第55話 四十代はやはり二十代より頭が悪い
おれは、四十四歳になります。
若い頃、ヒトの脳の成長は二十五歳で止まると聞いて、頭脳労働の全盛期は二十五歳なのだと考えて、なんとか二十五歳までに大きな発明・発見をしなければならないのではないかと考えて生きていました。アインシュタインが三大論文を考えたのが二十五歳だということも参考にして、賢さを目指すなら、二十五歳までにアインシュタイン級の仕事をしなければならないのではないかと考えて、いろいろ考えていました。
もちろん、おれは二十五歳までにそこまでの成果をあげることはできずに、もんもんとしていました。
二十代、三十代、四十代、どの年齢がいちばん賢いのか。実際に二十代、三十代、四十代を体験しないとそれはわからないため、おれの人生の実感を書いておきます。
二十代の時は、同時に三つのこと、四つのことを考えているくらいに頭は活発に働いていました。がんばれば、六個くらいのことを同時に頭の中で処理していました。
四十代の今は、同時に三つのことを考えるなど、できるわけがない状態です。同時に一個のことを考えるのが精いっぱいで、二十代より確実に瞬間処理能力は低いです。
人生でまちがいをすることは多く、二十代の時のおれがいくつものことをまちがえていたことを四十代のおれは気づくことができました。おれがまちがえていたことを挙げるなら、「失われた時を求めて」の作者プルーストをバカにしていたこと、ノーベル経済学賞をバカにしていたこと、池田大作や大川隆法をバカにしていたこと、などがあります。どれも、読みもせずに勝手におれが妄想した印象を根拠にバカにしていました。実際に読んでみた結果、彼らはとても優れた書物を書いた人たちだったことを今では知っています。
知性というのは、ひとつのきっかけをまちがえるだけで、連鎖的に多くのことをまちがえることがあり、何千というきっかけによって価値観を作り出して判断しています。ひとつのきっかけを失敗するだけで、大きな勘ちがいが発生するものです。だから、たくさんの事実の確認ができた四十代は、まちがいが少ないといえるかもしれません。しかし、事実の確認というものは、同時代的に次々と日常で行いつづけるものであって、同時に三つのことを考えることのできた二十代の方が、遥かに事実の確認をたくさんしていたと、四十代のおれは考えています。
集中力は、四十代より二十代の方が高いのはまちがいありません。四十代のおれの集中力はあまりにも低い。かつての自分の集中力をもう一度、取り戻したくてたまりません。
まだ集中力のあった三十代に、哲学を読み、哲学書を要約したり、批評したことは、自分でもよくやったと思っています。三十代はまだ考える力は高かった。四十四歳になり、今から、何か頭脳労働で新しいことをするのはとても難しいと感じています。四十四歳になってからは、あまり難しいことを考えると、疲れて寝込んでしまいます。本当に、四十代は難しいことを考えると寝込んでしまうのです。
四十代になると体も衰えてきます。傷の治りが悪くなったり、運動不足も感じるようになります。運動不足になると頭脳労働もうまくいきません。頭脳労働にも体力がいります。
やはり、四十代は二十代より頭が悪いと、おれは思います。
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