第6話 愛の確かめ方
「幸福な昼寝をしたんだ、彼女と」
博人は自慢げに保乃果に言った。
「幸福な昼寝?」
「うん」
「なにそれ」
「だから…要するに、彼女と昼寝した」
「それならそうと言えばいいじゃない。
周りくどい言い方しなくても」
「それはそうなんだけどさ」
博人はコーヒーを一口飲んで言った。
「良い言葉だと思わないか?
幸福な昼寝って」
「はあ…」保乃果は呆れたように言った。
「なんだよ、その目は…」
「なまぬるーい目で見てまーす」
「何なんだよ、そのなまぬるい目って」
「生温いは生温いの。要するに、僕の彼女は最高だ!って言いたいんでしょ」
「…否定はしない」博人は頭を掻いた。
「うーわー、完全な惚気だわ。
しかもその回りくどい表現!
このリア充め!」
保乃果は博人の肘を小突いた。
「…リア充で何が悪いんだよ」
「はいはい。で?」
「え?」
「何か話したいことがあるんじゃないの?」
「特にない」
「ないんかい!」
保乃果は突っ込みを入れた。
「うん」
「…まあ、いいけど。それはそれで良いことだし。そういえば、博人の惚気は嫌ってほど聞いてるけど、彼女についてはあまり知らないなって。どんな娘なの?今更だけど」
保乃果は興味津々に尋ねた。
「ん?ああ、」
「なに笑ってんのよ、気持ち悪い」
「さっきからひどいなあ。
いいじゃないか、笑ったって」
「にやけてるー。変態」
「うるさいな。僕はそんな変態じゃない」
「ふーん?」
「だから、何なんだよ、その目は」
「なまぬるい視線で見てまーす」
「あのなあ、」
「早く聞かせてよ。それほどまでに
ベタ惚れな彼女について」
保乃果が言った。
「いいんだな?長くなるぞ」
「それは覚悟の上。はやく~」
「はいはい。急かすなよ」
博人は、彼女について語りだした。
「彼女はとても可愛いんだ」
「はいはい」
「…真面目に聞いてるのか?」
「聞いてるってば。で?」
「さっきの、幸福な昼寝って言葉は、
彼女の言葉なんだ」
「へぇー。斬新というか…」
「斬新、か。僕は彼女らしいと思うけどな」
博人は感慨深そうに言った。
「そんなことより、彼女は年上?」
「いいや」
「同い年?」
「違う」
「年下?」
「うん。6歳年下」
「6歳も下なの!?」
保乃果は驚いて声を上げた。
「なんだよ、いいじゃないか別に」
「いや、いいんだけど…今までこんな年下の
せいぜい、4歳差とかだったじゃない。そんな年が離れてるって…」
「年は関係ない。大事なのは、お互い愛し合っているかどうかだ。」
「うん、まあ、そうね…。でも、6歳差って…、結構離れてない?」
「そんなことない。僕は」
「あー、はいはい。
長くなりそうだからそこまでにして。
それで、彼女のタイプは?」
「タイプ?」
「ほら、明るくて元気な娘、とか」
「あー、そういうことか。彼女は、とても優しくてすごく大人しい。でも、自分の考えをしっかり持っている芯の強い娘なんだ」
「へぇー。そんなに大人しい娘なんだ。意外」
「失礼だな。意外ってどこが意外なんだよ」
「だって、今まで付き合ってた娘、大人しいタイプじゃなかったでしょ。ほとんど」
「いや、それは…」
「博人の好きなタイプって、明るくて元気ではきはきしてる娘だったじゃない?
お洒落で美人で色気があって…」
「ストップ!それ以上言うな。確かに、僕はそういうタイプの娘が好きだったけど、
今は違う。彼女に会って変わったんだ」
「な~るほどお~」
「…信じてないだろ」
「信じてない」保乃果は笑った。
「彼女は、こっちが心配になるくらい優しい心の持ち主で、純粋で、何事も一生懸命で真っすぐで。確かに、すごく大人しいよ。でも、それが彼女の魅力だ。彼女から大人しさを取ったら、何もなくなってしまう」
「そんな大人しいの?」
「うん」
「つまんなくない?そんな大人しかったら。第一、何考えてるかわかんないだろうし」
「そんなことない…!」博人は珍しく声を張り上げ、急に立ち上がった。
「ちょっ…声大きい」
「ん…?ああ、ごめん」博人は静かに椅子に座った。
「そんなに怒らなくても…」
保乃果は驚いた。博人が仕事以外で、ましてや彼女のことで、こんなにも怒るなんて。こんなに感情的になった博人を見たのは初めてだ、と保乃果は思った。
「ごめんごめん、つい…」
「そんなに大人しいってことは、あまり自分の想いとか口にしない?」
「うん、まあ、そうだね」博人は苦笑した。
「そんなんじゃ…うまくいかないんじゃないの」
「大丈夫。心配ないよ」
「でも、ちゃんとお互いの気持ちを伝えあわなきゃ」
「大丈夫。伝えあってるから」
「本当?」
「うん。彼女は大人しいけど、ちゃんと想いは伝えてくれる。まあ、僕がリードしないといけないけどね」博人は笑った。
「んー、それってどうなの?
博人の愛が独り歩きしてるってことじゃないの?」
「違うよ。彼女は僕を愛している」
「何か、話聞いてたら不安になってきた」
「大丈夫だって。僕と彼女は円満―」
「ちょっと貸して」
保乃果は博人の携帯を奪い、電話をかけた。
「ちょっ…おい、何してんだよ」
慌てる博人を無視し、保乃果は言った。
「もしもし?博人の彼女さん?」
「えっ? あ、あの…どちら様でしょうか…?」
控え目で、とても柔らかな優しい声。
その声の持ち主は、明らかに動揺していた。
「私、博人の友人です」
「えっ、あっ、はい…」
「今すぐ来てくれる?こっちに」
「えっ?あ、あのっ…」
「今すぐ来ないなら、博人のこと奪うから」
「えっ…!?あ、あの、それはどういう…?」
彼女は、完全に焦っていた。
「そのままの意味よ。大人ならわかるわよね?」
保乃果はにやりと笑った。
「そ、そんな…」
「嫌ならいいのよ?博人を独り占めするから」
「い、今すぐそちらに行きます…!ど、どこですか…?きゃっ…!いたた…」
「…」保乃果は黙った。
電話の向こう側の彼女はかなり動揺しているようで、ばたばたと物音がした。
「いたた…。あっ、すみません…場所は…」
「……大丈夫?」
「はい…!ありがとうございます…」
「ん、場所は…」
場所は、駅の近くの、昔懐かしさが漂うこじんまりとした、けれどもとても洒落た喫茶店―
保乃果は喫茶店の名前を告げ、電話を切った。恐らく彼女は、急いでここへ来るだろう。あの様子だと、彼女はかなりのおっちょこちょいだ。天然で、能天気。
博人がほっとけないのも、わかる気がする。保乃果はそう思った。
「保乃果!」
怒りのこもった声が、保乃果に降ってきた。
「彼女になんてことを言ったんだ…!彼女を傷つけたら僕が許さない!」
「はいはい。まあいいから、黙って見ててよ」
「そんなことできるはずないだろ!」
「いいから、私に考えがあるの」
「考え?」
「そ。考え。まあ、見てて」
保乃果は、グラスに残っていたウイスキーをごくりと飲み干した。
*
十分後、喫茶店のドアが開いて一人の女性が入ってきた。走って来たのか、だいぶ息が切れている。喫茶店のドアに下がっている鈴が、大きく左右に揺れた。
「はあ…はあ…つか、れた…」
黒髪のショートヘアの女性は、その場に息を切らして立っていた。その女性は、黒のショートブーツにピンクのワンピースを着ていた。彼女は痩身で、モデルのような体型をしていた。見た目から柔らかさが滲み出ている。
「心愛ちゃん…!」
博人は彼女を見るなり立ち上がり、駆け寄った。
「ひろ、と、さん…」
彼女はまだ、肩で息をしていた。
「とにかく、座って息を整えて。ね?」
博人はさりげなく、しかししっかりと彼女の手を握り、自分が座っていた椅子に彼女を座らせた。博人は彼女の隣に座り、彼女の背中をさすっていた。博人が彼女を見つめる目は、とても優しかった。
保乃果は、そんな博人をただじっと見つめていた。私にはそんなに優しくないのに。私にはそんな優しい目をしないのにー
保乃果は損をしたような気分になった。
「あなたが、博人の彼女?」
保乃果はあくまでも冷静に、博人の隣に腰を下ろして言った。
「えっ…あっ…はい…」
彼女は怯えたように言った。
「あなた、博人のこと本当に好きなの?」
「えっ…?」
「嘆いてたわよ、博人。彼女が甘えてくれないって」
「保乃果、やめろよ」
「だって本当のことじゃない」
「いや、それは…そうだけどさ」
彼女は眉を下げ、困ったような顔をした。
「それに、大人しくてなかなか自分の考えを言ってくれないから
何を考えてるかわからないし、つまんないって」
「…!」
彼女は目を見開いた。
みるみるうちに彼女の顔は悲しみに染まっていく。
彼女は、今にも泣き出しそうなほど目に涙を溜めていた。
「保乃果…!僕が言ってもいないことを言うんじゃないよ。それは保乃果の個人的な意見だろ?心愛ちゃんを悲しませたり傷つけたりしたら許さないって言ったよな?」
博人は怒りを露わにした。
「でも、ちょっとはそう思ったりするでしょ?大好きな彼女だからって、大人しすぎて何を考えてるかわからないなんて。
そんなの、つまらないじゃないの。
博人の好きなタイプは、美人で色気があって明るくて元気でいつも笑顔の
「それが何だよ」
博人は保乃果を見てきっぱりと言った。
「僕は心愛ちゃんを好きになった。どうしようもないほどに僕は、心愛ちゃんが好きだ。誰にも文句は言わせない。」
「…そういう女が、好きだったんですね、博人さんは」彼女の声は、震えていた。
「心愛ちゃん…?」
「そりゃあ、そうですよね。明るくて元気で、色気があって美人で…。そういう女が、男の人は好きですものね」
彼女は必死で涙を堪えていた。
「そんなことないよ。僕は」
「いいんです、わかってるんです。博人さんと私じゃ、釣り合わないってことくらい。それに私、想いを伝えようと思えば思うほど、言えなくなって…。言えたとしても、迷惑じゃないかとかいろいろ考えてしまうんです。博人さんの迷惑にならないように、って…」
「心愛ちゃん…」
博人は、優しく彼女の左手を握った。
彼女は博人を見上げた。
「大人しいから…きっと…私と一緒に居ても、博人さんはつまらないのでしょうね…」
「心愛ちゃん、僕は一度もそんな風に思ったことはないよ」
「いいんです、博人さんは優しいからそんなこと…」
「いいや、本当だよ。心愛ちゃんはすごく可愛い。僕が心愛ちゃんのどこが好きか、わかるかい?」
博人は心愛をじっと見つめて言った。
「わかりません…」
心愛は首を傾げて言った。
「降参するのが早いな」博人は笑った。
「だって…」
「分かったよ。正解はね」
「はい」
心愛は、博人の言葉を待った。
「落ち着いていて、おっとりしているところ。僕はいつも、そんな心愛ちゃんに癒されてるんだよ。」
「そんな…癒されてるだなんて…」
「本当に、いつも癒されているんだよ。どんなに嫌なことも、落ち込んでる時も、
悩みだって、ちっぽけなことのように思えてくる。それに、元気と勇気をいつももらっているよ。ありがとう、心愛ちゃん」
「そんなたいそうなこと、私はしてません…」
「ううん、心愛ちゃんはそう思っていないかもしれないけど、僕は心の支えになっているんだよ。それに…」
「それに…?」
「心愛ちゃんの大好きなところ。おっとりしているところも好き。でも、僕が一番大好きなのはね、いつもにこにこしていて、
僕の話を最後までちゃんと聞いてくれるところ。どんなに興味のない、つまらない話でも、心愛ちゃんはにこにこして聞いてくれる。心愛ちゃんの笑顔に、僕はいつも救われている。心愛ちゃんの笑顔は太陽だ。と同時に、聖母マリアのような穏やかさを持ち合わせている。」
「嫌です、そんなに褒めても何も出ません…!そんなに褒めないで下さい、恥ずかしい」
心愛は、目を背けた。
「何も、恥ずかしがることはないんだよ。それにね、」
「んん、まだあるんですか~」
心愛は困ったような顔をした。その顔がまた可愛いと、博人はそう思った。
「まだあるよ。一番大好きなところ」
「もう、それはさっき言ったじゃないですか」
「さっき言ったことに少し付け加えておく」
「付け加える…?」
「僕は、心愛ちゃんがふふふ、って笑うところが、大好きなんだ。すごく可愛い。
堪らなく可愛い。癒されるんだよ」
「そんなこと…」
「ある」
博人は、心愛の両手を優しく握りしめた。
「…嬉しい。私、すごく嬉しい」
心愛は潤んだ瞳で博人を見つめた。
「心愛ちゃんは?僕のこと好き?」
「好きです、大好き…!」
「心愛ちゃん…」
「あっ…やだ、私…」
心愛は恥ずかしくなり、俯いた。
「嬉しいな。こんなに好きなのは、僕だけかと思ってた」
「そんなことありません…!私だって、こんなに好きなのは、私だけかと…」
「考えてること同じだね、僕たち」
「ふふ、そうですね」
心愛は微笑んだ。
「それだよ、それ!僕が大好きなのは、
その笑顔だよ」
そう言って、博人は心愛を抱き締めた。
心愛は、博人の胸に顔を埋め、
温もりを感じるように目を閉じた。
「あのう~、二人の世界でいちゃつくのはいいんだけど、私の存在、忘れてません?」
保乃果が拗ねたように言った。
「あっ、忘れてた!」
博人と心愛が、同時に言った。
「あ…」
心愛は博人と顔を見合わせて笑った。
「ひどーい」
「あ、でも、保乃果さん、でしたっけ。
博人さんのこと、本気…なんですよね…」
「え?」
「えっ?違うんですか?だって…電話で、
博人さんのこと独り占めするとか、
奪うとかって…」
「ああ、それね。嘘」保乃果は笑った。
「えっ?嘘…?」
「だから、あなたが博人に本音を言って甘えるように仕向けるには、こういう方法が一番良いと思ったの。だからよ、あんなこと言ったの。ああでも言わないと、来ないでしょ。」
「じゃあ…博人さんのことは…」
「何とも思ってないわよ。安心して」
「よかったあ…」
心愛は安堵の溜息を漏らし、
博人の胸に擦り寄った。
「博人さんがいないと私、生きていけない」
「僕だってそうだよ、心愛ちゃん」
「嬉しい…」
心愛は博人を見つめて言った。
「私、博人さんの全てが好き。
特にね、頭脳明晰でかっこよくて、
とっても優しいところが大好きなの。
博人さんの優しいところが…大好き」
「心愛ちゃん…嬉しいな…」
博人は、我慢できずに心愛の顔を両手で包み、唇を塞いだ。触れるだけの、優しい口付けだった。
「ひ、ろとさん…」
心愛は、博人の温もりが残る唇に指で触れ、幸せを噛みしめていた。
「ねえ、心愛ちゃん。嫌じゃなかったら、もう一回、いいかな?」
心愛の答えは、もう決まっていた。
「博人さん…はやく…ちゅー、して…」
心愛は静かに目を閉じた。
博人の唇と心愛の唇が、優しく重なる。二人の口付けは、なかなか終わらなかった。
「そんな見せつけられちゃ…へこむなあ…。私の、片想い、か…」
保乃果の独り言は、二人には届かなかった。保乃果は、寂しげに笑った。
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