第36話『年越しと蜜芋』

 ゴーンゴーンと、グリンカステル教会の鐘の音が、遠くに響いている。

「あけましておめでとうございます」

「真明祝」「真明祝」

 トールたちは、年越しの挨拶を交わすと、夜食の蕎麦を食べた。

心明と明明が、三賀日の休みでシープコプコフに来ていた。二人の国、白蘭の年越しは、一日中花火をして新しい年を祝うと言うが、ハナサキでは、一年の疲れを癒すために、年越しは家でゆっくりするのが風習だ。

 教会にでも行こうかと、トールは二人を誘ったが、二人は店にいたいと言った。出掛けない代わりに、夜更かしをさせてくれと、爛々と光る目で言われた。

 トールも、年越しには仕事を休む。その代わり年末のギリギリまで仕事を詰め、追い込んでいつもの倍働くので、クタクタになっていた。

 今年も仕事に生きた年だったなと振り返りつつ、まったりと熱燗を呑んでいる。新しい年に封を切った新酒は、米の香りが高い至福のものだった。

「トール、蕎麦御代有?」

 心明が、歯にホウレンソウを挟めて言う。

「あぁ。お前らが来るから、取引先の親父さんにたっぷり打ってもらった。良い夢を見るためにもたくさん食べな」

「応任!」

 心明は満面の笑みで、台所へ消えていった。

「トール。今年更多一緒共過」

 明明が、囲炉裏の炭を弄って言う。

「そうだな。実は店の改築する目処が立ってきたんだ。お前たちの部屋も、その際に作ってやりたい。工場に下宿するより、のびのび出来るだろう」

「真言!? 仰天嬉喜! 掃除洗濯家事手伝認任! 何時?」

「まだ先になるとは思うが、それまで今の仕事を頑張れるか?」

「仕事無辛! 勉強学得物多々々。爺婆仲良、人間関係良好。心明共巧働」

「それは良かった。言葉が上手く通じなくて、二人とも苦労しているんじゃないかと心配していたが。あ、明明。手が荒れているじゃないか。待ってろ、今クリームを出してやる」

 トールは座布団から立って、明明の後ろにある戸棚を探した。

「感謝。トール、私氏此処ニ来て良カッタ。毎日楽シイ」

「俺もお前たちが来てくれて励みになった。今年もいい仕事ができるといいな。あった。これはロキソニクセソっていう薬草と、馬油を混ぜた赤切れにも効く、俺の御用達だ。ビンごとやるからマメに使うんだぞ。手には保湿が一番だからな」

「トール。着塗」

 明明が少し甘えた声で言った。トールはやれやれと少しはにかみ、嘆息を軽くすると、自分の手にたっぷりハンドクリームを取った。その手で明明の手を包む。手を擦り合わせて明明の手にクリームを移してやる。ちょっとはにかんだ表情で、明明はそれをじっと見ていた。

「手は大事にしろよ。職人にとって命の次に大事なものだ。道具の手入れを怠ってはいけないように、自分の手入れも念入りにやるんだぞ。体が資本なんだから」

「解。トール、手、硬逞。職人手」

「自慢の手だよ。ここからたくさんのものを生み出す、俺の相棒だ」

 クリームが塗り終わり手を離すと、明明は自分の手をじっと見ていった。

「私及所早成達」

「ゆっくりでいい。今でしかできないことを積み重ねて自分の肥やしにするんだ。今、学んだことがきっとお前の将来に役立つ。今の感性を大事にするんだぞ」

 瓶に蓋をして言ってやると、

「解。勉強学多々々。生業行邁進。全身全霊。職人魂。哦! 時間有、語学勉強」

 と、明明が立ち上がって手を打った。

「今日くらい休んでもいいんじゃないか? 心明は今日は夜通しトランプをやるって息巻いてたぞ」

 すると、心明がドタドタと居間に駆けてきた。

「トール! 歌! 摩訶不思議響調子!」

「歌? なんだろう」

 三人は口を結んで、耳を澄ませた。すると、遠くの方で、

「い~しや~きいも~、おいも」

 という声が聞こえた。

「焼き芋だ。おじさん、年越しなのにまだやってるのか」

「芋? 我食想! トール、今買行!」

 心明は、ジタバタと地団駄を踏んでいる。

「お前そばお替りしたところだろ。まだ食べるのか?」

「勿論。我胃袋及宇宙的」

 と、腹をポンっと叩いて見せた。

「まぁいいか。俺も口がさみしいと思っていたところだ。二人とも寒いからあったかい格好をしろよ。おじさんがいるうちに急いでな」

「応任!」「応任!」

 今年もいい年になりそうだ。トールは、マフラーを巻きながらそう思った。

 外は空っ風が吹いて、氷室のように寒かった。双子はおそろいの赤い手袋をはめて、しっかりとフワフワのウサギの毛の耳当てもしていた。弾むようにトールの先を、歌の聞こえる方に歩いている。風に乗って、焼き芋の香ばしい匂いが漂ってくる。

「よぉ、トールちゃん。新年おめでとう。今年もよろしくな」

「おじさん、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 トールは、焼き芋の屋台を引いていた老爺に、新年の挨拶をした。

「トールちゃん、いつの間にこんな大きい子供が二人もできたんだい?」

「違いますよ、この二人は俺の弟子です」

「心明!」「明明!」

 トールが二人の頭に手を置くと、二人も元気よく挨拶をした。

「そうかい、それは賑やかで楽しそうだ。芋を買いに来たんだろ? さぁ大きいのを選びな。うちの芋は蜜が滴るほど、甘くて美味しいぞ」

「芋~」

「恍惚良匂」

 二人とも、今にも涎を垂らして齧り付きそうな勢いだ。

「年越しに精が出ますね」

「冬にはこれを家族で食べるもんだ。寒くてもこうして買いに来てくれるお客さんがいると、つい売り歩きたくなる」

「みんな喜んでいると思います。俺がここに来たばかりで、右も左も分からない時に食べたのもこれでした」

 トールの懐かしい思い出だ。身を荒ぶような寒さの中で食べた、香ばしい焼き芋の味は、今でも忘れない。思えばそれが、この街に対する感謝の始まりだったのかも知れない。

「あれから四年か。トールちゃんに見繕ってもらった、この手袋と団扇も四代目だよ。店もすっかり街に馴染んだね」

「ハナサキの街の人が優しいお陰です。本当にこの街は感謝してもしきれない」

「今年もいい年になるといいな」

 二人が他愛のない会話をしていると、二人が「此芋!」と元気よく芋を指差した。心明は両手で一つずつ芋を指し、どうやらトールの分も選んでくれたようだ。

「お! 大きいのを選んだな。じゃぁもう一つ。これはおじさんからのサービスだ」

「いいんですか? ありがとうございます。二人ともお礼を言いな」

「感謝極!」「感謝極!」

 子供が元気なのは、何より幸せなことだ。四人とも良い笑顔になって、三人は紙袋に包まれた芋を受け取った。

「おじさん。これ、家で作った甘酒です。よかったら」

 トールは瓶に入った甘酒を手渡した。

「助かるよ。今日は特に冷えるからな。それじゃいい年を」

「はい、良いお年を」「良年!」「良年!」

 ホクホクの芋をもって、三人はあったかい家が待つ、帰路へと着いた。その鼻先に白いものがチラついた。雪だ。通りで寒いわけだ。

「白雪~」「白雪~」

 と、心明と明明が手を広げてはしゃぐ。トールは身震いを一つすると、温かい焼き芋の熱を頬に当てた。

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