第4話 恋の予兆
僕が彼女に出逢ったのは、今から二年前。
青空と陽射しが眩しい、爽やかな夏の日―開放的な心地良い図書館で、
僕は彼女と、運命的な出逢いをした。少なくとも僕は、そう感じている。
彼女に出逢ったのは、奇跡のような気がした。
しかし、必然的であるようにも思えた。
僕は休日に、近くの図書館で決まって読書をする。
もともと本を読むのが好きで、読む種類は教養だったり小説だったり、
エッセイだったりするけれど、僕が一番好きなのはエッセイだ。
何故かというと、日常の出来事がまるで小説のように綴られるエッセイは、
読んでいてとても面白いし、作家によって物の見方が全く違う。
そこがとても面白い。そして、こういう考えもあるのかと感心するとともに勉強にもなる。
本は、人生を豊かにするものだと僕は思っている。
人生を豊かにし、本から得られる情報は己の力となり教養となる。
本から人生のヒントを得られることだってある。
生きるヒントー特に自己啓発の本には湧き上がる勇気と元気が込められている気がする。
前向きに生きるヒントが、本にはあるような気がする。
僕はいつもの場所へと向かった。週末いつも行く、あの図書館へ。
いつもと変わらない週末の、充実したひととき。
いつもの椅子に座り、本をじっくりと読む。
いつもと変わらない日常のはずだった。彼女と会うまではー
開放的な空間の、洗練されたこの図書館―僕のお気に入りの場所だ。
中へと入り、本棚の本を眺める。
さて、何の本を読もうか。
本棚をじっくり見ながら歩いていると、ふとある本が目に入った。
その本は、「星座・宇宙の本」と書かれた本棚にあった。
星座や宇宙には興味はないし詳しくもないが、星を見るのは好きだ。
星は、とても綺麗だ。見ているだけで、癒される。
『星空風景』と書かれたその本は、写真集だった。
吸い寄せられるように、僕はその本を手に取った。
が、本の固い感触はなく、とても柔らかく温かい感触がそこにあった。
―ん?
すぐにわかった。とても柔らかな温かい感触が、何なのかということに。
今にも折れてしまいそうなほど細く白い、柔らかな手―その手の持ち主は、
黒髪のショートヘアの女性だった。
いや、女性というよりも『女の子』という言葉が似合う、
あどけなさの残る顔をしていた。恐らく、二十代。
彼女もこの写真集を手に取ろうと手を伸ばしていたようで、
僕は彼女の手に触れていた。触れた瞬間、驚いて互いの顔を見た。
「あっ…ごめんなさい!」彼女はすぐに手を引っ込めた。
「いいえ、こちらこそ、ごめんなさい」僕はちらりと彼女を見た。
痩身で、モデルのような体型をした彼女は、
顔を赤くして俯いているように見えた。
「あの…どうぞ」彼女は恐る恐る僕を見て言った。
「えっ?」
「この本…お先にどうぞ」彼女は僕の前に本を突き出して言った。
「いや…先に手に取ったのは貴女ですよ。お先にどうぞ」
「いいえ…!お先に、お先にどうぞ…!」彼女は、譲らない。
けれど、僕だって譲れない。
「先に読んで下さい。僕は、他の本でも構いませんから」
「でも…」彼女は困ったように僕を見た。
僕は、彼女が突き出した本をそっと彼女の手に戻した。
「本当に…いいんですか?」彼女は僕を見て言った。
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます…!お言葉に甘えて先に読ませて頂きます」
彼女はにこりと笑った。
彼女の笑顔を見た瞬間、何かが変わった。僕の心に、ざわめきが起こった。
この時はそれが何なのかわからなかったが、今ならはっきりとわかる。
これは、『恋』なのだとー。
人生が、360度変わった。今まで見ていた世界が、更に鮮やかさを増した。
そんな不思議な感覚が僕を支配する。彼女は、僕を見てぺこりと頭を下げた。
そして本を大事そうに両手に抱え、読書スペースへと嬉しそうに駆けていく。
まるで、空を自由に飛び回る妖精のように。
―というのは、言い過ぎか。
僕は、星座・宇宙の本棚の本を眺めた。宇宙の本を読もうか、どうしようかー
そう思っていたとき、ふと目の前に視線を向けると、
読書スペースで本を読む先ほどの彼女がいた。
彼女は、目をきらきらさせながら『星空風景』を読んでいた。
―気になる。何故だか気になってついつい見てしまう。
目が、離せない。何故か引きつけられてしまう、彼女に。
いやいや、僕は何を考えているんだ。
そもそもここに来た目的は読書をするためで、出会いの場では決してない。
とにかく、本を読むことに集中しよう。
限りある時間を無駄にするわけにはいかない。
僕は本を手に取り、読書スペースへと向かった。
彼女が本を読む姿が目に入る。
どこに座ろうー考える間もなく、
いや、無意識に僕は、彼女の隣の柔らかな椅子に腰をそっと下ろした。
僕は彼女を盗み見た。彼女は本に夢中で、僕が隣に座っていることに気付いていなかった。
彼女は目を輝かせながら、じっくりと本を眺めていた。
ページを捲る手はゆっくりで、まるで一ページ一ページに載っている写真を
目に焼き付けているかのようだった。
―へえ、こんな綺麗な風景がこの世にはあるのか…
悪いとは思いつつも、彼女が見ている本のページを思わず見てしまった。
彼女が見惚れているそのページの写真に、僕は釘付けになった。
「綺麗な風景だな」思わず、心の声が漏れてしまった。
すると、彼女は驚いて僕を見た。
「あ…さっきの…」彼女はぺこりと頭を下げた。
「ああ、ごめんなさい。…綺麗だなと思ってつい。じっと見てしまって、ごめんなさい。
どうぞ、僕のことは気にせず、読んでください」
僕は、本を読もうと本を開いた。
「あの…」とても柔らかい声が僕を呼んだ。
「ん?はい、何ですか?」
「さっき、この本、手に取ろうとなさってましたよね…やっぱり…気になりますか…?」
彼女は僕を見て言った。
「ああ、いや、そんなことないですよ」
興味は、あった。星空は好きだし、星空の視写真を見てみたい。
しかし、先に手に取ったのは彼女だ。彼女には先に読む権利がある。
「あの…もし良かったらなんですけど…一緒に、読みませんか?」
彼女の思いがけない提案に、僕は驚きを隠せなかった。
まさか、そんな言葉が彼女の口から出るとは思いもしなかった。
「いや、でも…」
僕は躊躇った。本当に、良いのだろうか。見ず知らずの僕と、一緒に本を読むなんて。
「良かったら、なんですけど…。嫌ですよね、ごめんなさい」
彼女は目を伏せた。
「嫌だなんて、僕は一言も言ってないですよ。貴女さえ良ければ、ぜひ一緒に」
「本当ですか…?わあ、よかった…!」彼女の顔がぱあっと明るくなった。
僕に笑顔を向けるその姿は、まるで太陽を向く向日葵のようだった。
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