第64話 開幕

 この時代、軍と警察の職務の大半は、セキュリティ企業が代行していた。しかもその兵力の大半はドローンやロボットである。職業軍人という公的な立場が存在しているのは、一部の経済的に豊かなエリアだけ。エリア・トルファンはその一部の筆頭であった。


 デルファイ調査部隊の結団式、国防大臣が指揮官に任命証書を渡している。それを舞台の端の席で見つめながら、ラオ・タオは笑い出しそうになるのを懸命に堪えていた。彼らは今日の夕方までの命。デルファイを壊滅させるための尊い犠牲となる。


 そうだ。ラオ・タオは気が付いた。デルファイには十数発の核ミサイルを撃ち込むのだ。一発くらいは狙いがそれて、エリア・エージャンに落ちる事もあるかも知れない。偶然グレート・オリンポスを直撃する事もあるかも知れない。その可能性は誰にも否定できまい。そう考えるだけで口元が緩みそうになってしまう。いかんいかん。式典が終わるまでは我慢だ。ラオ・タオは奥歯を噛みしめた。




 結団式の後、兵員二十名と指揮官はエリア北側の空港に向かう。ここでエリア・アマゾンの輸送機と合流、補給の後エリア・エージャンに飛ぶのだ。アマゾンから見れば直接エージャンに行った方が近いのだが、受け入れるエージャンの都合を考えれば、輸送機の数は最低限であった方が良い、という判断のようだ。まあ別に構わない。こちらの出費は少ないに越したことはないのだから。


 東の青龍塔に向かう車は、Dの民専用のチューブハイウェイを時速二百キロで走行する。いまや実用の上では人間の運転手は必要ないが、それをあえて乗せるのが富裕層の証である。その隣の助手席に乗った秘書が、通信を受け取った。


「……了解です」


 そして後部座席を振り返る。


「防空識別圏にエリア・アマゾンの輸送機が二機入りました。北部空港に誘導しています」


 ラオ・タオが無言でうなずいた。胸の内でほくそ笑む。さあ、間もなくショーの開幕だ。




 北部空港では、指揮官と兵員二十名がすでに到着し、滑走路脇のエプロンで輸送機の着陸を待っている。進入方向を見ると、遠くに大型輸送機の機影が二つ見えた。ここから高度を下げ着陸態勢に入るはずである。だが。高度が一向に下がらない。このままでは滑走路の上を通過してしまう。指揮官が怪訝な顔で見つめていると、小さな機影、すなわち後方を飛んでいた輸送機が、突然大きく方向を変えた。


 上空で待機するのかと思いきや、そのままどこかに飛んで行ってしまう。どういう事だ。いや、それより前方を飛んできた輸送機の様子がおかしい。後部貨物室が開いているように見える。そう思ったとき。


 大きな四角い塊が落ちた。二つ。それはすぐにパラシュートを開き、滑走路めがけて落下してくる。指揮官はそれを大昔の資料映像で見た事があった。


「く、空挺戦車だと!」




 二機目の輸送機は、一直線に青龍塔へと向かう。中にはウイングスーツを着た空挺兵が乗っている。マヤウェル・マルソは嘘をついたが、兵員の数だけは正確だった。空港に降りた空挺戦車二台に兵員が四名、青龍塔へは二十六名が降下する。合計三十名だ。もっとも、こんな数字には最初から何の意味もないのだけれど。




「どうなっている、説明したまえ!」


 秘書を通してなどいられない、ラオ・タオは直接セキュリティセンターの専用回線に連絡した。センター長は混乱している。


「それが、それがその、戦車が空港から外に出まして、中央通りを北上、道路は封鎖したのですが、えー、封鎖に使ったパトカーやコンクリートブロックを全部乗り越えられてしまい、ついさっき玄武塔の地下道へと侵入を許しました」


「許しましたで済むか!」


 ラオ・タオはモニターを殴りつけそうになった。センター長は怯えている。だがこれは仕方ないとも言えた。国境という概念が消えて百年、各エリアは境界線を意識しないほどに独立した存在となっている。もはや戦車による侵攻など想定外であった。いまの軍隊に対戦車装備など存在しない。サイボーグや強化人間による攻撃に備える方が、はるかに現実的で重要なのだから。


「とにかく、地下工場区画に人員を送り込めるだけ送り込め! 戦車に乗れる人数など知れているのだ、数で圧倒しろ! メモ一枚奪われてはならん!」


「は、はいっ!」


 通信を切ると、ラオ・タオはしばし頭を抱えた。まさか、あの小娘がここまでやるとは。迂闊だった。ウラノスさえ、オリンポス財閥さえ何とかすれば良いと思っていた。そこに意識を集中していたのだ。それが油断を呼んだのかも知れない。


「会長、いかが致しますか」


 助手席から秘書が蒼白な顔で振り返っている。ラオ・タオは顔を上げると、前方をにらみつけた。


「どうもこうもない。青龍塔へ急げ」


 青龍塔には核ミサイルの操作システムがある。失敗だったか。やはり核のボタンは常に手元に置いておくべきだった。他に核を持つエリアがなくとも、こういう事態が起こり得るのだ。これもまた油断と言えなくもない。


 だが、システムが破壊されれば核ミサイルは自動で発射される。目標はデルファイだ。グレート・オリンポスへは落ちないが、それくらいは我慢しよう。ただ問題は、システムが破壊されなかった場合である。


「マヤウェル・マルソめ。いったい、どこまで読んでいるのか」


 ラオ・タオのつぶやきには、怨嗟の念が込められていた。




 ウイングスーツの二十六名が、青龍塔の屋上に取り付いた。急いでウイングスーツを脱ぎ、軽機関銃を手に塔の中へと……入らなかった。


「総員、整列」


 隊長が号令をかけ、他の二十五人は縦一列に並んだ。と、思うと。


 隊員二十五名の足下の影が、両横方向に伸びた。影の中から、左右に二人ずつ、重装備の兵が現われる。一列縦隊二十五人だった兵は、あっという間に五列縦隊百人の兵となった。隊長は一つうなずく。


「総員、突入」




 空挺戦車は地下道を駆け抜け、地下工場区画に入った。戦車の前には防御フェンスなど無意味である。警備ドローンの攻撃如き、蚊に刺さされたほどの効果もない。そして主砲の一撃で工場のドアは破壊され、大きく開いた穴の前に戦車二台が横付けされた。ハッチが開き、中から二名ずつ、四名の兵士が下りて来て、工場の中に侵入する。


 その四名の兵の影も、伸びる。中から四名ずつ兵が現われ、合計二十名となった兵たちが工場内に散らばった。




 ラオ・タオは青龍塔に入ると、一人でエレベーターに乗り、最上階に向かった。エリア・トルファン四方の門塔のエレベーターは、セキュリティセンターで一括管理されている。そのセキュリティセンターがあるのは南の朱雀塔。さすがにそこまで手は回るまい。


 最上階でエレベーターの扉が開くと、たちまち無数の銃弾が撃ち込まれる。だが。すべての銃弾は、叩き落とされた。と同時に、機銃を撃つ四人の兵が斬り倒される。ゆっくりとエレベーターから外に出るラオ・タオ。左右から銃弾が容赦なく浴びせられるも、やはりすべてが叩き落とされた。そして。


 ぶん。


 小さな羽音のようなものがラオ・タオには聞こえた。左右の兵士十人ほどが何者かに斬り倒される。その死体を踏み越えて、ラオ・タオは会長室へと向かった。廊下の角から兵がこちらをうかがった。その顔が斬り落とされる。銃声は止んだ。けれどそれ以上大きな混乱は見られなかった。よく訓練された兵である。ラオ・タオは小さな感嘆を覚えた。そのとき。


「ほほう、珍しいモノを連れておるな」


 それは子供の声。振り返ると、五、六歳くらいの、ジャケット姿でおかっぱ頭の子供が立っていた。


「ただの化け物ではないと見える」




 工場内の警備ドローンはほぼ破壊したようだ。しかし彼らの目的は破壊ではない。核兵器の情報、できれば核爆弾そのもの。放射線被曝の事など考える者は誰も居ない。ただ目的の物を求めて、工場内を走り回る。すると、通路の左右がガラス張りになった場所に出た。そこから見える景色に、兵たちは息を呑む。それこそ爆縮式ウラン型原爆の自動製造ライン。求めていた物がここにあった。


 その目の前に、突然大きな影が現われる。巨大な人の姿、いや、頭部はオオカミのそれだ。巨大な獣人。悪夢の如きその巨体が、不意に足下のベルトコンベアに手をかけた。


 咆吼。


 床から引き剥がされたベルトコンベアは波打ち、うねる。製造途中の原子爆弾が跳ね上げられ、部品が飛び散った。さらに獣人は、手に持ったベルトコンベアを振り回す。すべての機械を破壊せんとするかのように。


「いかん、急げ」


 兵たちは走った。何としても核兵器の情報を持ち帰らねば。だがその背後から銃声が聞こえてくる。セキュリティの戦闘部隊が到着したのだろう。ドローンよりは厄介かも知れない。それでも動揺はない。我らはヨナルデパズトリ。聖母マヤウェル・マルソの最強の剣にして盾なのだ。その統一された意思こそが、彼らの誇りであった。

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