第66話 沈黙

 それは隠し部屋。廊下からいくら探しても見つからない。火災報知器のボタンを、ラオ・タオが押したときにだけ壁に開く秘密の扉。その扉に、子供がくぐれる程もある大きな丸い穴が空いている。この穴が『かじられて』出来た物だと誰が思うだろう。


 ケレケレの得たラオ・タオの記憶によれば、部屋の奥にあるのがラオ・タオのデスク。天板の上には何も乗っていない。しかし施錠された引き出しの中には、核ミサイルのコントロールパネルが隠されている。解錠するためにはラオ・タオの手と目が必要だが、ケレケレにはロックを解く必要がなかった。


 ケレケレの口が開く。大きく開く。大きく大きく大きく開く。やがてデスクを丸ごと口に入れた。モグモグと口を動かした後、ぺっ、と吐き出す。


 システムが破壊された場合には、核ミサイルが発射される。けれどシステムが正常に動いている状態で、あらゆるデータが初期値に戻っただけなら発射はされないはずだ。


「とりあえずは、これで良かろう。ではダラニ・ダラ、送ってくれ」


 口を拭いながらケレケレがそう言うと、その姿が消えた。行く先は西の白虎塔地下。核ミサイルの現物をすべて飲み込んでしまえば、無事終了である。




 獣王ガルアムが、ウラン鉱山の坑道入り口を丹念に破壊し終えて工場の中に戻ったとき、失神していたはずの兵たちの姿はどこにもなかった。ガルアムの驚異的な聴覚能力は、外から響く銃声を拾った。撤退をしているのだろうか。こちらもそろそろ撤退だ。


「ダラニ・ダラ、戻るぞ」


 ケレケレは上手くやったろうか、そう思ったときには、ガルアムの体はもうデルファイに戻っていた。




 ビルとビルの谷間の風の通り道、風車の回るすぐ上の低空を、エリア・アマゾンの輸送機が飛ぶ。青龍塔の屋上から脱出したヨナルデパズトリの兵たちは、再びウイングスーツで宙を飛び、輸送機の貨物室へと乗り込んだ。


 一方北部の空港では、もう一機の輸送機が着陸を強行し、空挺戦車二台を回収して離陸したものの、攻撃ドローンの集中砲火を浴び、墜落した。




 3Jたちを回収した後、パンドラは高度四百キロに上昇し、北東へ向かって飛んだ。追撃はない。パンドラの白い表面には、電磁波攪乱処理がされてはいるものの、レーダーに何も映らないと考えるべきではないだろう。大きさや質量を算出できないだけで、場所は特定されている可能性がある。デルファイやエリア・エージャンでは自由に動けるが、それ以外では慎重を期さねばならない。


 パンドラの管制室では、相変わらず世界各地の報道が流れているが、3Jは管理インターフェイスのベルを呼び出して言った。


「トルファンのメディアを可能な限りすべて流せ」


「はーい」


 壁面モニターの一部が赤い枠で区切られ、そこにエリア・トルファンの数社のメディアがネットワーク上に流している映像が出る。


 空を飛ぶ人の影、街中を走る戦車、ビルの中の銃撃戦、燃える輸送機など、一般視聴者の投稿した映像がいくつも流されていた。正体不明の集団による一斉テロ攻撃という論調の報道が多く見られる。先般の世界連続テロとの関連性に言及する番組もあった。


 と、そこへ突然、ケレケレが現われた。ダラニ・ダラが転送したのだろう。


「終わったぞ、一通りな」


「核ミサイルはすべて食ったのか」


 3Jはいつものように、感情のこもらぬ抑揚のない声でたずねた。ケレケレは笑顔で答える。


「食った食った。一発残らず、すべて食った」


「おまえはしばらく、ゲップ禁止だ」


 その言葉に、おかっぱ頭を揺らしながら、ケレケレは声を上げて笑った。


「心配するな。我の腹の中には核物質はない」


「んじゃあ、どこにあるんだよ」


 少し離れて座るズマがたずねる。ケレケレは言う。


「無論、ケルケルルガの腹の中だ」


 ケルケルルガは『宇宙の口』、その巨大な質量が故に、近付いただけで地球が壊滅するという。


「ケルケルルガにとっては、あの程度の核物質、砂粒を飲み込んだのとたいして変わらん」


「凄えな。何でもかんでも放り込み放題じゃねえか」


 ズマの言い様にケレケレは真顔になった。


「ゴミ箱扱いはやめてくれるか」


 そのとき、ズマの隣に立っていたジンライが異変に気付いた。


「3J、これは」


「ああ、始まった」


 エリア・トルファンのメディア各局が同じ映像を映し始めた。画面中央に登場した六十代くらいの女は、崑崙くんるん財団の新しい代表者らしい。長々と何やら説明をしているが、要約すると、こうである。


「今回の一連の攻撃は、エリア・トルファンの核兵器強奪を狙った、エリア・アマゾンによるものだ」


 この場合、アマゾンの名前が挙がった事は、たいした問題ではない。エリア・アマゾンの住民にとっては大問題だろうが、それはキモではないのだ。真に重要なのは、核兵器を保有していた事実を崑崙財団が認めた事である。


 崑崙財団内部にも派閥があったのだろう。今回の事態が発生し、反ラオ・タオ派が実権を握った可能性が考えられる。核兵器の存在を明るみに出したのは、ラオ・タオ派を粛正する一環なのではないか。そう3Jは言った。


「しかし、だとすれば動きが早いな」


 ケレケレは首をかしげる。


「まるでクーデターを起こすチャンスを、ずっとうかがっていたかのようだ」


「うかがっていたのだろう」


 そう答える3Jを、ケレケレが横目で見つめる。


「まさか誰かさんが反主流派に情報を流していたとか」


「俺ではない」


 3Jは言う。


「ラオ・タオに反抗する勢力に情報を流したヤツがいるとするなら、一人だ」


「ジュピトル・ジュピトリスか?」


 そうたずねるケレケレに3Jは首を振る。


「いや」


 そして小さくため息をついた。


「厄介な女だ」




 エリア・トルファンの情報は、一瞬で世界中に広まった。もちろんエリア・アマゾンにも。崑崙財団の新しい代表は会見を続けていた。それを見つめながら、マヤウェル・マルソは微笑んでいる。




 崑崙財団の核兵器保有の告白は、衝撃と共にネットワーク上を駆け回った。誰もがショックを受け、核に恐怖し、権力の暴走に怯えた。世界中がトルファンに抗議し、トルファンの住民を叩く事がトレンドとなる。トルファンの市民は、自分たちこそ崑崙財団に裏切られた被害者であると主張した。そんな中、誰かがつぶやいた。


「結局、スケアクロウの言った通りじゃないか」


 誰もがそれに賛同した。崑崙財団の核兵器保有を言い出したのはスケアクロウだ。それ以前にこの事に言及した者は誰も居ない。スケアクロウは真実を知っていたのだと。


 しかし、その事は別の恐怖を呼び起こした。これまでスケアクロウが言って来た話がすべて事実なら、イ=ルグ=ルの復活も事実なのか?


 いや、それは別だろう。別の誰かが言った。だがそれは根拠のある否定ではない。スケアクロウはこれまで、根拠を提示しながらイ=ルグ=ルの覚醒が近い事を訴え続けて来た。核兵器の話は本当だったのに、イ=ルグ=ルの話は嘘だと言い切れる根拠を、いったい誰が持っているというのか。


 さらに別の誰かが言う。ならば本人に確かめるしかないのではないか。スケアクロウを捜し出して、問い詰めるしかないではないか、と。


 ネットワークでは、再びスケアクロウの正体が議論となった。前回とは違う方向性で。スケアクロウはいったい誰なんだ、どこに居る、頼むから出て来てくれ。そんな懇願にも似た声が高まる。そんなとき、ある者が気付いた。以前はあれだけあちこちにあったはずの、「スケアクロウの正体はジュピトル・ジュピトリス」という書き込みが、すべて消え去っている事に。


 ネットワークの名探偵たちは、ようやくその可能性に気付いた。


「まさかスケアクロウの正体はジュピトル・ジュピトリスで、誰かが彼を貶めようと画策していた……?」




 ジュピトルは沈黙を守っている。いまは自らがスケアクロウだと切り出す絶好の機会であると、わかってはいた。だが待った。何日も、モニターを立ち上げて待ち続けた。そして今夜、ようやくモニターに通話のサインとコール音が。


「はい」


 三コール目で出た。モニターの向こうの声が言う。


「やあ、J。随分と久しぶりな気がするな」


「ネプトニス兄さんが亡くなってから、部屋に閉じこもりっきりですからね。お祖父様じいさまも心配されています」


「そうだな。……それはそうと、おまえはオレに何か言いたい事があるんじゃないか」


「それはお互い様でしょう」


 ジュピトルは微笑んで言った。


「そうですよね、プルートス兄さん」


 画面の中で、随分やつれたプルートスは、フンと鼻を鳴らした。


「おまえのそういうところが気に入らんのだよ」

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