7-7 ~意志~
扉が僅かに開き始めた。隙間から吸うだけで気持ちが悪くなる空気がこちらへ流れ込んでくる。
そして扉周辺には、幾人もの自警団員が転がっていた。ジャナルを止めようとしてニーデルディアに返り討ちにあったのである。
もう邪魔者はいない。それなのにニーデルディアの表情は曇っていた。
先程からジャナルの身体から放たれる魔力の出力が安定しないのだ。
魔力そのものは『アドヴァンスロード』が無限に生み出せるので切れる事はない。だとしたら原因は、一つしかない。
(まさか)
ニーデルディアは眉間にしわを寄せた。
扉が開ききるまではジャナルには忠実な傀儡になってもらわないと困る。
「出力を。もっと出力を上げなさい」
ニーデルディアが命じると、再び安定を取り戻す。どうやら大したものではないと分かり、ニーデルディアの表情も元に戻る。
あともう少しで悲願が達成できるのだ。そう、あと少しで。
(あの馬鹿、何やってんだか!)
この僅かな異変に気づいた者はもう一人いた。
先程からジャナルに対して毒舌な怨念(?)を送っている召喚術師・アリーシャである。
(早く起きろって! こっちはやばいんだから!)
なんとなくだがアリーシャは、完全にニーデルディアにとらえられたジャナルの精神の中で、抵抗勢力が生み出されている事を感づいていた。
自警団らも敗れ、直接ジャナルやニーデルディアを阻止する手立てがない今、最後の望みはジャナル自身が自力でどうにか我を取り戻す以外無いに等しい。
(このままじゃ扉が! そんなのは絶対に駄目)
扉が開ききって人類が敗北しようものならジャナルは操られたとはいえ、それを行なった大犯罪者として歴史に名が残るだろう。
(ジャナル、あんたはそれでいいの?)
アリーシャのすぐそばにはうつ伏せになったままのフォードがいる。息はあるようだ。
そして、フォードから数メートル離れた地面にはバッジの形に戻ったジャナルの
(剣一本で冒険者になるって言ってたのに)
アリーシャは雀の涙ほどの力を振り絞って自分の杖を握り締める。
(世界が滅んだら全部終わりなんだよ?)
ジャナルさえ正気に戻れば勝算はある。彼女はそう直感していた。そのためには自分の力が必要だという事も。
(だから起きんかいっ! てめぇが起きないと勝算も何も無いだろー!)
祈りながらキレた。気がつけば怒り任せに叫んでいた。
「こんのへっぽこ剣士! さっさと起きろっつってんだろーが!」
言ってから激しい疲労と後悔がいっぺんに襲い掛かった。ここでの後悔は言いすぎた、という意味ではない。ニーデルディアに自分の無事を教えてしまった事である。
「やれやれ死んだフリとはね。やっぱり生かしておくのは厄介みたいですし、ここで死んでもらいますか。」
ニーデルディアの拳に邪気を含んだエネルギー球が凝縮されてゆく。
まずい。あの攻撃はアリーシャだけでなく、近くにいるフォードも巻き込まれる。
「死になさい!」
万事休す。だが
ふざけるなあ!
一瞬幻聴だと思ったが、そうはっきり聞こえたような気がした。
「!」
扉の方を向いていたはずのジャナルが、こちら側に反転し、扉へと流れていくはずの魔力が光の束になってアリーシャの方へまっすぐ伸びてゆく。
「アリーシャ、受け取れ!」
魔力還元。イオの事件の時にも実践した足りない魔力を他人から分け与えるという術。
だが、『アドヴァンスロード』によって膨張した魔力の量は半端ではない。既に空っぽに等しかったアリーシャの魔力は嘘のように全快し、すぐさま術を繰り出した。
「制する魔女よ! わが命に従え!」
そして、アリーシャの魔力が回復した時点で言われなくとも魔女は動いていた。
すっかり活力を取り戻した魔女は、開放されかけた扉の再封印に取り掛かる。
「なんだと!」
ニーデルディアには最悪な誤算だった。傀儡と化したジャナルが正気を取り戻し、魔力が尽きて何も出来ないはずのアリーシャが復活し、同胞のはずのテンパランサーに計画の邪魔をされるとは。
だが、これで勝ったと思っていたアリーシャたちにも計算外な事が起きた。
いくら魔女の力を以ってしても、扉は一向に封印される気配はなく、開きかけた扉はピクリとも動かないのである。
「ジャナル! 何してんのさ!」
「だって身体が勝手に動くんだもん!」
「だもん、じゃない!」
ニーデルディアの呪縛はまだ完全に解けていなかった。ジャナルが取り戻したのは彼の意識だけ。身体はまだニーデルディアの支配下に置かれたまま、『アドヴァンスロード』の供給は止まっていなかったのである。
扉を開けようとする『アドヴァンスロード』、封印しようとする『テンパランサー』。正反対の力同士のぶつかり合いによって、結果はプラスマイナスゼロ。よって扉は動かない。
「こんの馬鹿! なんで中途半端に正気に戻ってるわけ? 意味がないだろ!」
「俺のせいかよ! ……いかん、大声出したら本気で乗っ取られる!」
身体が勝手に動くという歯痒さと戦いながら、ジャナルはちょっと前にカニスが悪魔にとり憑かれた時のことを思い出していた。よくあいつは自力で目覚められたよなあ、と。
「気をしっかり持て! 意識が戻るまではうまく言ったはずだ。それを思い出せ!」
緊急事態に魔女も熱血モードである。というより、苛立ちで怒鳴っていた。
しかし、思い出せといわれて思い出せるものでもない。
(さっきだってどっからかへっぽこ剣士! って声がしたから思わず、あれ? 今思えばあれ、アリーシャの声だった気が)
だからと言って彼女になじってくれとはいえない。
「これじゃあただの変態ぐああああっ!」
ジャナルの腕に激痛が走った。ニーデルディアの支配が一層強まり、『アドヴァンスロード』によって強引に生み出された魔力が更に流れ出す。
「下らないお喋りをしている暇があったらキリキリ働きなさい。裏切り者の魔女め、よく聞け! このまま続けば小娘の魔力分しか動く事ができないお前の負けだ!」
魔女もアリーシャもその事には気づいていた。だからと言って退いていい理由にはならない。
「仕方が無い」
魔女はそう言うとジャナルの側に瞬間移動した。
何事かと思ったとたん、魔女はいきなりジャナルを突き飛ばした。
「汝、その力死すべし」
突き飛ばされたジャナルは地面に転がったまま、動かない。いや、動けなかった。
体温と心肺機能が大幅に下がり、凍るように冷たくなる身体と窒息してしまいそうな感覚に眩暈さえおぼえた。
その力死すべし。
言葉通り、魔女はジャナルの生命力と共に、『アドヴァンスロード』を鎮めてしまったのである。
(そう来たか。だが)
ニーデルディアは黒い炎にも似た邪気の塊を繰り出し、一気に放出した。標的は魔女が離れた事によって完全に無防備になったアリーシャだ。魔力の供給源が絶たれれば魔女の「力」も無効化される。
無情にも彼女の方に伸びていった炎は爆発を起こし、焦げ臭い嫌なにおいがあたりに蔓延する。
「アリー、シャ!」
ジャナルは倒れたまま、目の前で起こった現実をただ呆然と見ることしか出来なかった。アリーシャにはニーデルディアの攻撃を回避する余裕は無かったはずだし、この爆発では生死すら絶望的である。
「元を断つ。考えている事は一緒ですね。残った魔力でかろうじて実体化出来ているようだが、それも時間の問題。魔女、あなたの負けだ」
ニーデルディアが魔女の方へと迫る。
(俺のせいだ)
無力感に打ちひしがれながらジャナルは爆風を見つめていた。胸の中は悔しさと悲しさでいっぱいだった。
(結局この有様かよ!)
泣きたかった。叫びたかった。だが、眼前に広がる光景はそうさせてはくれなかった。できる事といえば絶望を認識する事だけ。
(絶望?)
涙すら流れないジャナルの目に、爆風の中から何か小さく輝くものが飛んでくるのが映った。
それはそのままジャナルの方へ飛んでいき、彼の被っている帽子の鍔にあたって地面に落ちた。
不思議に思いながらもそれに手を伸ばす。ニーデルディアの気づかれないよう細心の注意を払ったが、奴の意識は魔女の方へ向いているようで、使い物にならなくなったジャナルには目もくれていないようだった。
拾い上げた「それ」を見て、ジャナルは一気に目が覚めた気分になった。
魔女とニーデルディアはというと、既に激しい攻防戦に入っていた。
やるなら今しかない。
魔女の「力」によって、ろくに体は動かず、『アドヴァンスロード』は強引に鎮められたため発動する事はできない。
(やってやるんだ。俺自身の力で)
手のひらに小さな希望を握り締め、ジャナルは激痛に耐えながら身体を起こそうと懸命になった。
魔女は言った。どうありたいかは自分で決めろと。
(俺は戦える、俺は戦える。あんな力がなくても俺の身体は戦える。俺は、俺は)
膝で立てるようになった頃には、ニーデルディアと魔女は空中戦にもつれ込んでいた。
一見魔女が押しているように見えるが、動力源であるアリーシャの魔力が断ち切られているせいか、体力の消耗が激しい。このままだとスタミナ切れで巻けるのは必至だった。
「黙って私に従えばいいものを。そうまでして何故戦う?」
「私の意志がそう決めたからだ。お前は、お前らのような強欲な魔族に戦争の道具にされ、打ち棄てられた魔族がどれだけいるか知っているのか! その中で自身の誇りを守る為に自決した魔族がどれだけいるのかも!」
「何を言い出すかと思えば。誇りとはくだらない。ただの自己満足に過ぎないというのに」
「っ!」
魔女が怒りを露にして攻撃を仕掛けてきた。だが、攻撃が届く前にニーデルディアの鋭い爪が彼女の身体を裂き、魔女はなす術もなく地面へと落下する。
「そう、私は目的の為ならば宿敵である人間にだって成り済ます」
ニーデルディアもあとを追うように、身体に纏った黒い霧を揺らめかせながら地面に降りた。
「魔力切れを狙っていましたが、あなたはすぐに消えるべきだ。邪魔な駒はここで死」
言葉は最後まで続かなかった。
気づいたときには、ニーデルディアの身体は、心臓部である核ごと真っ二つにされていた。
首だけ後ろに向けて、最後に見たのは、黒い片刃の剣を片手にまるで野獣のように目をぎらつかせたジャナルの姿であった。
「地面に降りたのが運の尽きだな、ニーデルディア」
核を失ったニーデルディアの身体は見る見るうちに灰と化し、崩れ落ちていく。
最後のひとかけらが地面に落ちたとき、ジャナルはジークフリードを握ったまま倒れこんだ。
(サンキュ、ジークフリード。お前じゃなかったら倒せなかった。やっぱ最後に頼れるのはこんな反則的な力)じゃなくて、自分の持っているものだよな)
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