3-6 ~標的~

 光の中から青白い肌をした、異形の女が浮かび上がる。

 人々が恐れ、かつて何十年も戦った敵である魔族。

 人類にとって忌々しい存在が、一人の人類の手を組んでこの場に現れたのだ。

「さすが人間の魔力は非常に美味だ。魔族の連中が人間を家畜にしようとしたのも納得できる」

「それじゃ契約違反!」

「冗談だ。後は任せろ」

 魔族の女・テンパランサーは左手を掲げると、指をぱちんと鳴らす。

 するとたったそれだけで、ジャナルがピクリとも動かなくなってしまった。

「これでいい」

「……え、何が? これだけ?」

「これだけだが?」

 あれだけ大掛かりな呪文で呼び出しておいて、活動したのは10秒足らず。結果的に良しとはいえ、何かアリーシャは納得がいかなかった。

 ジャナルの方は気絶しているだけで外傷はないようだ。アリーシャはそれを見て一安心した。

 魔女はジャナルの身体にそっと手をかざした。淡い紫の光があふれ出る。

「う、がっ、がはっ!」

 意識がないはずのジャナルが苦しみだしたのを見て、魔女は目を見開いて首を振った。

「ダメだ。完全に肉体に封じられている」

「え?」

「この男の身体にはどういう経緯でそうなったか分からないが、私の半身である『アドヴァンスロード』の残留思念が宿っている。普通なら人間のお祓いでもどうにかなるが、こいつは何者かによってこの少年の身体に封じ込められてしまい、取り出せない状態になる。一体何の目的でこんなことを……」

「『アドヴァンスロード』? それって総会長がジャナルに言ってたという、魔族の遺産だっけ……まさか抹殺したい魔族って!」

「そう、こいつにとり憑いている奴だ。運命を共にした半身であり、唯一の戦友。死して魂もないのに、『力』だけが残留思念として残っているが故に未だ安らかに眠ることも許されぬのか。やっと探し当てたのに、これでは」

 魔女はよろよろと立ち上がった。よほどショックだったようだ。が、アリーシャと目が合うと、今の態度をごまかすかのようにきっと睨み付けた。

「ところで小娘。お前、書物から私のことをかぎ回ろうとしていたな」

「ちょ、いきなり何言い出してんの?」

「とぼけるな。私は図鑑に載るほど安い存在ではない。ついでに私のことを他の誰かに喋ったら首を跳ね飛ばすからな」

「何それ! 魔力不足で行き倒れになりかけたのを助けてやったのはどこの誰だと思ってんのさ!大体目的や正体も教えないくせにその態度は何?」

「人間の小娘の分際で私と対等だと思っているのか。それに私の正体と経緯は語ったはずだ」

「私が分かったのは、あんたが言ってた抹殺したい魔族がジャナルにとり憑いてる変な力の事だっていうのだけ! しかもそれ知ったの今じゃん!」

「それだけ分かれば十分だろう。」

「どこがだっ! ジャナルはこれからどうなるのさ!」

 アリーシャは倒れているジャナルの方を見た。また今みたいな誤作動が起きるかもしれないし、今度は体育館だけではすまされないかもしれない。ジャナル本人だってそんなことを望んではいないはずだ。

「今の私ではどうにもならん。その上何者かが奴の覚醒を促しつつ、その力をこいつの身体に封印している。力そのものに意志がない以上呼びかけても反応がない。せいぜいあるのは生存本能。眠くなったら寝る、食事をしたら消化器官が働くのと同じように、宿主が死の危険が迫ればそれを守るように力を発動するだけだ」

「死の危険?」

 ジャナルの力を始めてみたときの状況を思い出す。確か3人組の一人が魔術式爆弾の直撃を受けた時だ。この後、ジャナルが7,8メートルも跳躍した上、ナマクラ同然のジークフリードで3人組を叩きのめした。

 そして今回の誤作動。場所が体育館なので、実戦訓練の授業中だろうか。いくらこの学園が戦術学園という名前でも、命を落とすほど危険な授業はほとんどない。

「いや、ま・さ・かとは思うけど、試合かなんかで相手に斬られそうになったとたん「死ぬ」とでも思ったんじゃ」

「危機反応に関してはどうにもならないからありえない話ではないな。だが、数回の覚醒でブレーキが外れかかっている。いや、そうやってブレーキが外れるように仕組まれているというのが正解か。このまま同じことが続けば冗談抜きでこの地が吹っ飛ぶぞ」

 魔女は再び手をかざした。今度は淡い青色の光が彼を包む。

「気休めだが、簡単に暴走しない程度には眠らせておいた。根本的な解決にはならないがな」

 そして、アリーシャの方へ顔を向ける。

「小娘。私はしばらく姿を消す。誰かが我が半身を使って何かを企んでいる以上、相反する力を持つ私の存在を知られるのはまずい。だが、何かあったら呼べ。それは許可する」

 魔女の目はどことなく寂しげであった。その目をほんの少しの間、ぽっかりと開いた天井に向けた後、スッと姿を消した。




 それから数分もしないうちに、保健委員や教師陣が駆けつけ、瓦礫の撤去作業に入った。

 体育館内に残っていたのはジャナルの他にはヨハンとカーラだけで、二人とも助け起こすとすぐに目を覚ました。

 ジャナルはそのまま保健室へ連れて行かれ、3人の保健医が診察を行ったが、特に異常はなかったという。もちろんそれは魔女・テンパランサーの処置が異常を悟らせないようにしていたのだが。

 その後はジャナル達のクラスだけで事情徴収が始まったが、誰に聞いても「いきなり試合中に爆発が起きた」としか答えられず、ジャナルが原因だと断定するには証拠がなさ過ぎる。

 そのうち「あの陰険メテオスが嫌がらせでギミックトランサーに細工してたんじゃねーの」と誰かが言い出したところから収拾がつかなくなってしまい、結局うやむやのままお開きとなった。

 多くの生徒は事情聴取で呼ばれたにもかかわらず何も得られないことに不満を抱いていたが、ジャナルは心底それに安心していた。

 彼は『力』のことは知っていても、状況を完璧に把握してないし、唯一の手がかりといえば学校教育総会長であるニーデルディアだが、総会長の名前を出したところで誰がジャナルの話を信用するのか。体育館のことが自分のせいであっても真相が明かされるまでこのことは胸の中にしまっておいた方がいい、と彼は判断した。

 ジャナル、イオ、カーラ、それにヨハンは帰りがてら崩壊した体育館を見に行った。一目見て閉口したくなるほどの損傷だった。

「アリーシャに感謝してやれよ、ジャナル。お前を助けるために体育館へ突っ込んでいったんだからな。あの後どうやって振動と爆発が止まったのかは知らないけど、おかげで助かったようなもんだ。あといつものことだが、ディルフにも一応謝っておけよ。理由は、もういい」

 イオは眼鏡の位置を直そうとして、眼鏡はジャナルに壊されたのでいまは着けていない事を思い出した。

「ついでに俺の「眼鏡」の事も許してないからな」

「何でそこだけ強調するんだよー! 大体アレ、伊達眼鏡で度なんか入ってなかったぞ」

「うるさい! ディルフじゃないが、少しは反省しろ!」

「ああ! ほら、もうケンカしない!」

 少し離れた所で二人のやり取りを見ていたカーラが割って入る。

「全く、どうでもいいことで揉めてないで少しはヨハンを見習えって。って、ヨハン?」

 カーラがヨハンのほうを見ると、彼は体育館を睨み付けるように見ながら、聞こえないくらいの小さな声でぼそぼそと呟いている。

「……あれは確かに路地裏で遭った女魔族の氣だった。見たわけじゃないがあの汚らわしい気配は間違いない」




 その夜、校長と一部の教師陣だけで緊急会議が開かれた。議題は他でもない、今日の事件の事である。

「そんな。あの伝承が本当だったなんて」

「分かっている。ろくに真偽を確かめなかった我々の失態だ。だが、少なくとも私とトムは見たのだ。彼に宿った力をな。そしてその力を用いて総会長が何かをしようとしていることも」

 辺りに沈黙が走る。校長とトムが昨夜の追試の出来事を知り、一同はショックを隠せなかった。

「けれども『アドヴァンスロード』の話はこの分校にしか伝わっていないはず。元々地元にあった禁忌ですが、学園の敷地内に魔族の力が封じ込められた石像があったなんて世間に知れたら学園は終わりですよ」

「その石像はすでに数年前に壊されていたのだ」

「何ですって?」

 沈黙がどよめきに変わる。

「そ、それでこれから我々はどうすればよいのですか? 総会長が絡んでいる以上、正直、我々だけは手の打ちようがないじゃないですか」

 再び沈黙が流れた。学園に眠っていた忌々しき魔族の遺産を人知れずどうにかしなければならない。

 だが、ニーデルディアの目的がはっきりと分からない以上、直接総会を敵に回す事もしたくない。

「ニーデルディア総会長の方にはトムが昼過ぎに本部のある首都へ出向いてもらった。情報を掴み次第連絡が来るだろう。だから当面はジャナル・キャレスのことだけに目を向ければいい」

「校長」

 教師の一人が挙手した。槍術コース8年担当のメテオスだ。

「あなたは目を向けろと仰いますが、正直甘すぎます。解決策など最初から一つしかないでしょう」

「何だと? 言ってみろ、メテオス」

 発言を促され、メテオスは立ち上がった。

「あの力を葬るのに手っ取り早い方法は一つ。即ち媒体ごと消すことです。生命体と一体化している状態ならあの忌々しき魔族の遺産もそれで始末できるはずです」

 またもや沈黙がどよめきへ変わり、ざわめきへと発展する。皆、メテオスが指し示す事が何なのか、理解できた。

「彼を、ジャナル・キャレスを暗殺するのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る