第5話 ズマとジンライ
巨大な触手の一撃は、ヘリポートを打ち付け、総合本社ビルを震わせた。慌てたムサシとハーキイが真っ青な顔でその場所をのぞき込んだ。だが。ジュピトルとプロミスの居る場所だけは触手が切り取られ、二人はその隙間に倒れている。そして二人の足下に立つ、いや、宙に浮く、背の高い影。影はこう言った。
「拙者、疾風のジンライと申す。伝言は聞かれたかな」
それはジュピトルに向けられた言葉のようだった。ジュピトルは顔を上げた。
「伝言……?」
それは長いグレーのポンチョを身にまとった、全身銀色の高機動型サイボーグ。おそらく頭脳以外はすべての肉体を機械化しているのではなかろうか。
「伝わっておらぬか。まあ所詮は犬っコロ、期待するのが間違いであった」
「こら鉄クズ野郎! おいらはちゃんと伝言したんだよ! 理解していないのは、ソイツが間抜けなだけだろうが!」
ズマが振り返って怒鳴る。いつの間にか、捕まえている触手は五本になっていた。ジンライは首を傾げる。
「間抜けだと? 貴様以上に間抜けな者が、この世に居ると思っているのか」
「居るね。少なくともおいらは一人知ってるからな。鉄クズの間抜けの役立たずを」
「ああなるほど、貴様から斬れば良いのか」
「斬れるもんなら斬ってみろ、このナマクラのボンクラが」
「では試してやろう」
ジンライのポンチョの中から、伸び出る腕は四本。その手に握られるのは、四本の超振動カッター。高周波音が闇に響く。
そこに跳ね上げられるように、下から飛んで来る黒い触手。ほんの一瞬、ジンライの腕が揺れた。途端、触手は様々な形に斬り刻まれ飛び散った。
「遅い。神を名乗れど、こんなものか」
つ、とジンライが前に出る。風が吹く。ハーキイの捕まえた触手が、そしてズマのつかんでいた触手が細切れになった。
「あっ、この野郎!」
ズマの文句を背に、ジンライは前進を続ける。
「待っているのも、もう飽きた。これだけ見せたのだ、片を付けてしまっても良かろう」
一斉にジンライに襲いかかる何本もの触手。だがそのすべては無数の肉片へと変わる。触手の群れは一気に半分ほどになった。
「そうだな、『神殺し』と呼ばれるのも悪くはない」
ジンライは飛んだ。黒い触手たちのその中心へ。しかし。ジンライは途中で止まった。感じたのだ。その機械に覆われた頭脳が。それは黒い塊の中から湧き出た、にまあっ、と笑う気配。
「何を笑う」
そうつぶやいたとき、背後から響く悲鳴。ジンライの後方視界カメラは捉えた。切り刻まれた触手の肉片が、波打って変形し、寄り集まり、無数の黒い人型となって立ち上がるのを。
ジュピトルに両手を伸ばした黒い人型を、ズマが右手で捕まえ、ヘリポートの外へ放り投げながら、左手は別の人型を捕まえる。プロミスに襲いかかるのを放り投げ、ハーキイが殴り倒したのを、さらにはムサシが蹴り倒したのをまた放り投げた。ドンドン放り投げた。だが全然減らない。数が多すぎる。
「うがーっ! どうするんだよ、これ!」
パニクるズマにジュピトルの声が飛んだ。
「投げるな、押し出すんだ」
「あ、そうか」
ズマは両手を広げた。そのまま頭を低くして、人型たちに向かって突進する。
「よおいしょおっ!」
手のひらが砂をすくうが如く、前方に盛り上がりを作りながら、ズマの両腕は無数の人型を――おそらくは百体単位で――巻き込み、その真ん中を突っ切って行く。その圧力はヘリポートの防護柵を楽々と弾き飛ばし、人型たちを奈落の底へと突き落とした。これで人型の数は半減、ズマは残った人型の群れへと走り、両手を広げた。
「こおらしょおっ!」
「なんちゅう馬鹿力じゃ。いかに獣人じゃ言うても、限度があるじゃろう」
人型をブルドーザーのように押し出すズマの様子を見て、呆れ返っているムサシの隣で、ハーキイは何かに気付いた様子。
「怪力の獣人『ズマ』……四刀流のサイボーグ『ジンライ』……聞いたことがある。もしそうなら。本当にそうなら」
ハーキイはプロミスを振り返った。
「プロミス、ここはヤバイ」
しかしプロミスは聞いていない。ジュピトルを火の出るような視線でにらみつけている。対するジュピトルは、悲しげにそれを見つめていた。その目をハーキイに向ける。
「ハーキイ・ハーキュリーズ、プロミスを頼む」
そしてイ=ルグ=ルの方へと足を向けた。
「アキレス」
視界に現われた青い髪の青年の返答も待たず、ジュピトルは続けた。
「戦闘衛星、砲撃用意」
「すでに準備は完了しております」
アキレスは誇らしげに胸に手を当て、一礼した。
黒い人型はズマが何とか出来るようだ。あっちは放っておいても良いだろう。とは言え。ジンライは正面の黒い塊を見つめた。どうやらナマスに斬り刻んで終わりとは行かないらしい。腐っても神というところか。
そのとき、どこかから声がした。
――イ=ルグ=ルは決定した。人類はもはや脅威ではない。反抗も、抵抗も、神の次元においては児戯にも満たない。このまま目覚めぬままに蹂躙し、破壊し、殲滅する
それがジンライの怒りに火を点けた。
「拙者を無視すると言うか、この邪神の如きが」
こうなれば真ん中に飛び込み、すべてを斬り刻んでくれよう。ナマスで無理ならみじん切りだ、と思ったジンライを呼び止める声。
戻れ。
脳に直接届いたそれは、静かだが絶対。逆らう訳には行かない。ジンライは一瞬の躊躇も見せず、全速力で後退した。その瞬間。
天と地を結ぶ赤い光。音もなく、針のように細く鋭く、イ=ルグ=ルを焼き、刺し、えぐるレーザー砲の閃光。悪夢のような叫び声が天空を揺るがした。しかし。
「砲撃は命中」アキレスは言った。「されど目標に変化なし。出力を上げる事を進言申し上げる」
だがジュピトルは首を振る。
「ダメだ、地上を破壊する訳には行かない」
地区のセキュリティシステムが死んだ状態では、避難支持すら出せない。避難場所の確保も、ドローンによる誘導も、何もかもが出来ないのだ。足下に何万という住民を残したままで戦うしかない。神を相手に。
「目標に変化あり」
アキレスの声に、ジュピトルは目を凝らす。望遠カメラの映像が視界に差し込まれた。イ=ルグ=ルは触手を収納しているように見える。いや、核の部分も小さくなっているように思える。もしや、このまま倒れてくれるのか、そんな甘い事を考えた刹那。
イ=ルグ=ルは消えた。音もなく消滅した。と、同時に。
「戦闘衛星、撃破されました」
アキレスの声に、ジュピトルは天を見上げた。光っていた。空全体が黄金色に。やがてそこから静かに、まるでひとひらの雪が降るかのように、音もなく下りて来る輝き。ジュピトルは気付いた。人の形をしていると。そう、先程の黒い人型にも似た、けれど金色に光り輝く身長二メートルほどのそれは、やんわりとヘリポートに降り立った。
「黄金の神人」
ジュピトルの口をついて出たのは、百年と少し前、金星の南極から現われ、開拓団を全滅させた存在。ただし、身の丈は十メートル以上あったそうだが。イ=ルグ=ルと同一だという説が一般的ではあるものの、その正体はいまもって不明である。
神人の中から声が響いた。
――イ=ルグ=ルは宣告する。人類はイ=ルグ=ルの覚醒を待たず、この惑星上より排除される
「うるせえんだよっ!」
ズマが殴りかかった。その豪腕の一撃が、黄金の神人の頭部に命中する。だが微動だにしない。その反対側の首筋に、ジンライの超振動カッターが切りつけた。しかし傷一つ付かない。
――無駄である
イ=ルグ=ルは嗤った。
――人類に、もはや為す術は
言葉が止まった。
神人の顔に目はない。鼻も口もない。だが、ジュピトルたちは気付いた。神人が絶句している事に。人間で言うなら、目をみはるほど驚愕している事に。その目のない顔の向いている先に何があるのか、好奇心は恐怖を凌駕した。皆は神人から視線を外し、そちらを見た。
そこはヘリポートの中心。誘導灯が上方向を照らしている。その中に、人影があった。たった一つの、一本足の人影が。
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