第88話 天を衝く腕

 星明かりに四本の超振動カッターがきらめく。音のない闇を銀色のサイボーグが飛ぶ。暗視システムは有効だ。ハルハンガイの動きを確実に追えている。だが遠い。時間にしてコンマ一秒以下、距離にして数ミリ、刃の先がほんの少しだけ届かない。



 相手の刃が風を切る音が聞こえる。そう、いまこの聖域サンクチュアリの中で、ハルハンガイにだけ音が聞こえていた。ハルハンガイの耳に届く音以外を消したと言う方が正確だろうか。『宇宙の耳』はジンライの動きを確実に捉えていた。だが速い。時間にしてコンマ一秒以下、距離にして数ミリ、紙一重でかわすのがやっとである。


 いかに相手の動きを捉えようと、それに応じて自動的に体が動いてくれる訳ではない。スピード自慢のサイボーグとは相性が悪かった。思念波でヌ=ルマナを呼んでいるのだが、向こうは向こうで意地にでもなっているのか、応答がない。『宇宙の目』の見通す能力は強大であるものの、単体でそれを使いこなせないというのは、性格面に問題があると言えよう。


 ハルハンガイの耳が捉えるのは、動く相手の発する音だけではない。周囲に反響する音から闇の中に地形図を描くことも出来る。足下につまづきそうな障害物がある事に気付いた。ジンライの超振動カッターをけながら障害物を飛び越える。それが動く可能性に思い至るほどの余裕はなかった。



 倒れたまま、石ころのように身動き一つせず、息を殺して獣人ズマは待った。そしてチャンスはやって来た。ズマの手が伸びる。自分の体を飛び越える、ハルハンガイの足首へと。




 足首をつかまれた老人は、後ろにバランスを崩した。迫るジンライをかわし切れぬと見て、両腕を立てて顔をガード。左腕に食い込む刃。しかし、鋼鉄を切り裂く超振動カッターが半ばで止まった。腕に力を込めると、硬質な音を立てて刃は砕け散る。ハルハンガイの口に笑みが浮かんだ。だが。


 直後、左腕の傷口に寸分違わず叩き込まれる二本目のカッター。深くなる傷、けれどまた砕かれる。と同時に、また叩き込まれる三本目のカッター。音を上げたのは腕の方。ものの見事に切り離された。そして四本目のカッターが、ハルハンガイの左耳を削ぎ落とす。


 世界に音が戻った。




 戦斧が電磁シールドを打つ音が響く。その意味するところをヌ=ルマナは理解した。背後から聞こえるハルハンガイの絶叫。


「おのれ!」


 多少の相性もあるとは言え、ハルハンガイはもろすぎる。相手は魔人ですらないのだぞ。そう心の内で嘆きつつ、ヌ=ルマナは勢いよく3Jに背を向けると、戦斧を構えて飛んだ。その大きな両目がジンライを捉える。超振動カッターは二本、すなわち二本失ったのだ。対してこちらの戦斧は五本、圧倒的に有利と言える。


 状況を一瞬で把握したヌ=ルマナは、ジンライを標的に定めた。このサイボーグの首を取りさえすれば、もはや3Jなど恐るるに足らずと。


 その目の前に、突如出現した壁。止まる事も出来ずに、ヌ=ルマナは激突した。その感触でわかった。これは壁ではない。巨大な背中なのだ。


 しゃがみ込んでいた背中が立ち上がる。オオカミの頭を持つ巨人。デルファイ四魔人の一人、獣王ガルアム。


 馬鹿な。あの四人が魔人モドキを生み出したはず、それと戦ったとして、こんなに早く戻って来られる訳がない。ヌ=ルマナの脳裏をよぎる姿。左目一つの冷たい視線。まさか、こちらの手の内をすべて読んでいたとでも言うのか。


 ヌ=ルマナが姿勢を立て直すより先に、上から叩きつけられる巨大な拳。『宇宙の目』は地面に一度バウンドし、大きく跳ね上がった。


 ガルアムはその勢いのまま体を回転させ、もう一人の敵に手を伸ばす。いかなハルハンガイの怪力といえど、獣王の前では子供も同然、胴体を鷲づかみにされ、そのままヌ=ルマナへと投げつけられた。ぶつかり、もんどり打って転がる二人の神に等しき存在。


 そこに地面から噴き出すかの如く伸びたのは、無数のオニクイカズラのつる。あっという間にヌ=ルマナとハルハンガイを絡め取る。見下ろすのはウッドマン・ジャック。


 3Jが言う。


「ケレケレ、食え」


「良かろう」


 いつの間に3Jの隣に立っていたのか、おかっぱ頭の子供が応えた。ケレケレの口が大きく大きく開く。ブラックホールのような暗黒が広がる口の中に、ヌ=ルマナとハルハンガイが飲み込まれる、かに見えた、そのとき。


 地面が割れた。いや、破裂した。


 ケレケレは弾き飛ばされ、オニクイカズラは根から宙を舞い、岩盤が砕けて吹き飛ぶ。白い噴煙、赤いマグマ。火山の噴火と見紛みまごうばかりの景色の只中、3Jたちは見た。天に向かって突き上げられた、黄金に輝く腕を。


「ガルアム、捕まえろ!」


 3Jの声にガルアムはマグマの中に踏み込み、巨大な腕を抱えた。ガルアムですらやっと腕が回るほどの太さ、長さはガルアムの身長よりもある。


「リキキマは」


 誰に向けての問いであったか、星空を見上げた3Jは、天から降る声を聞いた。


「いま戻った!」


 急降下して来るリキキマの全身から、槍のような突起が現われ、地面に向かって伸びる。マグマを貫き、下へ下へ、深く深く、腕の根元に絡みつく。地面に降り立ったリキキマは3Jを振り返った。


「いいんだな」


「構わん。引きずり出せ」


 リキキマはガルアムに視線を向ける。ガルアムはうなずいた。


「せーの!」


 リキキマのかけ声で、二人の魔人は一斉に黄金の腕を引っ張った。腕は天を震わすうめき声を上げながら地中に戻ろうとするが、パワーではかなわない。しかし。


 突如、地面から突き立つ腕がすっぽ抜けたかと思うと、それは大量の土塊つちくれと化した。


「野郎」


 慌てて突起を突っ込み、地中を探るリキキマ。しかしもう何の気配もない。


「……逃げられた」


 そう舌打ちした。


「こっちも逃げられたのだけれど」


 ウッドマン・ジャックはオニクイカズラの蔓を手にして言った。ヌ=ルマナとハルハンガイの姿はない。


「それはこの際、やむを得ん」


 感情のこもらぬ、抑揚のない声で3Jは答えた。続けてガルアムが問う。


「イ=ルグ=ルだと思うか」


「それ以外の可能性を考えるのは無理がある」


「ならばイ=ルグ=ルにダメージを与えた、と考えていいのか」


「確証はないが可能性はある、としか言えん」


 ガルアムは腕を組んで考え込んだ。


「で、結局のところ」今度はリキキマがたずねる。「どこまで頭の中にあったんだ、おまえ」


「ヌ=ルマナが出て来るところまでだな」


「ハルハンガイの事は考えてなかったのかよ」


 呆れたようなリキキマに、平然と3Jは答えた。


「そんな無茶な想定をするほど馬鹿ではない」


 リキキマの眉が寄る。


「……おまえ、まさかイ=ルグ=ル相手にノープランで戦おうとしてないよな」


「作戦は立てる。だが、相手が想定外の動きをする事は大前提だ」


 その言葉に、リキキマは諦めたようなため息をつき、「マジかよ」とつぶやいた。3Jは夜空を見上げる。


「ダラニ・ダラ」


 闇の中、巨大な老婆の顔が逆さにぶら下がった。


「何だい、またタクシーかい」


「タクシーだ。俺とジャックを森まで運べ。さらと話したい」


「ちったあ遠慮ってもんを知らないかね、この小僧は。今夜アタシがどんだけ働いたと思ってる」


「これからもっと働く事になる」


 そう言うとジンライに目をやった。


「エリア・エージャンに行くか」


 銀色のサイボーグはうなずいた。


「そうだな、超振動カッターをまた調達しなきゃならん。ジュピトルに伝言でもあるなら聞くが」


「いや、構わん。いまはあいつも忙しいだろう」


 そしてズマの方を振り返ると、ガルアムが何やら話しかけている。


「ハイム」


 執事はリキキマの服の埃をはらっているところだった。


「はい、何でございましょう」


「後でズマに飯を食わせてやってくれないか。金は払う」


「いえいえ、その程度の事でしたらご心配には及びません。うけたまわりました」


「頼む」


「何で主人の頭越しに話してんだよ、勝手に決めてんじゃねえぞコラ」


 ムッとしているリキキマに、3Jはこう言った。


「おまえが断る事は想定していない」


「舐めてやがんな、このガキ」


「どうすんだい、行くのか行かないのか」


 ダラニ・ダラとウッドマン・ジャックが待っている。3Jはマントをひるがえし、そちらに向かった。騒動に目を覚ました聖域の住民たちが集まって来ている。後はリキキマに任せるしかない。とりあえず今夜は終わった。今夜のところは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る