいた重大に思える出来事だって本当にちっぽけなものに見えてしまう。”当たり前”に眠るとてつもないパワーに気づいたのだ。それに気づいた瞬間、僕は感嘆した。美しさに心を奪われた。そしてこの瞬間が僕を支えるようになったのだ。

 あの日から帰り道が楽しくなった。夕方が恋しくなった。雨の日をいっそう恨むようになった。僕の苦しい気持ちの横に圧巻的な夕暮れが座り込んだ。


 そんな思い出さえも、たった一色の鉛筆にのせてしまおう。

 僕の頭の中であの日の光景が、感情が最も鮮明によみがえって初めて描き始める。あの夕暮れの鮮やかな色合い、あの日の感動、いろいろなものを詰めて、すべてを混ぜた黒色の鉛筆で描いていく。


 八つ切りという縛られた場所に、夕暮れの鮮やかな朱、近くを流れる小川の水音、あの美しさに気づいた時の感嘆を描き出す。その瞬間ではなく、その夜に近づいていく夕暮れの映像を描き出す。

 枠からはみ出すように、平面を立体にするように、静止画を動画にするように。


 その繰り返しによってできた一枚のモノクロの絵。僕のあの日の全てを込めた一枚の絵。

 「隠された宝箱」

僕はその絵にそんなタイトルを付けた。



 紙とペンと想像力。これだけあれば何だって描ける。一点を一瞬だけ切り取った写真のようではなくて、枠を超えた世界に時間の流れを添えた一枚の絵おもいでを映し出すことができる。


 形のある鉛筆によって、形のない美しさや感動、思い出を表現することができるのだ。




 さあ、みなさんお気づきだろうか。

 あなたの思い浮かべた「隠された宝箱」こそが、あなたが最も美しいと思う夕暮れであるということを。

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枠を超えて広がる世界 岩木田翔海 @ShoukaiIwakida

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