道具屋トールの日常

柳 真佐域

第1話『煙管に宿った神様』

 埃っぽい工房で、まな板に丁寧に鉋を掛ける男がいた。

 歳は三十を過ぎているだろうか。肌にはまだ皺などは滲んではいないが、少し硬さが出始めた。蝋のように真っ白の白髪が、男を実年齢よりも老けて見せている。伸びっぱなしになっているそれを後ろ手に、鞣した麻紐で束になるように結っている。

 男は手を休め、灰皿にあったシケモクを指で伸ばした。

 楊枝に刺したシケモクに、紙マッチを擦って火を点ける。まだ香ばしいかな、十分にまだ煙草と言っていい紫煙が、ゆらりと立ち昇る。男が深く吸い込むと、煙が肺を満たしていく。男は実に旨そうに煙草を吸った。

 男の名はトール=マキナ。職業はしがない町の道具屋。古屋を買い取って店にした『シープコプコフ』の工房は、灯り戸から差し込む陽の光が、数ある道具たちを柔らかく照らしている。

 ――そろそろ掃除しないとな。

 そんなことを考えながら煙草を吹かしていると、石炭ストーブの上にかけていたヤカンが、ピューとけたたましく鳴った。すると、

「すみませーん」

 と、外から子供の声が聞こえる。トールは、吸い殻の溜まった灰皿で、煙草の火を揉み消し、ヤカンの蓋を傾けて音を鳴り止ます。そして、体に着いていた鉋の大鋸屑を、ポンポンと手で払いながら、裏口の覗き戸を開けた。

「坊主、どうした?」

「あ、トールさん! 良かった、いらしてたんですね。お店の札がクローズになっていたから出掛けているのかと思いました」

「ちょっと知り合いからの頼まれごとを幾つかしていてな、工房に籠っていた。何か用か?」

「実はお部屋のシャワーの調子が悪くて、お湯が出ないんです。お忙しいとは思いますが、診て貰えませんか?」

 覗き戸の奥で少年は、行儀良く頭をペコリと下げた。

「確か坊主の勤めているのは、旅館だったな。急ぎの用か?」

「いえ、お客様には他の部屋のシャワーを使って頂いたので、今すぐという訳ではありませんが、夜までに直してもらえたらと思いまして。御代は預かっていますので先払いもできます」

 少年は旅館から預かっているだろう前金の包みを、大事そうに掲げてトールに見せた。

「そうだな、いいだろう。準備するから中で茶でも飲んでいてくれ。ちょうど湯が沸いた」

 トールは裏口の鍵を開けて、少年を中に通した。少年は入るなり、物珍しそうに辺りを見渡した。トールは、自分の座っていた座布団を裏返して少年に勧める。

「ありがとうございます」

 と、律儀にお辞儀をする少年を横目に、トールは工具のセットを、腰袋やバッグやらに詰める。

「お店の方には何度か来ることはありましたけど、工房の方に入るのは初めてです。色々な道具があるんですね」

 少年は、お茶の葉が入った急須にお湯を少しばかり注ぎ、茶葉を開かせていた。埃だらけの工房に、烏龍茶の素朴だが芳しい香気が漂う。

「人は道具と共に生きている。道具は人が生み出した人にしか扱うことの出来ない知恵の結晶さ。人が生きていく上で作られた道具たちは、人の生活を助けるための大事なパートナーだ。魔法みたいな奇跡は凡人ばかりでの世界では、誰もが扱えるわけではないからな」

 トールの言葉に、お茶を注いでいた少年の手が、ピタリと止まる。

「トールさんはもしかして魔法を見たことがあるんですか?」

「昔ちょっとな、俺はあまり好かんが」

 トールの口調には、微かな嫌気が乗っていたが、少年は純真そのものだった。

「すごいな~。僕はサーカスもまだ見たことないです。たまにお客さんが旅の話をしてくれるんですが、その度に外の世界はどんななんだろうって夢に見ています」

「どこもそう変わらんよ。人が生きているのにそんなに差はない」

 へぇ~と、相槌を打つ少年の眼は、まだ世間にすれていない無垢なものだった。トールは、少年がふうふうとお茶を冷ましつつ、飲み終えるのを見ながら、自分の若かりし頃と重なるところはあるか考えた。そうして自分に苦笑する。歳を取ったものだ。

「さ、準備が出来た。行こうか」 


 少年に連れられ、トールは旅館『ツバキ亭』にやってきた。小川に掛かる朱塗りの赤橋を渡り、大きな枝ぶりの見事な、松の木が縁取る庭を抜ける。築百年を超える老舗のツバキ亭は、かつて勇者一行が宿泊したと言われる、名のある宿だった。

 酒蔵のように太くしっかりと組まれた梁は、いつ見ても立派だ。日々の掃除が行き届いているのだろう、柱や壁もつやつやと表面に滑らかに味が出て、老舗旅館の歴史の厚みを感じさせる。

 着いてすぐに、問題の風呂の修理に取り掛かると思ったのだが、ロビーでは何やら騒ぎが起きていた。

「ここの宿はどうなっている! 俺たちはあの勇者と共に旅をしたこともある名誉ある客人だぞ! あんな風呂の故障した部屋を使わされたんだ。宿代をサービスするってのが筋ってものだろう?」

 毛という毛が伸びっぱなしの赤毛の大男が、物凄い剣幕で女将に詰め寄っていた。女将は腕組みしながら、ムッツリと口をへの字に曲げている。その脇にいる丸眼鏡の番頭は、オロオロと、二人の顔を交互に窺がっている。

「おぉ? 喧嘩か喧嘩」

「しっ。トールさん楽しそうですね」

 二人は近づきながら様子を窺った。

 大男の連れであるだろうブロンドの狐顔の女は、机に足を投げ出しながら、深く布張りのソファーに座り、首に巻いた紫兎の毛皮を、つまらなそうに撫でていた。

「こっちは旅の疲れを癒して、朝風呂に入って気持ちよくチェックアウトしようとしたのに、こんなに寒い朝っぱらから冷や水を浴びせられて心臓が凍るかと思ったんだぞ! どう落とし前をつけてくれるんだ、あぁ?」

「落とし前と言われましても、こちらからはお詫びに朝食の品を二品増やして提供したではありませんか」

「そんなこと言っていいのか? このまま帰したらこの旅館の評判を落とすことになるんじゃないかって言っているんだよ」

 大男の言葉に、二人の間を取り持っている番頭は、ますます困惑するばかりである。

「へぇ、あの客、勇者と一緒に旅をしたことがあるのか」

「それにしては随分と厄介そうですね」

 騒ぎを遠巻きに見ていたトールと少年の二人を、番頭は狼狽えた目で捉えると、砂漠でオアシスを見つけた旅人みたいに、駆け寄ってきた。

「トール君、良かった。後生だ、助けてくれ」

 番頭は困り果てた顔で、トールに懇願した。

「番頭、借りなら随分前に返したと思いますが」

「そんなこと言わずに頼むよ、宿の看板に泥がついちゃ客足は鈍っちまう。この通りだ」

 床に手をついて平伏する番頭を見て、トールはやれやれと嘆息する。屈んで番頭に耳打ちする。

「第一、道具屋の俺が何かできるとは思いませんが」

「それでもいい! いざとなった時に、腕っぷしには自信がないんだ」

「そんな無茶な」

「穏便に済ませられるならそれが一番なんだ。知恵を貸してくれるだけでもいい」

「……じゃぁ一つ貸しですよ」

「恩に着るよ!」

 放っておけば縋りついて、こちらがうんと言うまで離さないに違いない。トールはしぶしぶ一役買って出ることにした。それに腕っぷしならともかく、自分なら何とかできそうな予感も無いわけではなかった。

 今にも女将に噛みつかんばかりの剣幕の客を、トールは宥めにかかる。

「まぁまぁお客さん。そんなに捲し立てたんじゃ、せっかくの勇者の仲間としての名が廃るんじゃありませんか?」

「なんだおめぇは? 部外者は引っ込んでろ」

 大男は、取り持ちに来たトールを邪険に突っぱねた。それを掻い潜ってトールは言う。

「私は壊れた風呂を直しに来た町の道具屋です。お客さんがお困りのことがありましたら何なりと仰って下さい」

「道具屋? おまえなんかに用は……」

「あんた! ちょっとお待ち!」

 割って入ったのは、大男の連れの女だった。

「あたしらのことがわかっててしゃしゃり出てくるんだ。それがどういう意味かわかってるのかい?」

「その煙管。壊れているんでしょう?」

 トールが聞くと、女は白けた目で煙管を見た。そしてつまみ上げる。それはさっきから灰皿があるにも関わらず、机の上に置いたままにされていた煙管だった。吸わずにいたということは、やはり不具合があるのだろう。トールの予感が的中した。煙管は女の身なりの派手さの割に、随分と年季の入っているように見える。

「あんた、これが直せるのかい?」

「ええ、もちろん。道具屋ですから、パイプでも水タバコでも」

「少し前から上手く煙が出なくてね。あたしは煙草が無いと生きていけないからね。ほとほと困っていたんだ」

 そう言って女は、煙管をひらひらさせるものの、ソファーに座ったままで、どうやら取りに来いと言うことらしい。トールは女の傍に寄り、煙管を受け取る。

「ほぅ、これはなかなかの代物ですね。カルクレノの銀細工にミシビシの漆、ヨミの金箔。どれも高級工芸品。煙管なんてのは元来嗜好品なのに、その上更にここまで拘った仕事をさせるとは相当ですね」

「わかるのかい。これは代々大工の頭領をやっていた、あたしの爺さんの形見でね。手入れは怠ってなかったんだがどうにも調子が悪い」

 女は頬杖をついて嘆息した。トールは女の煙管を隈なく見る。羅宇に罅や割れなどは見当たらない、手入れをしていたと言うからには、詰りなどではないだろうが、吸い口を外して内部も覗いてみる。特に異常はなかった。

「お客さん、煙そのものが出ない訳ではないんですね? 一度吹かして頂けますか?」

「いいけどそれで何か分かるのかい?」

「煙を見てみたいんです」

 女は、疑い半分諦め半分で、懐から出した煙草の葉を煙管の火皿に乗せ、紙マッチで火を点けた。ブスブスと滲んだ紫煙が上がる。

「やっぱり駄目だね。ちっとも旨くない」

 女がまた嘆息を漏らした。落胆する女を他所に、トールは煙の匂いを嗅いだ。確かに上手く葉が焼けていない。湿っているような生っぽいような匂い。そこでハタと閃いた。

「お客さん。もしかしてお客さんの吸っている葉と、お爺さんが吸っていた葉は違う物なんじゃありませんか?」

「そうだけど、違ってちゃいけないのかい?」

 女は何を言っているんだと、疑いを込めて首を傾げた。

「普通の煙管なら問題はないんです。しかし代替わりしても尚、長年に渡って使っていたとなると、この煙管には九十九神が宿ったのかも知れません」

「九十九神? なんだいそりゃ」

 女は訝しげに眉をひそめる。

「安心してください。魑魅魍魎の類ではありません。道具を九十九年大事に使っていると神が宿るっていう伝説があります。神様ってやつは気まぐれでしてね。ちょっとしたことで機嫌を損ねてしまう。きっとこの煙管に憑いた九十九神はお爺さんが吸っていた煙草の味が忘れられないんでしょう。以前のものは何という葉でしたか?」

「トレトの葉だけど」

 トレトの葉は、ジャコール原産の古い銘柄だ。大人たちのやり取りを、口を閉じて聞いていた少年が、ハタとトールに目配せをした。

「女将、確かトレトの葉はここでも扱っていますよね?」

「あぁ、お待ち。持ってくる」

 女将は売店から、刻み煙草の箱を一つ持ってきて女に渡した。女は薄目で疑いつつも、幾ばくかの期待を込めて煙管を咥える。

 煙草に火が点けられた。

 すると、吹かして気づく芳馨な煙。その味は、樽の中で数十年熟成されたウイスキーのように、芳醇で複雑ながら、角の取れた調和を重ね、口腔全体に行き渡る華やかな味わいを女にもたらした。

 そして女の脳裏に、かつてこの煙管を使っていた、持ち主たちの記憶が染み出す。女は眼を閉じ、その記憶の映像に浸る。九十九神はトールたちにも、その光景を演じて見せてくれた。

 煙管から立ち登る紫煙は姿かたちを変え、清爽な顔つきな若い青年が、木材に鉋をかける姿や、少し歳を取ったか、肌に皺が滲みだした青年が壮年になり、墨壺を使って材木に墨印をつける様。幼い赤子を抱き上げ、大工仲間と談笑する老成した姿。その他にも煙管の持ち主であっただろう、幾人もの人間たちの姿。その傍らに片時も離れぬように煙管があった。きっとあの赤子は女の幼い頃だろう。どことなく面影がある。

 少年は、九十九神が織りなす光景に感嘆を漏らしそうになったが、トールが口の前でシーと指を立てた。

 女は一筋涙を流して、実に満足そうに極上の時間に浸った。あまりに女が旨そうに煙管を吹かすので、終わるまで誰も口を開けなかった。

「……爺さんが吸っていたのは、こんなに旨い煙草だったんだね。最初、爺さんを真似て吸った時には馴染めなくて顔をしかめてしまったが、実に味わい深い良い煙草だ。ありがとよ、道具屋さん。あんたがいなかったら、私はこの煙管を売って違う煙管に買い替えてたところさ」

「道具に一番の仕事をさせるのが道具屋ですから。私も良いものが見られました。道具屋冥利に尽きます」

 そうトールが、胸に手をやって礼をすると、女は、

「そう言ってくれるなら、部屋のシャワーが冷たかったことくらいなんでもないね。それに比べてあんたはなんだい! ケチな理由で宿代を掠めようとするなんて! この恥さらし!」

 と言って、大男を怒鳴りつけた。

「ひぃっ怒らないでくれよ」

 女の叱咤に、大男は自慢の巨体を、男らしくなく縮めこめた。どうやら女にはさっぱり頭が上がらないらしい。最初の威勢など何処かへ消え失せてしまった。

「どうもすまなかったね。ほら、行くよ!」

 女は宿代をきっちり女将に渡し、大男の耳を引っ張りながら出口に向かう。が、振り返り尋ねる。

「道具屋さん。あんたの名前をもう一度教えておくれ」

「道具屋シープコプコフのトール=マキナと申します」

 女は笑って頷いた。

「この煙管の恩は付けといておくれ、何かの機会に今度は客として店を伺わせて貰うよ」

「お待ちしています」

 女の顔は、ソファーにつまらなそうに座っていた時とは、打って変わって晴れやかなものだった。二人が去ると、番頭は力の抜けたような溜息をついた。

「とんでもない客を掴まされたと思ったが、助かったよ、トール君」

 番頭が、安堵で胸を撫で下ろしながら、トールに礼を言う。

「お安いご用ですよ。では俺は本来の仕事に戻ります」

「お待ち」

 さっきからずっと黙りこくっていた女将が、難しそうな顔をしてトールを呼び止めた。

「……トール。あんたの好きな藤の間を、あんたの好きな時に泊まれるようにしておく。使いたくなったらいつでも言いな。一泊分だがただで貸してやる」

「そうですか、勇者の浸かった湯なら、師匠の腰も良くなるかな」

 トールは、口に手を当てて思考するが、その前に仕事をしなくてはならない。二人に会釈をして、トールは少年に案内されて階段を上がり、問題の部屋へと向かう。階段を上っている最中、少年が沸き上がった興奮を抑えきれないように言った。

「すごいですね、トールさん。道具に宿る神様のことまで知っているなんて」

 夢のような光景を目にして、少年はキラキラと目を輝かせていた。

「長年やっているとこういうこともあるさ。ただでさえ気まぐれな九十九神は、めったにお目にかかれるものじゃない。あの人が見かけによらず道具を大切に扱っていた証拠だな。坊主、もしかしたら魔法なんかよりもずっと貴重な体験だったかも知れんぞ」

 トールが答えてやると、少年は体ごと振り返って手をぶんぶんと振った。

「そうなんですか!?」

 目を真ん丸に輝かせて驚いた後、少年は、

「……こんなこというと女将に叱られますが、お風呂が壊れてラッキーでした」

 辺りの耳を気にしながら小声でトールに耳打ちした。その様子にトールも笑ってしまった。

「ははっ女将と番頭には悪いが、俺も良いものが見られた。それに女将のあんな態度もなかなか観れるものじゃないからな……しかし勇者様のパーティにあんな男いたのか」

「なんですか?」

 トールは、口元に手を当て思考したが、

「いや、なんでもない。早く風呂を直そう」

 道具屋トールの仕事が今日も始まった。

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