私と彼女の妄想恋愛交換日記

ペトラ・パニエット

私と彼女の妄想恋愛交換日記

 蜜月みつきとの関係が始まって、もう半年になる。


「蜜月も、隠れて渡すことないのになぁ」

 私は机の前に置いた日記を前に一人ごちた。

 普段使いの日記としては聊か上等なその日記の表紙には多少の装飾が付け加えられており、二つの名前が連名で書かれている。つまり、交換日記だ。

 それもただの交換日記ではない。

「それにしても、あそこまで喜んでもらえるとは。これは次もそういう形で攻めたほうがいいのかな……むう。あ、でも毎回同じも楽しくないよね。今回は別のパターンにしよう」

 そこまで呟くと、旅行用のパンフレットを眺めながら次のプランを練る。

 の好みは定番よりもっとロマンチックでお嬢様じみた部類だ。おしゃれな名前の通り、少し夢見すぎなぐらいがちょうどいい。

 ……そう。あけすけに白状してしまうなら、この交換日記は交際日記にカテゴライズされるものだ。

 それも、ただの交際日記ではない。

 ただの女子高生である私――朝坂小詠とその友人の天野蜜月の名前の代わりに、私立聖フィリア女学院に通う七ヶ丘ななつがおか茉莉まつりと紆余曲折を経てその恋仲になった令嬢セツィリア・フォン=アルフェンブルクの二人の名前が書かれたこの交換日記は、私たちの秘密の妄想恋愛交換日記だ。


 半年前、逼迫した声で文芸部の部室を開けて蜜月がつかつかと侵入し、私の肩をつかんでゆさぶり開口一番言い放ったセリフを今も覚えている。

「あたしに、恋を教えて!」だ。

 はっきり言ってしまえばそんなものを知っている女子は文芸部室で毎日数百ページもある文字ばかりの小説をめくってなどいない。……世界は広いからどこかにはそんな文芸部女子も存在するのかもしれないが、少なくともそれは私ではない。

 そんなことをやんわりと伝えた後に言われた言葉はもっと衝撃だった。

「恋愛のリアルなんて求めてないのっ! 恋が知れるならそれでいいのよ!」だ。

 その後についた言葉が「友達でしょ、助けてよ」だったか「小詠しか頼れる人がいないの」だったか、それとも「本ばっか読んでるし妄想の恋愛なら詳しいでしょ、ね?」だったかは覚えていない。

 ともかく、その時に血迷って提案したのが今、こうして続いている妄想恋愛交換日記だ。手元の活字が読まれたがっていたから、蜜月を早くあしらいたかったのだ。

 その頃の蜜月と私の関係は今より冷え込んでいて、幼馴染という共通項がそこにあり、かつ彼女自身が私に話しかけてくるから辛うじて保っているようなもろい友情だった。だから、乗ってくることもないと思った。

 その予想は当てが外れた。

 数舜、目をパチクリとはためかせた彼女はあろうことかこの突拍子もない案に同意したのだ。

 とはいえ、最初は出まかせで言ったことだから、出だしはどう進めたものかわからなかった。ルール決め以前にまず日記そのものがないという白紙っぷりだ。

 その空白のさなか、衝撃的な開口一番から三日後の夜、そろそろ面倒だけど計画を詰めないといけないと嗜好を巡らせた夜のことだ。

 私は唐突に、口を突いてその発想が出たことが自分が妄想上とはいえ妄想の当事者になれることへの淡い期待そのものであったことに気づいた。

 それまで蜜月のために用意しなければならない奉仕的なものであったそれに、それ以外の意味を――つまり、私の恋への好奇心を満たすという付加価値を加え、二人の共同の恋愛研究実験にするアイデアがはじめて生まれたのだ。

 その素晴らしいアイデアを、発作的に彼女に知らせたくなった。

「私も、恋が知りたくなったの」――

 そう告げた自分の声が、まるでそうではないようだった。実は茉莉の産声だったりするのかもしれない。

 ともかく、そのことを蜜月に打ち明けた時、彼女は笑って許してくれた。

 よく考えるのなら、彼女自身そもそも私が蜜月に奉仕するような形の一方的な関係を想定していなかったのだろう。

 それでも、そのときに私の中で彼女の存在が親友に変わったのだ。私の思い込みは少々激しいのかもしれない。


 それからは、二人で話し合って日記を書くルールを決めた。

 口語調、一週おき、ページ数は見開きまで。色彩と装飾に規定はないが、可読性は保持すること。その他いくつかの回避すべき単語や話題。

 それから、茉莉とセツィリアが生まれたのもこの時だ。

 それには様々な事情があるが、まず、私たちは互いにヒロインを譲らなかった。私にも当事者としてならヒロイン役を選ぶぐらいの可愛らしい情緒があったのだ。

 とはいえ実在する二人わたしたちで書いてうっかり妄想と区別がつかなくなっても困る。

 そういった事情で思う存分ガールズ・ラブしそうな空想上の女の子を想定する必要が浮上した。ここで互いに彼氏自慢するみたいな方向性に行かなかったのは愛嬌だろう。それだと冷戦じみた形になりそうだし、そうならなくてよかったのだと思う。

 ともかく、かくして生み出されたのが茉莉とセツィリアだ。

 外界から隔絶された幻想の女学院。空想にしか存在しえない乙女の園。

 限定的で空想的な状況を次々に定義し、互いにそれなら同性でもいいといえるぐらいの相手を提案して最終的に二人が生まれた。

 女の子らしくもアニムスの理想的な部分を兼ね備えた才色兼備のいわゆる『王子様』で、知らないことを教えて未知へと連れ出してくれる茉莉。

 完成された驚異的な美を持ち、吸血鬼カーミラの伝承のように少女の心のうちに潜む美への憧憬をその姿だけで掌握し魅了してしまうような完璧な美少女セツィリア。

 激情と興奮の渦巻く中で練り上げた設定を冷静になって思えば恥ずかしくも思ったりもしたものの、その熱に浮かされ表紙に仲睦まじく書きこんだ二人の名前を見て「これで行こう」といったものだ。


 茉莉とセツィリアに対して、私たちはどちらかといえば逆だった。

 活発で手を引くのは蜜月のほう。大人しく色の白いのは私のほう。料理の腕は私に軍配が上がり、良いお店を知っているのは蜜月だ。

 そういったわけだから、彼女たち二人の描写も最初の頃は目につく部分が多かった。そのたびにやれ「茉莉はそんなに消極的じゃない」だの「セツィリアがそんな蜜月みたいにすると思う?」だの言いあいになったものだ。

 そういった言い合いは、最終的には「私ならこうする」という案を多くは実例を伴って再現されることで終わることが多かった。一言、「彼女は私よりもうまくやるだろうけど」という前置きをつけながら。

 今はもうそういうことも少なくなった。仲が悪くなったとかではなく、私の机に旅行用のパンフレットなどが置かれるようになったように、互いに理解を深めるようになったということだ。


 一カ月が過ぎ、二カ月が過ぎると、日記の交換頻度は一週ごとから三日ごとに変わった。それだけ私たちはこの関係にのめりこんでいたし、互いに会うために休日を割く程度には私と蜜月の仲は良くなっていた。

 コスプレというわけではないが、私たちはそう言った時に互いに会うために良い服を選ぶようになっていた。


 交換日記が二冊目になったのはそれから三カ月ほど後のことで、つまりつい先月にあたる。

 二人ならどう選ぶか、なんてことを話の種にデパートから小さな文具屋までを方々まで巡ったものだ。その副産物として、互いに普段は使わないような文房具をずいぶんと買い込んでしまった。

 そうして選ばれた二冊目は、ずいぶんと彼女たちらしいものになった。

 表紙に書かれたセツィリアの名前が流麗な筆記体で書かれているのに驚いたことを覚えている。もっとも、蜜月は蜜月で茉莉の名を書いた時の字に驚いたようだが。

 記念すべき一冊目は流石に見返すのは恐ろしいのだが、それでも原書を蜜月が保管し、私が光学スキャナで電子データとして保管している。


 さて、交換日記を続けている上で、流石に半年となれば問題があったこともある。

 今のところ日記の存在そのものは露呈していないのだが、それはそれとして私たちがそういう関係なのではないかと邪推されることが何度かあったのだ。

 もっとも、妄想の上とは言え恋人同士なのだから完全な邪推とは言えないのかもしれない。だが、だからといって私たち自身がそういう関係かといえばそうではない。

 確かに蜜月と会うときの服は他の友人に会うときより良いものを選んでいるし、蜜月にしたってそうだ。蜜月の家に料理を作りに行ったことがあれば、彼女に雰囲気の良い水族館や映画などに誘われたこともある。

 状況として否定できる材料はないが、それでも、私の考えとしては蜜月と私はそういう関係ではない。

 一度目はすぐに否定の言葉が出た。二度目もそうだ。

 三度目に少しひるんだことは認めよう。

 四度目は、代わりに蜜月が言い返した。それが三日前のことだ。

 今でもこの関係を続けていく意思に変わりはない。


 だけど、今の私と蜜月の関係はなんなのだろう?


 そんなことを、思い返したときにふと思った。



 さて、時は現代に戻る。


 日記を書き終えた私は、そのまま明くる朝にそれを蜜月に手渡した。

 そこまでならいつもと変わりない光景なのだが、今日はそこに手作りのクッキーを添えることにした。半年の記念、という名目だ。

「そっか、もう半年なんだ」

 蜜月は思いもよらなかった、みたいな声を出した。確かにあの交換日記には日付を書いてないから、当然といえば当然の反応かも知れない。

 それから、蜜月は私のクッキーを見ていった。

「珍しい。あらさがし以外で小詠がお菓子をくれるなんて」

 

 そのあとの三日間は、眠れぬ想いで過ごした。

 私は茉莉ほど心臓が強いわけではないのだ。


 三日後は日曜日だった。

 普段よりも遅いインターフォンに致命的な失敗を予期したとき、待ちかねた音が鳴る。

「セツィリアほどうまくはないけど、私も半年のお祝いを作ってきたわ」

 そう差し出されたクッキーには、私のものに沿えたものと同様の一文が書かれていた。


――貴女のおかげで、恋を知った記念に。


 彼女みつきの字だ。

 ああ、あらかじめもう一冊日記を用意しておくべきだった!

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