第21話 デフレ派のいいわけ

 生産性の向上で、インフレするか、デフレするかを再検討する。それは、おれが経済学について考えていて、生産性の向上で、必ずデフレするとは限らない理論に気づいたからである。

 同じ労働量で高い付加価値が作れるようになるとき、インフレするか、デフレするか。

 労働者同士の取り分で考えると、重要な商品を作る労働に高い賃金を払うはずだ。そうなると、生産性を向上させた労働者には高い賃金を払いたくなるので、商品の価格を値上げすることで、賃金の収益を得ようとする経営者がいるかもしれない。重要な商品の技術開発費をたくさん計上し、その商品を開発していると、重要な商品の価格は値上がっていく。それは、経済圏におけるその商品の労働の比重を増やすことにもつながる。それは、デフレ派のおれが見逃していたよい循環である可能性がある。

 デフレ派のおれは、労働者と消費者の二つの経済活動が同じ者によって行われていることを知っている。だから、良い商品の値上げが、労働者の視点からはよくても、消費者の視点からは悪いことには気づく。良い消費は値下がった方がたくさん購入できて、たくさん消費できる。経済学において、幸せの発生は商品の消費であるため、消費を増やさなければ、その経済に幸せは発生しない。だから、良い商品の価格を、労働者同士の視点では、値上げるべきだが、消費者の視点からは、値下げるべきだということになる。経済は、労働と消費の循環であるためだ。

 ここに、労働者同士の視点では、生産性の向上はインフレ(価格上昇)するという要素に新しく気づいたが、それがインフレデフレ議論の結論ではないということを指摘したい。


 話は変わるが、インフレ誘導を訴えていたリフレ派の主張とは異なり、金融政策ではマイナス金利が導入されている。それは、預貯金の利子の受け取りは正統な労働の対価ではなく、貨幣管理と決済サーヴィスにはむしろ銀行に使用料を払うべき(なぜなら、銀行員もちゃんと働いているので無料ではない)である。


追記。


 2012年の日本の公共投資は、年間16兆円だった。

 2018年の日本の公共投資は、年間7兆円だ。

 公共事業拡大を訴えていた人たちの反対を押し切り、日本の公共事業拡大反対派は、年間9兆円の公共投資の抑制を実現した。

 それは、日本の有志が大勢でがんばったのだと思う。おれはとてもうれしい。

 財政政策(公共投資を増やすこと)や金融政策(利子率を操作すること)は、資産の分配を変えているだけで、それだけでは経済発展したりはしない。財政政策や金融政策の賢い組み合わせというものがあるかもしれないが、おれは知らない。

 経済発展は、技術革新による成長戦略を地道に積み重ねるしかないのだ。

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