第110話 再会
エリア・アマゾンの地下で野牛の獣人が見た事実は、すぐさま3Jのところにまで上がった。ジュピトル・ジュピトリスは首をひねる。
「どういう事だろう。人間型の姿がイ=ルグ=ルの体の最小単位とか……そんな訳はないよね」
「姿を変えれば状態も変わる」
3Jは言う。
「理屈は不明だが、とりあえず現状においてイ=ルグ=ルは、物理的にバラバラにすれば消え去る。対処療法で構わない。ダラニ・ダラ」
3Jの耳元に魔女の声が聞こえる。
「聞いてたよ。
「現段階でイ=ルグ=ルが見つかっていないシェルターにも投入しろ。ヤツの力を削れるだけ削る。ベル」
ダラニ・ダラに代わって、パンドラのインターフェイスの鈴を転がすような声が聞こえた。
「はいはーい」
「思念結晶の動きは」
「いまここから見える範囲内にはないよ。地球の裏側に回ってんじゃないかな」
「見えたら撃て」
「ちょっと、そんな簡単に言わないでよね。動く標的を撃つのって大変なんだから」
「おまえに任せる」
「もう、しょうがないなあ」
ベルの返答を聞くと、3Jは立ち上がってドアに向かう。キョトンとしているジュピトルにこう言って。
「俺だってトイレくらい行く」
ドアの外に出て行く背中を見送って、ジュピトルは不思議そうな顔をムサシに向けた。
「気を遣うておるのじゃろう」
ムサシの言葉に、ジュピトルは首をかしげる。
「いまさら?」
「ワシも双子もお主の部下じゃからな。いかにアレでも勝手に使うのは気が引けるのではないか」
ナーギニーがくすりと笑う。ジュピトルは手の空いているナーガに命じた。
「とにかく周囲を警戒しておいて」
「承知致しました」
ナーガは頭を下げた。しかしジュピトルはまだ納得の行かない顔をしている。
納得が行かない、という顔でマヤウェル・マルソは正面のモニターを見つめていた。エリア・アマゾンのセキュリティセンター。椅子の隣には黒髪の少年カルロが立ち、背後には戻って来たアルフレードが控えている。
カルロが苦笑した。
「まあ仕方ない。こういう事もあるさ」
「仕方なくはない。混乱させなきゃ意味がないじゃない」
マヤウェルは、忌々しげに吐き捨てた。カルロは後ろを振り返る。
「アルフレードは敵意に反応するんだ。イ=ルグ=ルに近付ければ、そりゃ倒そうとしてしまうさ」
「だからって本当に倒す事ないでしょ」
「そんな加減はアルフレードには無理だよ」
高い天井を見上げてマヤウェルは言った。
「ジュピトル・ジュピトリスはともかく、あの3Jがこのチャンスを逃すはずはない。一気に攻勢をかけてくる。少なくとも私ならそうする」
「じゃあどうするね。カオスのためには」
マヤウェルは椅子をクルリと回し、アルフレードの方を向くと、靴の
「ヨナルデパズトリ全員に伝えなさい」
マヤウェルはこう命じた。
「イ=ルグ=ルを見つけたら、一体でいいから確保する事。いかなる犠牲も問いません」
目を丸くするカルロ。
「まさか、イ=ルグ=ルを保護しようというのか」
「ええ。ギャンブルってワクワクしない?」
そう言ってマヤウェルは微笑んだ。
デルファイの北の街、ダランガンの外れにある教会の前に、隊商のトラックが停まった。荷台の扉が開いて下りて来たのは、大きなリュックを背負った女が三人と男が一人。
「ありがとう、助かったわ」
女たちは教会へと入って行った。中で迎えたクリアは笑顔でたずねる。
「教会に何か御用ですか」
するとクリアの背後から、リキキマの声が聞こえた。
「お、マダムじゃねえか。どうした」
リュックを肩に担いだマダムがそちらに微笑みかける。
「あらリキキマ様。ご無事で何より」
「無事じゃねえよ。宿無しになっちまったから、ここで間借りだ」
「うちも同じですよ。こちらで人手が足りないって聞いたもので、何か手伝えるかなって思いまして」
「店の潰れた文句なら、ジャックのアホに言ってくれ」
そして不思議そうな顔をしているクリアにうなずいた。
「怪しいヤツらじゃねえよ。このリキキマ様が保証する。ここで使ってやって……」
その目はマダムの背後に止まった。ドレッドヘアーの肌の黒い男。
「誰だコイツ」
マダムは声を出して笑った。
「大丈夫ですよ、うちのお客さんですから。悪い人じゃないんで、連れてきました」
と、そこへ。突然リキキマの背後に人影が立った。どこからともなく現われたのは、栗色の髪のプロミス。
「ただいま帰りました! はあーっ、疲れましたー」
「あ、おかえりなさい」
クリアが微笑みかけ、リキキマもねぎらうように声をかけた。
「おう、戻ったか。マダム来てんぞ」
「え。あ、ホントだ。どうしたんですか、マダ……」
「ボスーッ!」
ドレッドヘアーの男はプロミスに抱きつこうと飛び込んだものの、顔面をリキキマにつかまれて空中に停止した。
「何だおまえぶっ殺すぞこのスケベ野郎」
「いががががっ、ぢがう、ぢがいまず」
「あれ、あんた、リザード?」
プロミスの言葉に、リキキマは振り返った。
「知り合いか」
「はい、私の部下でした」
「ふうん」
まだ少し疑わしい目をしてはいたものの、リキキマはリザードを放り出した。プロミスはその顔をのぞき込む。
「あんた、こんなところで何してるの」
「何じゃないっすよ。ボスを捜してたんすよ。ああ、本当に生きてた。良かった」
泣き出すリザードに、プロミスは困ったような顔で笑った。
「ああ、いや、吸血鬼だから生きてはいないんだけど、まあいいや。あんたも生きてて良かったよ。会えて嬉しい」
すると、リザードはキッと顔を上げた。
「何すか、それ」
「え?」
「何かもうお別れみたいなセリフじゃないっすか。嫌ですからね。オレはもう外の世界は捨ててここに来たんすから、後は死ぬまでボスと一緒っすよ」
「……ええーっ!」
プロミスは慌てて首を振った。
「いやいや、困るから! そういうの絶対困るから!」
「何が困るんすか、可愛い部下のささやかなお願いじゃないっすか!」
「全然ささやかじゃなーい!」
頭を抱えるプロミスに、クリアとリキキマはキョトンとし、ウズメとローラは苦笑を浮かべた。マダムは一人、声を上げて笑い、ハイムは紅茶を入れている。
ジェイソン・クロンダイクは寝室に閉じ籠もっていた。もう終わりだ、自分は世界政府大統領として許されざる過ちを犯した、と。いまは世界そのものが消えてなくなる瀬戸際だというのに。
激しく落ち込んでいたが故に、ジェイソンはなかなか気付かなかった。左手首の腕時計型の端末に、着信の表示が出ている事に。バイブレーションもあったはずだが、慣れてしまって無意識に無視していたのだ。何度目かの深いため息の後、それに気付いたジェイソンが慌てて端末を開くと、その向こうから聞こえたのは妻の声。
「ああ、やっとつながった。ジェイソン、聞こえる?」
悪い予感がする。早鐘を打つ心臓をなだめるように、ゆっくりとした口調でジェイソンはたずねた。
「どうしたんだ。何があった」
「トビーが戻らないの」
息子の名前が出た事に、ジェイソンは目眩がした。思わず顔を押さえる。
「戻らない? いまシェルターの中じゃないのか」
腐っても鯛、曲がりなりにも世界政府の大統領である。クロンダイク家には地下シェルターがあった。わざわざエリア・レイクスの建造したシェルターになど入らなくても、即座に安全に避難する事が出来るのだ。しかし、妻は否定した。
「いいえ、いまリビングで話しているの」
「どうして。すぐに避難しなきゃ」
「だからトビーが戻らないのよ。マーク、知ってるでしょ、トビーのクラスメイトの。彼の家がシェルターに避難してなかったの。それで、さっきのあなたの演説を聴いて、もうシェルターには避難できないって。どうせ危険なら家族で家に居るって。その話を聞いてトビーが飛び出しちゃったの。うちに連れて来るって言って。でも、トビーと連絡が取れなくなって」
妻は混乱していた。声が段々大きく、甲高くなる。
「私、止めたのよ。止めたのに。トビーが戻って来ない。どうしたらいいの!」
「エリー、落ち着け。とにかく君はシェルターに入りなさい。いまそこに居るのは危険だ」
「でもトビーが」
「トビーは大丈夫だ。私に当てがある。信用しなさい」
「……お願い、約束して」
「ああ、約束しよう。だから任せなさい」
妻はすすり泣きながら通信を切った。ジェイソンはしばし目を閉じた後、決然と顔を上げ、そしてベッドの隣にあるサイドテーブルの引き出しを開けた。
寝室のドアを閉じ、廊下を歩き出したジェイソン・クロンダイクの前に、立ちはだかる一本足の影。
「どこへ行く」
しかしジェイソンに臆した様子はない。
「私の職場に戻るのだ」
「いまおまえに用はない。寝ておけ」
「君に指図される筋合いはない。退きたまえ」
「おまえ如きでは俺を退かせられない」
少し考えて、ジェイソンはようやく理解した。
「そうか、盗聴していたのか」
「だとしたら、どうする」
「私は息子を助けなければならない」
「世界を滅ぼしてもか」
「ああ、そうだ」
「ヌ=ルマナが願いを叶えてくれると思っているのか」
「そうだ!」
言うが早いか、ジェイソンは胸のホルスターから自動拳銃を抜き撃つ。迷いはない。腕に自信もある。ただ一つ残念なのは、踏んだ場数が違い過ぎる事。
銃声は一発。だが弾丸の軌道にはもう3Jは居ない。ジェイソンの指が二度トリガーを引くより速く、3Jの杖が下から銃を跳ね上げた。自動拳銃が宙を舞う。しかしジェイソンはそれに目もくれずにしゃがみ込む。足首に隠したリボルバー。それを引き抜こうとした右手を、3Jの仕込み杖が貫いた。
「がぁっ!」
痛みに言葉も出ないジェイソン。3Jは仕込み杖に全体重をかけると、身軽に一本足を浮かせた。そのままジェイソンの立派な
手に刺さった仕込み杖の刀身を抜き、その先を器用にリボルバーのトリガーガードに突っ込んで拾い上げる。同様にして自動拳銃も拾い上げた。
「なあるほどのう」
3Jの背後から声がする。
「えらい長いションベンじゃと思ったら、こういう事か」
3Jは振り返りざまに、二丁の拳銃をムサシに投げ渡した。
「どうするんじゃ、こんな物」
「双子にでも持たせておけ。気休めにはなる」
ムサシは倒れているジェイソンをのぞき込んで言う。
「殺さんのか」
「殺すメリットがあるのか」
「存外に甘いヤツじゃの」
「セオリーに縛られるのは年寄りだけでいい」
3Jは仕込み杖を
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