第75話 邪神のニオイ
エリア・ヤマトの人口は千二百万。軍隊など保有できる規模ではない。よって軍事的な仕事全般はセキュリティ企業が担当している。当然専門の兵士など居ない。任務の九割方は自動機械が対応していた。
しかし十メートル大の正体不明の敵による破壊行為への対応など、指揮操作マニュアルにはない。もし直前にエリア・トルファンの事件がなければ、初動は遅れていただろう。イ=ルグ=ルの影に怯える心が尻を蹴飛ばした形だ。
それ故に、三機の攻撃ドローンは、とりあえず飛ばした感が強い。搭載しているミサイルは対地攻撃用ではなく、通常装備の対空戦用のままである。だがいまさら基地に戻って換装している時間もない。なあに、
痩せ細った手足に突き出した腹。地獄の餓鬼の如しである。その身長十メートルに達する、頭に二本の角を乗せた巨大な餓鬼は、苦しげな声を上げながら大通りをよろめき歩く。五、六歩進むたび、地面が二、三メートル沈む。ビルの壁も丸くえぐられる。道端にある自動車は、触れてもいないのに潰れて板になり、標識や信号もクシャクシャになって倒れた。
その眼前に、機体を揺らしながら迫る戦闘ドローン三機。交差点の上空で散開しながら対空ミサイルを全弾放つ。真っ直ぐに飛びさえすれば、外れる事などあり得ない距離と角度。しかし。
鬼までおよそ五十メートルという距離まで直進したミサイルは、突如真下に曲がって地面に命中した。炎も煙も上がらない。鬼の足下に水平に光が走るだけ。くぐもった爆発音がかすかに聞こえる。
ミサイルもドローンもタダではない。無闇に使っていては予算がいくらあっても足りない。ましてヤマトのような小さなエリアが、そうそう無駄遣いできる物ではないのだ。だがこの鬼の侵攻を放置しておいて良い訳がない。このまま進めば、いずれ人口密集地に出る。それだけは避けなければ。経験も能力もない指揮官だが、馬鹿ではなかった。
「推定される移動線上の住民への避難指示発令をセキュリティセンターに要請。ドローンは全機機銃による近接攻撃を開始。ぶつけても構わん」
ドローン三機は鬼までおよそ百メートルというところまで近付き、機銃を斉射した。その弾もまた、五十メートルの距離まで飛ぶと真下に落ちる。ただ地面に穴を空けるだけ。弾倉はたちまち空になった。
鬼は苦悶の声を上げると、突然走り出した。バタバタと両手を振って不格好に。だが速い。ドローンが後退する間もなく、あっという間に五十メートルの距離にまで接近する。ドローンは落ちた。稲妻の速度で真下に。まるで巨大な見えない手で叩かれたかの如く潰れた。
指揮官は唖然とした。いったい何が起こっているのだ。しかし考えている暇はない。
「セキュリティセンターに連絡、住民の避難を急がせろ。特殊部隊も警備ドローンも、出せる物はすべて出せ。とにかく足を止めるんだ」
もうそれしかない。他に何も出来ることなどなかった。
デルファイの西の森の奥。深夜、ウッドマン・ジャックの小屋に3Jは押しかけていた。
「ヌ=ルマナかハルハンガイが居るのかどうか聞いてくれ」
ロッキングチェアを揺らすジャックは、そのままの言葉を誰も居ない隣に向かってつぶやいた。そしてうなずく。
「エリア・ヤマトにはヌ=ルマナもハルハンガイも居ないと言っているのだね。ただし」
ジャックはパイプをくゆらせた。
「イ=ルグ=ルのニオイはする、とも言っているのだけれど」
「ニオイ?」
「そう、我が輩たち魔人と同じようなニオイがするらしいのだね」
3Jは考え込む。だが。
「考えるまでもあるまい」
背後から声がした。ズマとジンライの二人と並んで、おかっぱ頭のケレケレが、テーブルでコーヒーを飲んでいる。
「魔人は人類がイ=ルグ=ルの力を使って生み出した存在だ。ならば、あのデカいのもそうなのだろう」
「それはどうだろうね」
そう言ったのはジャック。
「魔人を作るにはイ=ルグ=ルの破片が必要なのだけれど、いまそれは手に入るのだろうかと思うのだけれど」
「だがイ=ルグ=ルのニオイがするのは間違いない。そうだな」
3Jの言葉にジャックはうなずく。「ならば」と3Jは続けた。
「誰かが、何らかの形で、イ=ルグ=ルの破片かそれに近い物を手に入れて使った。そういう事だ」
そしてまた振り返る。
「ズマ」
「あいよ」
「イ=ルグ=ルのニオイはわかるか」
「魔人みたいなニオイだろ。そんならわかるぜ」
ズマの鼻は犬より鋭い。たいていのニオイは嗅ぎ分けられる。
「ダラニ・ダラ」
3Jが呼ぶと、ウッドマン・ジャックの小屋の天井に黒い空間が湧き、そこから巨大な老婆の顔がぶら下がる。
「なんだい、またタクシーかい」
「タクシーだ。俺たちをエリア・ヤマトまで飛ばせ」
「やれやれ、可愛くない小僧だね、まったく」
天井からクモの脚が二本下りてくる。その先に発生した黒い空間に、ズマが、ジンライが、ケレケレが、そして3Jが入る。3Jは振り返ってジャックに言った。
「さらに礼を言っておいてくれ」
そして黒い空間ごと消えた。ジャックはパイプをふかしてロッキングチェアを揺らす。
「自分で言えば良いように思うのだけれど」
その隣で微笑んでいるのは、空色の着物を着た少女、さら。
「照れ屋なのだよ。ワタイは可愛いと思うがの」
「可愛いもんかね。人使いは荒いわ、気は遣わないわ。散々だよ、アタシゃ」
ダラニ・ダラは文句タラタラだ。
「そいじゃ、こんな夜中に騒がせて悪かったね」
そう言い残してダラニ・ダラも姿を消した。
「ワタイには楽しそうに見えるがな」
さらのつぶやきに、ジャックは笑う。
「ぬほほほほっ、みんな素直ではないのでね」
風が窓を叩いている。夜の森に聞こえる音は、もうそれだけ。静かすぎるのは寂しいな、と、さらは改めて思った。
「ここから先は危険です。すぐに避難してください」
警備ドローンが規制線を引いている。警備員の姿はない。巨大な鬼が居る場所までは、およそ一キロのところ。エリア中の警備ドローンをすべて投入しているのだろうか、道の上はドローンで埋まっていた。3Jはズマを見る。
「探せ」
「あいよ」
ズマは規制線をくぐり抜けて走って行く。次にジンライに顔を向ける。
「後は任せる」
「うむ、任せろ」
ジンライはうなずくと、空高く昇って行った。そして3Jはパンドラのインターフェイスを呼び出す。
「ベル」
「はーい、いまそっちに向かってるところ。何?」
鈴を転がすような声が答えた。
「ジュピトルと回線をつなげ」
「りょーかーい」
数秒の沈黙の後、音声回線のつながる音。
「3J? いまどこ」
ジュピトルの声が出る。
「ヤマトだ。見ているな」
「報道を見てる。何をすればいい」
さすがに話が早い。
「ヤマトのセキュリティに介入して警備ドローンのコントロールを奪え。出来るか」
「出来ると思う。他には」
「合図をしたらドローンを一体ずつ化け物に突っ込ませろ。いまはそれだけでいい」
「わかった。すぐに始める」
通信を終えると、3Jはケレケレを見た。
「今回はおまえが頼りだ」
「今回も、ではないのか」
「まあそれでもいい」
そう言って規制線の内側に歩き始める。隣を歩くケレケレが言う。
「しかし、こんな離れた場所でのんびりしておって良いのか」
「叩き潰すだけなら苦労はない」
「おまえが苦労しているところは、あんまり見た事がないのだが」
「放っとけ」
「褒めておるのだよ」
「わかりにくい」
感情のこもらぬ、抑揚のない声でそう話す。遠くから聞こえる地響きと破砕音。巨大な鬼へと向かう二人連れは、知らない者が見れば、ラ・マンチャの男の如きであろうか。
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