第29話 復讐の終わり

 いま二液混合式爆弾『バルカン』は一人二十五セット、七人が持つ。グレート・オリンポス地下の鉄骨柱は四本一組で、コンクリートの中に埋まっている。計算上はバルカン五つで、この四本の鉄骨柱をへし折れるはず。つまり理屈の上では、最大百四十本破壊出来る。目標数は半分の七十本。それでこの巨大ビルを崩壊させられる。


 ヘルメットのライトがコンクリートの柱を照らし出す。若い男はバルカンのブロックを二つ取り出し、結合した。後は接着剤で柱に貼り付けるだけ。しかし。その腕を、誰かが握った。


 いつの間に隣に立っていたのか、黒いスーツに白い手袋の男が。


「うわっ……」


 しかし見えたのは一瞬。次の瞬間、若い男の姿は地下から消えていた。まさか地下の底から地上数百メートルの上空まで飛ばされたとは、本人ですら気付かなかっただろう。グレート・オリンポスの傾斜した壁面に叩きつけられるまでの数秒間に、彼はいったい何を見たのか。


 地下の『プロメテウスの火』のメンバーたちに動揺が走る。いくつものライトが闇に映し出す、背の高い短髪の細い男。黒いスーツに赤いネクタイ、真っ白な手袋。それがネプトニスの執事であり、セキュリティセンター長代行であるトライデントだと気付いたのは、プロミスが最初。どこから入って来たのかはわからないが、いまは詮索している場合ではない。


「撃て!」


 皆、持っていた銃のトリガーを引く。だが銃弾が届いた瞬間には、もうトライデントの姿はない。ナイトウォーカーが叫んだ。


「気をつけろ、テレポーターだ!」


 その直後。


「ああっ!」


 ライトが声の方を照らす。仲間の一人が後ろ手にねじ上げられていた。その姿がスッと消えた。プロミスはそこに立っていたトライデントに銃口を向ける。


「どこへやった」


 しかし無反応。一、二、三秒経って、ようやく小さく口元を歪めた。


「もう潰れている」


 そして上着のポケットから懐中時計を取り出して、冷淡な口調でこう告げた。


「戦闘班が到着している頃だ。あのサイボーグは、しばらくここには来られない。終わりだな、あきらめろ」


 ナイトウォーカーが前に出た。


「私に任せてもらおう」


 その全身が、闇に溶けて行く。トライデントは不快げに眉を寄せた。


「ほう」


 懐中時計をポケットに戻し、目を細める。暗闇が凝縮し、やいばとなってトライデントに襲いかかった。しかし、当然のように姿が消える。闇の中、どこかから風を切る音だけが幾重にも響いていた。


「いまのうち、バルカンを仕掛けて」


 プロミスの声に、皆はまた動き出す。すくむ足を前に進めた。だが。


 赤い閃光。


 それは地下空間の天井を破り、床をえぐった。見上げれば、直径二メートルほどの穴。その天空につながる穴から、音もなく静かに下りてくる四人の影。プロミスは目をみはった。


「ジュピトル……」


 降り立ったジュピトル・ジュピトリス。周囲を固めるのはナーガ、ナーギニー、そしてムサシ。


 ジュピトルに向けられる、いくつもの銃口。だがナーガの目が光る。見えない力に吹き飛ばされるように、銃はもぎ取られた。ナーギニーの目が輝く。脳が絞られるような激痛が頭に走り、プロミスたちは次々に倒れた。しかし倒れないハーキイ・ハーキュリーズ。


「こ……の」歯を食いしばる。「化け物があっ!」


 飛びかからんとするハーキイの足を、ムサシが払った。手をつき一回転するハーキイに、ムサシが高速で迫る。だが強化装甲をまとったハーキイは、スピードでもパワーでも負けはしない。ムサシの突きをかわしながら、回し蹴りを放つ。


 それを紙一重でかわすムサシ。けれどその体勢を立て直すより早く、ハーキイは手刀を突き入れた。はずだった。なのに轟音と共に、その背を床に叩きつけられたのは、ハーキイ。


「速い。確かに速い」


 ムサシは残念そうに言った。


「だが、雑じゃな」




 トライデントは焦れていた。ナイトウォーカーの刃をかわすのには、さほど苦労しない。とは言え、無限回数のテレポートが可能な訳ではないのだ。体力にも限界がある。そろそろ、何とかしなければ。




 ナイトウォーカーは焦れていた。トライデントを攻めるだけなら、さほどの苦労ではない。とは言え、永遠に闇に溶けている訳には行かないのだ。体力にも限界がある。そろそろ、何とかしなければ。




 何十回目かのテレポート。トライデントが姿を現したとき。


「来た」


 声が聞こえたかと思うと、トライデントの全身から、炎が吹き上がった。


「くうっ!」


 苦悶の声を上げ、倒れ込むトライデント。炎に照らし出される、ミミの姿。


「いまだよ」


 ミミの言葉はナイトウォーカーに向けられたものだったのだろう。だが。


 空間が振動した。


 音は聞こえない。それでも振動は伝わる。ミミは吐き気を催し、トライデントの炎は消える。ナイトウォーカーは闇から姿を現し、苦しげに膝をついた。


「ミスター・トライデント、助かりました」


 その声と共にライトが点く。その光の向こうには、二つの人影。ダイアンとヘリオス。


「私をおとりに使ったのですか」


 不満そうな顔で立ち上がったトライデントに、ライトを持つダイアンは満面の笑みで答えた。


「せっかく連絡をいただけたのですから、機会は有効に使いませんと」


 ヘリオスの手には、拳銃のような、しかしそれにしては大きな、ずんぐりとした物が握られている。これが高指向性音波砲。人体に有害なレベルの超低周波を発生させる携帯兵器。対ナイトウォーカー用の切り札と言えた。


 一方、ダイアンの手にあるのは普通の拳銃。野獣を倒せるレベルの強力な銃弾が装填されてはいるが。それをミミの頭に向け、ナイトウォーカーにたずねる。


「決まりなので一応尋問します。ビッグボスについて話す気はある?」

「ない」


 即答。「そう」とだけつぶやいてダイアンがトリガーを引く。いや、引こうとした。だが。風のように闇を走った戦斧が、下から銃を跳ね上げた。ダイアンの反射速度がなければ、腕を切り離されていただろう。


 次の瞬間、ミミとナイトウォーカーの体は床へと吸い込まれた。ジージョの仕業だ。あっと声を上げる間もない。アシュラの戦斧は、ダイアンに向かった。それが止まった。止められた。銀色のサイボーグの握る、超振動カッターに。


「行きがけの駄賃と言うヤツだな」


 ジンライは面倒臭そうにそう言った。




 ハーキイはジュピトルを狙おうとする。だがムサシが立ちはだかる。おかしい、何故だ、スピードもパワーも上回っているはずなのに、どうして圧倒出来ない。


「上手く行かんのは当たり前じゃ」


 ハーキイの何十回目かの連続パンチをまた紙一重でかわしながら、ムサシは余裕綽々しゃくしゃくといった風にこう言う。


「自分のスピードに目が慣れておらん。自分のパワーに体が慣れておらん。つまり使いこなせておらんのだ。ド素人のような初歩的なミスじゃな」


「ほざくなジジイ!」


「それが慢心であれ焦りであれ、おまえさんは精神的な部分をもっと鍛えねばならんようじゃの」


「だま……れ」


 異変に気付いたときにはもう遅かった。視界の端に点滅するアラート。強化装甲のバッテリー切れ。酷使し過ぎたのだ。動かない強化装甲など、もはやただのかせでしかない。左手首の緊急脱除スイッチを押す。強化装甲はハーキイを解放するかのように外れて落ちた。


 疲れ切ったハーキイは愕然と膝をついた。それを見て、ジュピトルはプロミスに目を向ける。


「もう終わりにしよう、プロム」


「いやだ」


 プロミスは駄々をこねる子供のように首を振った。ジュピトルは言う。


「君は負けたんだ」


「負けてない。私はまだ負けてない!」


「いいや、君の負けだ。君はもう勝てない」


「嘘だ! 全部嘘だ! 私は許さない、おまえたちを絶対に許さない!」


 ジュピトルはそんなプロミスの両肩を強く握った。


「……じゃあ、一緒に死のうか」


「……え」


「憎しみを手放せないのなら、それでいい。でも、これ以上君を放ってはおけない。君は僕が死ねば満足なんだよね。なら、僕と一緒に死のう。それがいい」


 その満面の笑顔に、プロミスは言葉が出ない。ムサシも、ナーガとナーギニーも、呆気に取られている。けれど。


「だから間抜けだと言う」


 感情のこもらぬ、抑揚のない声。


「多少迂闊ではなくなったが、こんなに間抜けでは、まだ話にならん」


 明かりの中に姿を現す、一本足の影。


「3J。どうしてここに」


「戦闘衛星を動かして気付かないと思うか、間抜けが。やれ、ズマ」


「あいよ」


 3Jの後ろにいたズマが、突然ハーキイの腹を殴る。そして。


「よいしょっと」


 気を失ったハーキイを左肩に担いだかと思うと、そのままプロミスの隣に立つ。


「おめえもな」


「え?」


 プロミスの腹も殴り、その体を右肩に担ぐ。


「3J、何をするんだ」


 抗議の声を上げるジュピトルを横目でにらんで、3Jは背を向ける。


「人質だ」


「人質?」


「こいつらの命が惜しければ、俺のために働け。おまえにはそれくらいが丁度良い」




 超振動カッターはアシュラの戦斧の柄を叩いた。だが切れない。アシュラは笑う。


「ここここれは高いヤツだからな!」


「そうか」


 そのままジンライの超振動カッターは、アシュラの手元へと滑った。握る指が切り落とされる。


「はうあっ!」


「終わりだ」


 しかしそのとき、アシュラはマントの下から何かを取り出す。ジンライが斬る。そこから吹き出る大量の煙。電磁煙幕である。構わずジンライは踏み込んで超振動カッターを振るったが、手応えはない。


「逃げたか」


 そこに闇の向こうからかかる、抑揚のない声。


「ジンライ、終わったか」


「ふむ。まあ、今回は仕方あるまい」


 ジンライはダイアンとヘリオスを振り返る。


「後の事は任せる」


 そして現われたときと同様、風のように去ってしまった。


 ダイアンとヘリオスは顔を見合わせた。トライデントの姿はすでにない。闇の向こうには明かりが灯り、ジュピトル・ジュピトリスらしき姿、そして倒れている『プロメテウスの火』のメンバーたち。


「手錠の数、足りるかなあ」


 そうダイアンはつぶやいた。

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