君のコーヒー
折上莢
紙とペンと…
「
藤也は小説家だ。今も、ネタが降りてきたから、忘れないうちにメモを取りたいのだろう。いつも自分で持っておけと言うのに、彼はそれをしない。
「はいどーぞ」
「ん」
真っ白な紙とボールペンを、藤也の前に置く。彼はすぐにペンを取り、文字を綴り始めた。
もともと口数が多い方ではないけれど、集中すると最早何も喋らなくなる。声を掛けても返事をしなくなる。
涼音は台所に戻り、残りの皿を全て洗った。そしてコーヒーを二杯淹れ、一つにミルクと砂糖を溶かす。そしてもう一つには何も淹れずに、ブラックのまま藤也の側に置いた。
「コーヒー、置いとくからね」
「…」
藤也は聞いていないのだろう。返ってこない返事に、小さな悪戯心が湧いた。
音を立てないように、自分のコーヒーと彼のものを入れ替える。そして、ブラックのカップを持って、ソファーに座った。
カリカリと、紙とペンが擦れる音だけが、部屋に響く。
涼音はこの時間が嫌いではない。彼の作る物語はどれも綺麗で、面白くて。それを求めるファンがいることも知っている。自分だってその一人だ。だから邪魔はしない。
けれど、湧いてしまった悪戯心は大きくなり、つい自分のカップと彼のものを入れ替えてしまった。
一旦自分の世界に沈んだ彼は、しばらく戻ってこない。一区切りつくか、集中力が切れるまで、彼はああやって物語を紡ぐ。
カチャ、とカップが上がる音がした。
「…!? うぇ、何だこれ!? は!? 甘い!? 砂糖!? あ、ミルクも入ってる!? 違うそういうことじゃない! 涼音!!」
「ごめんごめん、間違えた」
「勘弁してくれ! 俺カフェオレ苦手だって知ってるだろ!?」
「はい、こっちブラック」
手渡したコーヒーカップと涼音の顔を交互に見た後、藤也はまた視線を紙に戻した。
「…あと十分で一区切りつけるから。それまで待ってろ」
コーヒーを啜りながらそう言い、ペンを走らせ始める。
甘いカフェオレを飲みながら、テレビを見て待った。きっかり十分後、彼はコーヒーを飲み干し、徐に立ち上がる。
「よし。着替えろ、行くぞ」
「え? どこに?」
「新しくできたケーキ屋」
「…なんで?」
「…この前行きたいっつってたろ」
さっと目を逸らす藤也の耳は赤い。
そういえば、雑誌を眺めている時に呟いたかもしれない。でもその時も、彼は自分の世界に没頭していたはずだ。
「…聞いてたの」
「いつも我慢させてばっかりだからな。早く着替えて来い」
背中を押され、涼音は自室に入れられた。
☆ ☆ ☆
「…おお…!」
目の前には注文したフルーツタルトと紅茶。藤也の前には、チョコレートケーキとコーヒー。
ケーキの鋭角をフォークで刺し、そっと口に運ぶ。甘酸っぱいフルーツとカスタードの相性が抜群にいい。タルト生地もサクサクしていて、文句なしだ。
「ん、美味いな」
「…美味しい?」
「いや美味いっつってんだろ…。…ああ、食うか?」
「本当! いいの?」
「顔にでっかく『食べたい!』って書いといてなに言ってんだ? ほら、口開けろ」
フォークで刺されたチョコレートケーキが差し出される。涼音は目をパチクリさせたあと、状況を理解した。
「じ、自分で食べられるけど!?」
「もう刺しちゃったし。早くしろ、落としそうだ」
早く早くと急かす藤也に、涼音は諦めて口を開ける。
「…えっ、何これ美味しい」
「だろ」
キラキラと顔を輝かせる涼音を見ながら、片肘をついた藤也は微笑む。
「…なんか、優しいね? 明日は雨? 雪?」
「うるせ。こっちは彼女サマのご機嫌取りに必死なんだよ」
「ご機嫌取りなんかしなくていいのに」
両手で紅茶のカップを持ちながら苦笑いする涼音。チョコレートケーキを着実に食べ進める藤也は、その様子を見てむっと顔をしかめた。
「普通怒るだろ…彼氏に放って置かれたら」
その言葉に、涼音はフォークを咥えたまま首を傾げる。
「んー、でも藤也が書いた小説面白いし…書きながらでも私のこと考えてくれてるから、そんなにイライラしないよ」
「でも悪戯はするんだな?」
「えへ、ごめんあれは出来心」
「あれくらいならいいけどさあ…マジビビるから、予告はしてほしい」
「予告したら悪戯にならなくない? 私は藤也の反応が見たい」
そう返しながらも、涼音は優しく笑う。
藤也は甘やかされてるなぁと思いつつも、彼女の為に物語を紡ごうと再び強く誓った。
きっとそれが、彼女にできる最大の恩返し。
「あー、その…涼音、メモとペン持ってたりするか?」
眉を下げて問い掛ける藤也に、涼音は微笑んで頷く。
「…ふふ、持ってるよ」
「悪い…すぐ終わらせるから」
「ブラックコーヒー、もう一個注文する?」
鞄から出したメモ帳とボールペンを渡しながらメニューの方に視線を向けると、藤也は首を振った。
「いや、それはいい。執筆の時はお前が淹れたやつが飲みたい」
君がいてくれるから、俺は書き続けられる。
君のコーヒー 折上莢 @o_ri_ga_mi_
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