第22話 確信
夜の闇に溶けたナイトウォーカーの姿は、視認できない。闇の刃の攻撃も同じく。しかしジンライの超振動カッターはそれを確実に受け止めていた。
いかなる能力によるものであろうと、『切断』という現象が発生する以上、そこには物理的な『何か』が存在する。目には見えなくとも空気中を移動すれば、音は生じざるを得ない。たとえ振られた先端が音速を超えようとも、根元の速度はたかが知れている。ジンライの研ぎ澄まされた耳は、その動きを確実に捉えていた。
だが、耳に聞こえる音が、そして刃を受ける感触が変化した。
「増えたか」
目に見えぬ刃の数が、二本に増えている。いや、四本に増えた。次の攻撃では八本に、さらに次の攻撃では十六本になった。攻撃が重くなる。それでもジンライに慌てる様子は一切なかった。増えると言っても無限に増やせる訳ではなかろうと見ていたのだ。事実、刃は十六本より増えなかった。それに。
「貴様、弱い相手としか戦った事がないのだな」
攻撃は単調であった。刃は十六本あるが、十六箇所に同時攻撃する訳でも波状攻撃を仕掛ける訳でもない。すべて一箇所に集中している。ならば防御も一箇所に集中できる。これまで外の世界では、姿を闇にさえ溶かせば、後はどうとでもなったのだろう。だがデルファイでは、それも疾風のジンライの前ではそうは行かない。
「拙者もヒマではない。そろそろ終えるぞ」
それはまるで死刑宣告のように。
「そういう訳ですので」
ハイムは言った。
「どういう訳か、サッパリわかんないんですけどお!」
ミミはジージョを背中に回しながら後退した。ハイムはゆっくりと迫る。
「あの闇の方とあなたのお二人は、デルファイの摂理に従っていただきます。生きるも死ぬも、あなた方次第。ですが、そのお子様はいけません。デルファイの摂理の外側にいらっしゃる。申し訳ございませんが、死んでいただかないと」
「だったら出て行くから! あたしたち三人とも出て行くから!」
「それも許されないのです。重ね重ね、申し訳ございません」
「それなら」
ミミの両目が光る。それは太陽のまぶしい輝きではなく、真っ赤に焼けた鉄の、ほの暗い光。
「おまえが死ね!」
その途端、ハイムの全身から勢い良く炎が立ち上った。
「どうよ、生きたまま焼かれる気分は!」
目を光らせながらミミは笑う。
「おお、これはこれは」
しかしハイムには毛の先程の動揺もない。
「生体発火を操られるとは。また厄介な能力ですな。ところで、一つ質問しても良いでしょうか」
「な、何よ」
怯むミミに、ハイムは満面の笑顔でたずねた。
「この状態であなたが死んでも、炎は消えないのでしょうか」
ミミは風を感じた。後ろに何か居る。固く鋭い物が打ち付けられた音。振り返れば、ナイトウォーカーの背中が見える。闇から姿を現したのだ。その両腕を刃とし、ジンライの超振動カッターを必死に受け止めていた。
「攻める事ばかりにかまけて、稚拙な守りを放置した末がこれだ」
ジンライは前に出た。超振動カッターがナイトウォーカーの刃に食い込む。
「くっ!」
ごうごうと燃えさかるハイムがミミに迫る。
「では、お覚悟を」
そのとき、ミミのブルゾンを、ナイトウォーカーのジャケットを、ジージョがつかんだかと思うと。
すとん。
間抜けな音と共に、三人は地面の中へと消えた。それと同時に、ハイムの炎も消える。
「ほうほう、これはこれは」
心底感心したハイムの声。
「壁抜けが出来ると思いきや、まさか地面まで抜けられるとは」
「いかがされる。捜し出して抹殺するのなら、3Jにも声をかけるが」
そう言うジンライに、ハイムは困ったような笑顔で首を振った。
「まあ、たまには想定外の幸福というのもあって良いでしょう。お嬢様には私からお伝え致します。ご協力ありがとうございました」
一分半ほど後、太陽の照りつける荒野にジージョは現われた。地面の中からミミとナイトウォーカーを引っ張り出す。
「ここ、どこ」
ミミの問いに、ジージョが答える。
「たぶん、エリア・エインガナの近く」
「それどこよ」
「オーストラリア大陸」
「はあ? 何でそんなとこまで来た訳」
愕然とするミミに、ジージョは偉そうに答えた。
「しょうがないじゃん。エージャンの真裏に出たら、海なんだからさ」
「いや、そういう問題なの?」
「思いっきりそういう問題じゃんか」
「それで」
ナイトウォーカーがたずねる。
「エリア・エージャンには戻れるのか」
ジージョはふて腐れたような顔で答えた。
「二、三十キロ移動して、また地面を抜ければ、たぶん」
「たぶんって」
ミミを抑えて、ナイトウォーカーはまたたずねた。
「どちらの方向に移動すれば良い」
「それがわかんないんだよなあ」
「ええーっ」
驚くミミに、ジージョはムッとする。
「何だよ、命が助かっただけありがたいと思えよ!」
「それとこれとは話が別でしょうが!」
ナイトウォーカーは自分の腕を見た。超振動カッターが食い込んだ傷跡がまだ残っている。その腕で額の汗を拭った。
「……暑いな」
ミミとジージョの怒鳴り合いは続いている。太陽の位置はまだ低い。これから一層暑くなるはずだ。南半球はこれから夏に向かうのだから。
闇の中に小さな明かりが灯っている。その場にあるのは、背もたれの角度が三十度ほどしかない、楕円形のカプセルのような椅子。そこに腰掛け――横になっていると言う方が近いのだろうが――手を胸で組み、深く瞑想にふける巨躯。オリンポス財閥総帥ウラノスである。
どれほどの時間そうしていたのだろうか、不意に目を開けると「メーティス」とつぶやいた。
「お呼びでしょうか、総帥閣下」
闇の中に女の声がする。
「惑星間回線に接続、パンドラを呼び出せ」
「かしこまりました」
数秒の沈黙。そして闇の中に、鈴を転がすような声が響く。
「はいはーい。何か用?」
「私だ」
「わかってるわよ、そんな事くらい」
「3Jを出せ」
「もう、それならそうと最初から言いなさいよ。ちょっと待ってて」
また数秒間の沈黙の後。
「何だ」
感情のこもらぬ、抑揚のない声。それに向けて、ウラノスは不機嫌そうに言った。
「いい加減、パンドラのインターフェイスを調整したらどうだ」
「俺は問題ない」
これ以上言っても意味はないようだ。ウラノスはそう理解して話題を変えた。
「日曜日はご苦労だった」
「ねぎらわれる筋合いはない」
「だが、もう少し早く助けには行けなかったのか」
「俺はジュピトルの世話係ではない」
「あまりにも被害が大きすぎる」
「俺が出した被害ではない」
「否定しかできんのか」
「肯定する理由がない」
ウラノスは苦虫を噛み潰したような顔で口をつぐんだ。3Jは言う。
「イ=ルグ=ルとの戦いが始まれば、何億という人間が死ぬだろう。五十人や六十人は誤差の範囲だ」
Dの民の、それも富裕層を五十人以上も一度に失う事が、世界経済にどれほどの影響を与えるかを説きたかったが、すぐに無意味だとウラノスは悟った。3Jがこう続けたからだ。
「人間など数百万人生き残ればいい。イ=ルグ=ルとの戦いにおける勝利条件は、それだけだ」
「おまえはイ=ルグ=ルの事しか考えられんのか」
「俺にはそれ以外、必要ない」
「3J、おまえさえ望むのなら」
ウラノスは言った。
「オリンポスに戻ることも可能なのだぞ」
「必要ない」
即答。
「ジュピトルの補佐として迎え入れる事だってできるのだ」
「意味がない」
即答。
「……ジュピトルはあれ以来、部屋から出て来ないのだ」
「だからどうした」
「傷ついているのだ。それがわからんのか」
「傷は治る。それまで放っておけ」
「いまこそ、おまえの言葉が必要だとは思わんか」
「思わない」
「何故だ、何故そうも冷たい」
「俺はそうやって生き残って来たからだ」
言葉を失うウラノスに3Jは言う。
「ジュピトルと俺の基本スペックは同じだ。ならば俺にできた事は、ジュピトルにもできる」
「無茶を言うな。誰もがおまえのようにはなれん」
「誰でもはなれない。だがジュピトル・ジュピトリスならばなれる」
頑な、頑迷とも言える3Jの言葉に、ウラノスはたずねた。
「それは、信頼なのか」
一瞬の間を置いて、3Jは答えた。
「確信だ」
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