第18話 動き出す歯車

 夜の闇に赤い柄の戦斧せんぷがひらめく。クモのように長い四本の脚を広げて走って来たセキュリティドローンは、一撃で真ん中から叩き斬られる。後続のドローンが銃撃したときには、すでにアシュラはその場に居ない。速い。二機目、三機目を稲妻のように打ち倒すと、軽くジャンプして四機目の上に乗り、四本の脚を一瞬で斬り刻んだ。


「もういいアシュラ! 撤退するよ!」


 ハーキイの声にアシュラは五機目を斬り倒し、その場を離れた。そこに小さな缶が投げ込まれる。音を上げて煙を吹き出し、周囲の視界を奪った。




 カメラの視界は煙に覆われ、センサー類も反応しない。電磁煙幕か。セキュリティセンター長代行のトライデントは小さく溜息をついた。


 襲撃は防いだ。だがあまりに容易に撤退させ過ぎている。しんがりに強い手駒を投入したのか。従来の連中のレベルから見れば、アンバランスなほど強い。どうやって雇った。スポンサーでも捕まえたか。


 だが金がかかるのはこちらも同じ。セキュリティには予算があり、ドローンもタダではない。いたずらに破壊され続ける訳にも行かないのだ。何とかしなくてはならない。


「餌を撒くか」


 その小さなつぶやきを聞く者は誰も居なかった。




 デルファイの夜。緩衝地帯の砂漠。音のない世界。猟師は待っていた。砂漠の砂の中に体を埋め、長大なライフルの銃口を水平に向けて。その先にあるのは、脚に縄をつながれたニワトリが一羽。体には傷がつけられ、出血している。


 彼の狙いはヤギ。人を喰らう巨大な野生化したヤギの肉は、市場で高く売れるのだ。彼らは夜行性であり、数頭の群れで行動する。上手くすれば、一度に二頭くらい仕留められるかも知れない。一攫千金とまでは行かないが、聖域サンクチュアリで毎日真面目にコツコツ働くよりは実入りが良い。血のニオイに誘われて、ヤギの群れがやってくるのを猟師は待っていた。


「何だ、ニワトリか」


 突然聞こえた残念そうなその声に、猟師が驚いて見上げると、星明かりの中に人影らしき姿が。反射的にライトを点け、そちらに向ける。真っ赤なセーターに、黄色いマフラーがなびいていた。


「な、何だおまえは」


 青白い顔の銀髪の男は、猟師に向かって満面の笑みを浮かべる。


「まあ、ニワトリよりはマシかな」


「う、動くな」


 勘は良いのだろう、猟師は咄嗟に猟銃を男に向けようとしたのだが。


「ストップ」


 猟師は動けなくなった。自分の体が分厚い氷に覆われていると、果たして理解出来たかどうか。


「それじゃあ」


 男はそう言うと、右手の指をすっと横に動かした。猟師の首にパックリと傷口が開き、勢いよく血が噴き出す。しかしその血は地面に落ちない。宙を舞い、回転し、親指大の球を形成する。やがて猟師の全身の血をすべて喰らい尽くしたその球を、赤いセーターの男は手に取り、口に入れた。


 声も上げず失血死した猟師の体を、ニワトリの近くに放り投げる。いずれ、ともどもヤギの餌になるだろう。それにしても。


 おかしい、ドラクルは思った。


 美味しくなかったとは言え、人間一人分の血を飲んだのだ。もう少し満足感があってもいいはず。それがまるでない。いや、それどころか、ますます飢えと渇きを感じる。何だこの感覚は。


「一人分では足りませんでしょう?」


 その声の方を向くと、まるで暗い夜のスクリーンに映写されているかのように、輝く人影が浮かび上がっていた。


 ここで「何だおまえは」と言えば、次に食われるのはボクなのかな、ドラクルはそんな事を考えて苦笑した。そして左腕を振るう。


「ストップ」


 だが光る人影は凍らない。


「なるほどね、実体がないのか」


「はい、私はあなたの脳に直接思念を送っています」


 そのTシャツに短パン姿の、白い髪の少女はそう言った。


「それで。ボクにいったい何の用なのかな」


「あなたには血が必要です。もっともっと大量の血が」


 ドラクルは不愉快げに眉を寄せる。それが事実であったとしても、あげつらわれて嬉しいものではない。


「……だとしたら?」


「血が雨のように降り注ぐ場所を、私が教えて差し上げましょう」


 少女は楽しそうに微笑んだ。美しい笑顔。でもちょっと目つきが悪いな、ドラクルはそう思った。




「どうもおかしいね」


 ハーキイはつぶやいた。リザードもうなずく。


「ここんところセキュリティの対応が早すぎるんスよねえ。新しいシステムでも入れたんスかねえ」


「もしくは、セキュリティにとんでもなく優秀な人間が入ったか」


 プロミスの言葉に、一同は沈黙する。


 義勇軍『プロメテウスの火』のアジト。今夜の失敗した襲撃に関して、総括が行われていた。


 葬式のように静まりかえった中で、リザードが明るい声を上げた。


「まあそれでも、しんがりにアシュラさんが居てくれて助かったっスよ」


「確かにね」ハーキイは笑った。「あの大暴れは凄かった」


 皆の目が、部屋の隅に立っていたアシュラに向けられる。


「えっ……」


 しばし絶句したかと思うと、突然アシュラは焦り始めた。


「い、いやいやいや、それがしはその、アレで、と言うか、まったく、全然」


「もう、無理して喋んなくてもいいってば」


 プロミスも笑い、他の仲間たちも笑った。とりあえずアシュラが居れば、撤退だけは何とかなる。そんな安心感が出来つつあった。


 と、そんな中に駆け込んできたのが、情報担当の責任者。


「ボス! 姉さん! これを!」


 部屋のモニターのスイッチを入れ、さっき録画したばかりのニュース映像を流す。それを見たプロミスはつぶやいた。


「……住民説明会?」




「……住民説明会?」


 ジュピトルはもう就寝前だったのだが、トライデントの訪問を受けてベッドから抜け出した。ガウン姿で聞かされたのが、エリア・エージャン南東地区の開発計画。南東地区にはDの民の中でもとりわけ豊かな富裕層が暮らす高級住宅街があり、住民の意向を無視した形の開発計画は、オリンポス財閥としても避けたいところであった。


「実際のところ、根回しは済んでおりまして、反対意見はございません。ですので、ご考慮ご判断につきましては、一切ご心配には及びません。すべて決定済みでございます。ただ……」


 トライデントの言葉に、ジュピトルはうなずいた。


「つまり、オリンポスの代表がちゃんと説明した、という形式が必要なんだね」


「左様にございます。本来ならば、プルートス様ご管轄の開発担当企業でございますので、プルートス様にお願い致しますのが筋なのでございますが、なにぶん」


 トライデントの言わんとする事は理解出来る。いかに形式だけとはいえ、酔っ払った代表では住民側の心象も悪いだろう。


「わかった。資料はある?」


「はい。すべて揃えてございます」


 トライデントは深々と一礼した。




 トライデントは深々と一礼した。


「すでにメディアにも情報は流してございます」


「警護はぬかるな」


 ネプトニスはベッドの中で目を閉じている。


「ジュピトルがケガでもしようものなら、総帥閣下のお怒りは避けられまい。だが住民には多少の被害が出ても構わん。いや、多少出た方がいいだろう。こちらに正義のある事が明確になる」


「はい。心得ております」


「要はバランスだ。バランスに気を配れ。よし、行け」


「それでは、お休みなさいませ」


 トライデントは姿を消した。




 我が神にして我が主、そして我が夫たるイ=ルグ=ルよ。飢えておいでですね。乾いておいでですね。血を求めておいでですね。しばしお待ちください。間もなく贈り物をお届け致します。あの吸血鬼はもはやあなたの下僕です。歯車の一つとなりました。あとは決められた通りの動きをする事でしょう。もし、その歯車の動きを止める者があるとするなら、それは世界にただ一人だけ。




「3J」


 その暖かい声に目を開ける。ダランガンの教会の小さな礼拝堂。椅子で眠っていたようだ。修道服姿のクリアが隣に座っている。


「何人来た」

「え?」


 クリアは首をかしげた。3Jは一呼吸置いて、こう言い直した。


「デキソコナイの子供は、結局何人ここまでたどり着いた」


「……三人」


「そうか」


 多いとも少ないとも言わない。ただあのときあの場所に、三人以上の子供が居た事は間違いない。他の子供はどうなったのだろう。デルファイにたどり着く前にあきらめたのか、それともたどり着いたのに居なくなったのか。しかしそれを問う事はしない。


「ねえ3J」


 クリアは言う。


「疲れたら疲れたって言っていいんだよ。甘えたっていいんだよ」


「そうだな。それもいいのかも知れんな」


 感情のこもらない、抑揚のない声。そんな事に興味も意味も見出そうとは思わない、そう告げるような声。クリアは自分の目から涙がこぼれているのに気がついた。しかし3Jはそれに目をやる事もなく、天井を見上げる。


「そこに居るのか、ダラニ・ダラ」


「えっ」


 クリアは慌てて涙を拭いた。天井から巨大な老婆の顔がぶら下がる。


「嫌な言い方するんじゃないよ、アタシがのぞいてたみたいじゃないか」


「もう、ママ!」


「声をかけようと思ったら、かけにくい状況になっちまったんだから、仕方ないじゃないかえ」


 言い訳をしたダラニ・ダラだが、3Jはそこにはまったく興味がなさそうに、必要な事だけをたずねた。


「手がかりは見つかったか」


 ダラニ・ダラはムッとする。


「簡単に言うんじゃないよ。地球の核って言っても、どんだけデカイと思ってるんだい。そこを手探りで探してるんだよ、見つかりゃしないよ」


「やはりガルアムの力が必要か」


「アレを当てにするのはおやめ」


 ダラニ・ダラはぴしゃりと言い切った。


「ガルアムは四魔人の中じゃ、唯一『恐怖心』ってものを持ってる存在だ。イ=ルグ=ルと一回戦ったアレが、二度と戦いたくないと思っても仕方ないんじゃないかね」


「それはいますぐ舌を噛んで死ねと言うのと同じだ」


「同じじゃないさ。おまえはどうせ、あと百年も生きられない。イ=ルグ=ルが目覚めるのはその後かも知れない。もしそうなら、これはおまえには関係ない事だ」


「かも知れない」


 そう言いながら、しかし3Jには迷いがない。


「だがもし、違ったら。もしイ=ルグ=ルに、ガルアムと同じような恐怖心があったとしたら」


 その言葉にダラニ・ダラは目を剥いた。


「おまえ、イ=ルグ=ルが人類を怖がってるって言うのかい」


「もしそうなら、イ=ルグ=ルは恐怖心を克服しようとするかも知れない。ガルアムがそうであるように」


「それは……3J、その理屈は狂気の沙汰だよ」


 3Jは静かに立ち上がる。何者をも寄せ付けぬ、清廉で孤高な気配を身にまとい、託宣の如くこう告げた。


「それで勝てるのなら、それでいい」

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