第53話 震撼

 空間を縦と横に重ねて三次元方向に立体的な『あみ』を作り、それを地上に張り巡らせた。ダラニ・ダラのやった事を言葉で説明するなら、そうなる。『宇宙の目』ヌ=ルマナといえど、この網に触れずに移動する事は出来ない。触れれば網は振動し、その振動はウッドマン・ジャックに伝わるのだ。


 ジャックは目を閉じて静かに前に進む。その足下の地面がざわめき、草の芽が出て葉が伸びる。バクダンホウセンカが、オニクイカズラが、そしてモウドクハコベが地面を埋めて行く。


 数歩歩いたところで、爆発的な突進。岩が飛んで来るようなものである。ヌ=ルマナは跳んでかわした。しかしそこには覆い被さるように伸びたモウドクハコベが。ヌ=ルマナの手刀がこれを切り裂く。その切り口から吹き出る強酸性の猛毒の液体。落ちた地面には大穴が空いた。けれど『宇宙の目』はこれをすべて見切り、かわして上に出た。はずだった。


 ヌ=ルマナは頭をぶつけた。天井に。星空に天井だと?


 そこに大きな破裂音。バクダンホウセンカの実が弾けた音。もちろんヌ=ルマナはすべてをかわす。つもりだった。その足に、見えない何かが絡みついていなければ。

 飛んできた種を手刀で叩き落とす。三発ほどくらったが、この程度の衝撃で体がどうこうなるはずもない。曲がりなりにも神の肉体なのだから。ただし神なればこそ、心理的ダメージは小さくなかった。


「見えてるだけじゃダメさね」


 見えない天井にぶら下がる、ダラニ・ダラは鼻先で笑った。


「おまえにゃ見えてる事のすべてを理解する頭がない。おそらくは、その頭の部分に座るのがイ=ルグ=ルなんだろうけどね。まあ、運がなかったと諦めな。この閉じた空間の中で滅びるんだよ、神様!」


 ダラニ・ダラが目に見えない『何か』を放つ。何かを放っているのは見えるのに、その正体が何なのか見通せない。慣れれば、あと何回か見る事が出来れば、きっと見通す事が出来るだろう。だが初見では、体に絡みつくそれが何なのか理解出来ない。


 オニクイカズラの蔓が襲いかかる。普段ならば簡単にかわせるノロマな動きがかわせない。体に何重にも絡みつく、鉄の強さを持った蔓。それがしなった、と思った瞬間、ヌ=ルマナは地面に叩きつけられていた。地面に広がるモウドクハコベ。噴き出す強酸性の液体にヌ=ルマナの全身は曝される。一瞬で溶ける毛皮のコート。煙を上げて浸食される神の肌。


 無論、神の肉体は不死身。酸が溶かしてもすぐ再生する。だが無限に続く溶解と再生の繰り返しは、耐えがたい苦痛を与えた。神が悲鳴を上げる。その声は世界を震動させ、震撼しんかんさせた。


「やかましいね!」


 ダラニ・ダラが両手を振るうと、ヌ=ルマナの肉体は百以上の断片に分断された。それらを一つ一つ、別の空間に閉じ込める。


「これでも死なないってんだからね、厄介な相手だよ、まったく」


 声は途絶えた。しかし世界の震えは止まらない。


「……何だい、こりゃ」


 世界が、いや、地球が震えている。体感震度にして三クラスの長い長い地震が、全世界で同時に起こった。震源は、核。そして、さらに。


 ダラニ・ダラの作った、閉じた空間。それが揺れた。地震の揺れではない。家が嵐に襲われたかのような、そんな揺れ。目には見えない天井に亀裂が走り、割れ、破れる。強風が空間の中に吹き込んで来る。なのに草木は、ピクリともそよがない。吹きすさび荒れ狂うそれが、大気の移動ではない事の証左。天井も、地面に広げた網も、そしてバラバラにしたヌ=ルマナの体も、みんな吹き飛ばされてしまった。


「何て馬鹿デカい思念波だい」


 ダラニ・ダラは呆れたようにつぶやくと、地面に下りて身をかがめた。ウッドマン・ジャックも片膝をつく。


「これが、いまのイ=ルグ=ルの力なのかね」


「いまのうちに引きずり出して始末したいって3Jの気持ちがわかるだろ」


 ジャックはうなずいた。


「我が輩は、ちょっと甘かったのかも知れないと思うのだけれど」


「まあ、甘かったのはおまえだけじゃないさ」


 ダラニ・ダラも苦々しく笑った。


 そのとき、思念波の嵐は不意に止んだ。夜の森にはまた虫の声が響き、空には静かに星が瞬いている。


「……終わったかね」


 ダラニ・ダラの言葉に、ジャックは少し放心しているかのようだった。


「そのようだと思うのだけれど」


「とりあえず、今日のところは終了ってか。まったくありがたいねえ。そいじゃ、アタシゃ帰るとするよ」


 疲れ切った様子のダラニ・ダラに、ジャックは声をかける。


「3Jの様子は見て行かないのかね」


「目ぇ覚めたら連絡をおくれ。それまではおまえに任せるよ」


 ダラニ・ダラは宙に浮き上がり、すうっと闇に食われるように消えた。


 ウッドマン・ジャックは地面に落ちていたパイプを拾い上げて、吸い口を服でゴシゴシとこすると、小屋の中に戻って行った。




「うああああああっ!」


 全身を痙攣させ、叫びのたうち回るヴェヌを、オーシャン・ターンは抱きしめた。


「どうした、しっかりしろ、ヴェヌ!」


「脳が、脳が焼ける!」


 部屋の照明が明滅し、モニターが勝手に立ち上がったり切れたりしている。窓のガラスが振動し、高周波を放つ。耳の奥が痛い。いったい何が起きている、オーシャンがそう思っていると、不意に部屋が真っ暗になった。ヴェヌも落ち着き、静寂が辺りを包み込んだ。


「……呼んでいます」


 闇に漏れ出すヴェヌの声。


「呼んでいる? どういう事だ」


 オーシャンの問いが聞こえたのかどうか。ヴェヌは恍惚とした声でこう言った。


「イ=ルグ=ル様が呼んでいます。我らの助けが必要だと」




 その目に見えない嵐は、世界中を駆け巡った。世界各地で原因不明の停電が起こり、突然絶叫して倒れる人々が続出した。ある者は集団ヒステリーだと解説し、もしくは何らかのテロではないかと主張する者もあった。


 そんな中、ネットワーク上の一部では、期待を口にする者たちが居た。ヤツがまた現われるのではないかと。世界各地で何か大きな事が起こるたびに、それを百年前の神魔大戦で滅びた怪物、イ=ルグ=ルに結びつけて、その復活を警告する者。男か女かは知らないが、こんな大きな話題にアイツが食いつかないはずはない。


 ハンドルネームは『スケアクロウ』、世の大半はその言説を馬鹿にしながら、同時に楽しんでもいた。イ=ルグ=ルの復活などあり得ないと思いつつ、けれどどうやって情報をかき集めたのか、検証可能なデータを織り込んだ、真に迫った文章力に圧倒される者がジワジワと増えていた。


 自分はイ=ルグ=ルへの恐怖などない。だが、イ=ルグ=ルの復活を恐れ、その恐怖を煽るヤツが居る事は知っている。そういう層が間違いなく一定数存在しているのだ。それは自然とイ=ルグ=ルの話題を増やし、イ=ルグ=ルにまつわる情報が垂れ流される事をネットワークに要求する。いま、ネットワーク上にイ=ルグ=ルの話題が存在する事は、当たり前の状態になりつつあった。そして。


「出た!」


「来たぞ」


「スケアクロウが現われた!」


 人々の期待に応えて、スケアクロウは登場した。『イ=ルグ=ルによる思念波攻撃』というタイトルと共に。



 丸い天井。どこだ。記憶にある。3Jはベッドで身を起こした。ターバンもマントも身に着けていない。杖はベッドサイドに立てかけてあった。まだ少し混乱しているが、ここがウッドマン・ジャックの小屋である事は、まず間違いないだろう。だが何故ここに。


 3Jは下着姿のまま、杖を手に立ち上がった。多少ふらつきはあるが、動けないほどではない。そのまま外に向かう。


 小屋の前ではジャックがロッキングチェアに揺られながらパイプを咥えていた。


「おお、起きたのだね。予想より随分早いのだけれど」


 そう笑顔で声をかける。


「俺はどれくらい眠っていた」


「丸一日半だね」


 3Jは難しい顔をしている。ジャックは笑った。


「ぬほほほほっ、そんな心配はしなくて良いのだね。何も起きなかった訳ではないけれど、何が起きたのかはこれから説明してあげるので」


「……すまん、世話になった」


「まったくね、案山子の帝王が過労死だなんて、笑い話にもならないのだね」


「俺はやはり、死にかけていたのか」


「そう話したのではないのかね、さらが」


 そのときの3Jの顔。ジャックは思わず噴き出した。


「ぬほほほほっ! まさか君がそんな顔をするとは、思ってもみなかったのだけれど」


「何故……何故おまえが、さらの事を知っている」


 するとジャックは3Jの目の前の、何もない空間を指さした。


「だって、ここに居るのだから」


 3Jは当惑した顔でジャックを見つめ、魔人は満足げに微笑む。


「君はそういう意味では普通の人間だからね、見えないのは仕方ないのだけれど、神様はここに、実際に居るのだね」


「そういうものなのか」


「そういうものなのだね」


 3Jは一度目を閉じると、深くため息をついた。


「……それで。さらはいま、何か言っているか」


「ふむ」


 ジャックはしばらく宙を見つめたかと思うと、驚いた様子を見せた。


「ほう!」


「どうした」


「ヌ=ルマナがいまどこに居るか、わかるって言ってるのだけれど」


 ウッドマン・ジャックは見た。ついさっきまで疲れ果てていた少年が、五人目の魔人へと戻っていくのを。いつもの目で、3Jが見つめた。


「教えろ」

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