第56話 まがい物

 ここはエリア・エージャン。比較的貧しい家庭が集まる地域ではあるが、街中であることは間違いない。アスファルトで舗装された道路にコンクリートの建物が並ぶ場所。そこにいま、ジャングルかと思うほど大量の植物が生えていた。細い樹々、太い樹々、その間を渡る蔓。しかも驚くべき事に、伸びる速度が目に見える。


 伸び行くジャングルの向こうに、『宇宙の目』ヌ=ルマナが居る。おかっぱ頭のケレケレは小さくため息をついた。


「ここまでは良しとして、だ。さあ、これからどうする。たたみかけるにしても、この先は打ち合わせしていないぞ」


 3Jは言う。


「たたみかけるのはヌ=ルマナの番だ」


 ケレケレが、ドラクルが、ジンライが、ズマが、そしてウッドマン・ジャックが3Jを見つめる。痛いほどの視線の中で、3Jは静かにつぶやく。


「俺たちは耐えるしかない。目を閉じてな」


「幻覚を使うだろうかと思うのだけれど」


 ジャックの言葉に3Jはうなずく。


「使うだろう」


「ならばダラニ・ダラの『網』は使わなくて良いのかね」


「人数が多すぎる。混戦になれば意味がない。それに」


 そう言いかけたとき。バリバリと雷のような音がした。それはジャングルの樹々が斬り倒される音。凄まじい勢いで戦斧が振るわれ、切り開かれて行く。


「ジャック、壁になれ」


 迷いのない3Jの言葉。


「何とも酷い扱いなのだけれど」


 ぶつくさ文句を言いながら、ジャックは前に出る。


「ジンライとケレケレは脇を固めろ。ドラクルとズマは後ろに立て」


 3Jの言葉通り配置についたと同時に、ジャングルの最後の樹が斬り倒される。向こう側から飛びだして来る黄金のヌ=ルマナ。六本の戦斧が、正面に立つジャックに向かう。瞬間的に痛みに備えるジャック。ジンライとケレケレが飛び出した。だが。


「行ったぞダラニ・ダラ!」


 3Jが叫ぶ。


 迫り来るヌ=ルマナの姿が幻覚だとジャックたちが悟ったときには、敵はすでに空に向かっていたのだ。反動で地面がめくれ上がる。秒速にして八キロ以上。第一宇宙速度を超える速さで一直線に飛んだヌ=ルマナは、3Jの声が届くより先にダラニ・ダラまで達した。


 天空にぶら下がるダラニ・ダラの周囲には、人間の目には見えない、糸のような空間のよじれが無数に浮遊している。だが、二度目だ。ヌ=ルマナにはすべて見えていた。六本の戦斧のうち四本を振り、邪魔な糸を絡め取る。そして残る二本の戦斧でダラニ・ダラの頭部を狙った。それを両手で受け止めたのは、さすがに魔人と言える。戦斧の刃は手のひらに深く食い込んだが、痛みを感じている顔すらしない。


「なめんじゃないよ!」


 言い放ったダラニ・ダラに、しかしヌ=ルマナは、ふっと微笑んだ。


 違和感。痛みではない。ダラニ・ダラは両手のひらに違和感を覚えた。それは浸食される不快感。何か異物が体内に潜り込んでいる。手を開こうとした。だが動かない。いや、体も動かない。閉ざされていた空間が解放された。


「おまえ、何をした」


 ヌ=ルマナはその問いに答えない。代わりにこう言った。


「……なるほど、『そこ』にあるのか」


 そして続けてこうも言う。


「魔人の力、貸してもらおう」


 ヌ=ルマナの背後に銀色の光。四本の超振動カッターが襲いかかる。しかし、ヌ=ルマナの姿は消えた。ダラニ・ダラと共に。




「空間圧縮だ」


 3Jはそう言うと、ドラクルを見つめた。


「全員まとめてテレポート出来るか」


「無理」


 即答である。


「なら俺とジャックだけを運べ」


 ドラクルは一瞬ムッとしたが、すぐに小さくため息をついた。


「ハイハイ、わかりましたよ」


 ズマとケレケレとジンライには「後からパンドラで来い」とだけ言うと、3Jはドラクルに向き直る。


「行くぞ」


「いや、行くぞはいいけど、どこまで行くんですか、お客さん」


 困り顔のドラクルに、3Jは言った。


聖域サンクチュアリ迷宮ラビリンスだ」



 聖域、迷宮の前にダラニ・ダラが落ちてきた。その隣にはヌ=ルマナが立っている。ダラニ・ダラはうめき声を上げながら伏せたまま。身動きが取れないようだ。ヌ=ルマナは蔑むような目で一瞥すると、迷宮へと足を向けた。が、その足がすぐに止まる。


 巨大な黒い立方体の前に、少女が腕を組んで立っていた。頭に大きなリボンを乗せた、フリルのドレスを着た少女が。


 ヌ=ルマナは幻覚を見せた。自分が立ち尽くしている幻を。と同時に襲いかかり、戦斧で首を撥ねた。はずだった。けれど振り返ったとき、少女の首は断たれてはいなかった。それどころか何も起きなかったかのように腕を組みながら、横目で嗤っている。


「言っておくが、このリキキマ様には幻覚など通じないぞ。神様」


「ほう」


 六本の戦斧がきらめき、リキキマの全身六カ所に食い込む。その戦斧の刃の先から傷口に入り込むのは、ヌ=ルマナの血。それは相手を意のままに操り、同時に猛毒として身を蝕む。はずなのに。


 リキキマはニッと歯を見せた。


「効かねえよ、バーカ」


 手の先を槍のように尖らせ伸ばし、ヌ=ルマナを突いた。それを紙一重でかわし、距離を取るヌ=ルマナ。六本の戦斧はリキキマの体に残ったまま。その傷からシュウシュウと音を立てて煙が上がり、戦斧を体内に飲み込んで行く。


「なるほど、液体生物か」


 ヌ=ルマナの言葉を、リキキマは笑い飛ばす。


「はい、お利口さん。だったら次はその『宇宙の目』で見通してみな。このリキキマ様に勝てるかどうか」


「神を恐れぬ不遜にして汚らわしきまがい物が」


 六本の手刀に思念波を集め、刃と化す。身構えるヌ=ルマナに、リキキマは目を剥いた。


「そのまがい物が、本物を食ってやろうってんだ。ありがたく思え」

「笑止!」


 ヌ=ルマナは突進する。リキキマはその身を千本の槍と変え、機関銃のように連続で撃ち出した。それをことごとく六本の手刀が打ち払う。ただし払われた槍は地に落ちない。液状化し黄金の体にまとわりつく。そしてすべての槍が打ち払われたとき、ヌ=ルマナの全身を覆う液体は、突如百本の腕となって締め付けた。


「く……ぬ……おのれ」


 腕の表面に少女の顔が現われて笑う。


「終わりだよ、神様」


 百本の腕から無数の牙が生え、ヌ=ルマナの黄金の体に突き立つ。神の体をえぐりながら、強烈な力で締め付け続ける。バラバラに引き千切られるのも時間の問題、と見えたとき。


 空間を震わせる声なき声。風なき風。強大な思念波。


「またイ=ルグ=ルか!」


 リキキマの声がきっかけになったかのように、ヌ=ルマナの体に力がみなぎって来る。食い込む牙を押し返し、締め付ける腕を振りほどき、いや、それどころか黄金の体が輝きを増し、さらに膨張して行く。


 巨大化するヌ=ルマナの体から力尽くで引き剥がされ、リキキマは地面に叩きつけられた。もちろんその程度、たいしたダメージではない。


 しかし三面六臂の神が六つの手のひらをリキキマに向けると、思念波が渦を巻き、次いで球を作った。その中に、液状のリキキマが閉じ込められている。ヌ=ルマナの手のひらが握られた。球は収縮し、リキキマを圧縮する。


 これにはさすがのリキキマもたまらず叫び声を上げた。


「ぎゅええええっ!」


 そのとき。


 また声なき声が響いた。清冽な、もう一つの巨大な嵐。獣王ガルアムの思念波が、イ=ルグ=ルのそれを押し返し、消し去って行く。ヌ=ルマナの巨大化が止まり、リキキマを捕らえていた球が砕けた。


 上空高くから落下したのは、ウッドマン・ジャック。全体重を乗せた二つの拳をヌ=ルマナの頭部に振り下ろす。同時にジャックの全身から根が出た。枝が出た。蔓が出た。それらがヌ=ルマナを縛り付ける。顔だけを出したまま。


「リキキマ」


 不意に現われた3Jが指をさす。


「目を潰せ」


「命令すんな、鬱陶しい!」


 そう言いながらもリキキマの手は二本の槍となり、ヌ=ルマナへと飛んだ。二つの目に槍が突き立つ。神は絶叫した。地面がえぐれ、ジャックの根や枝や蔓がバラバラに吹き飛んだ。そして黄金に輝く姿は消えた。


 リキキマは空を見上げている。


「ありゃ衛星軌道まで行くな」


 そして3Jを振り返る。


「逃がして良かったのか」


「イ=ルグ=ルが生きている限り、ヤツらは不死身だ。殺す手段がない」


 3Jはダラニ・ダラを見つめている。グッタリしてはいるが、何とか起き上がる事は出来そうだ。


 ウッドマン・ジャックは、ぼうっとリキキマを眺めていた。それがリキキマの癇に障る。


「何だよ、何か文句あんのか」


「い、いや、何でもないのだね」


 ジャックは焦って後ろを向いてしまった。


「さあて、終わった終わった」


 最後に登場したのはドラクル。


「とりあえず、しばらく神様はご免だね」


 3Jはうなずく。


「しばらく神とは関わらなくても済むだろう。神とはな」

「……君、何が見えてんのさ。ホント」


 さしものドラクルも、困惑気味である。


 そこにパンドラのインターフェイス、ベルからの通信が入る。鈴を転がすような声。


「全員回収したよ、3J」

「ドローンは回収したか」


「したよ。ちゃんと映ってるかどうかはまだチェックしてないけど」

「すぐやってくれ」


「了解」


 パニックは伝染し、恐怖は拡散する。明日以降、世界は混乱をきたすだろう。それは必要なステップである。ただ生き残るために。

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