第三章 巡る対極
3-1 ~帰ってきた普通で平和な学園生活~
その昔、対なる力を持つ二人の魔族がいた。
一人は自由をこよなく愛し、束縛を何よりも嫌った。
もう一人は魔族の中で唯一「理」を知り、秩序を守ることを良しとした。
彼らは何を求めることもなく、誰を恨むこともなく、ただ生を全うしていた。
世界に絶望した、あの戦いのときまで。
その日、二人の魔族は二つの選択を迫られる。
このまま戦争の勝利のために力を奮うか否か。
前者は生なれど隷属なる道。
後者は裏切り者の烙印を押されて処刑される末路。
疲れ果てた二人は、そのどちらをも選ぶ気力も残っていなかった。
その決断はあっけなく下された。
自由を愛する魔族は、自らその命を絶つことで己の力が利用されることを拒んだ。
誰もが予想していなかった出来事に魔族たちは混乱に陥った。
対なる魔族はその混乱に乗じて姿を消した。
それっきり行方知らず。そのまま二人の魔族は歴史からをも姿を消した。
そのまま忘れ去られていれば、どれだけ幸せだったのだろうか。
あの力さえあれば。あの力さえあれば戦争に勝てたのに。
いや、今からでもその力を手にすればこの世界をひっくり返すことだってできる。
失った誇りと勝利を取り戻すためなら、今ここで戦いを何度だって誓ってやろう。
それは人間の感情に例えるとしたら、どうしようもない「執着」だった。
そして、誰も知らぬままに訪れるもう片割れの最期の時。
あの者は安らかに眠れているのだろうか。死した先の自由を手にできたのだろうか。
もしそうであれば何も言うことはないが、もしそうではなかったら。
誰であっても、その遠き思い出の日々を荒らすことを許さない。彼の自由を奪うことを許さない。
それは人間の感情に例えるとしたら、その感情の名は――――――
戦士科剣術コース8年生・ヨハン・ローネットの朝は早い。毎朝7時前には登校し、学科専用の体育館で自主トレーニングを始める。
早朝の自主トレーニングをする者は彼以外にもいるのだが、ここ一週間は学園教育総会の監視の目を恐れてか、誰も来なかった。
巨大な剣、というよりも刃の部分は矛のような形をしている武器を上段に構えたまま、彼は微動だにしない。型の練習と精神統一を兼ねた修行だ。
彼は目を閉じたまま、その姿勢をずっと保ち続けている。
5分。10分。
時は確実に過ぎているのに、彼の周りだけ時間が止まっているようだった。
そして更に数分後、その沈黙は体育館のドアを開ける音によって破られた。
「あれ、ヨハン? おはよ」
「お前か、カーラ」
長い髪に半分埋もれている顔を上げ、入口の方を見る。その目は感情が一切伝わらない、ひどく無機質なものに見えた。
「悪いけどちょっと邪魔するよ」
同じクラスのカーラ・カラミティは、外見はそれらしい色気が微塵も感じられないが、クラスで唯一の女子だ。だが、その実力は決して男子には劣らない。
「元気そうじゃない。昨日はいきなり休むから何事かと思ったよ」
「ああ。大事ない」
「こっちは大変だったよ。昨日ディルフがうちのクラスにやってきて「ヨハン出せ」ってわめくし。一体なにやらかしたんだか」
「ディルフ? ああ、ジャナルの弟か」
そういえば一昨日路地裏で会ったような気がする。その直後、妙な女魔族に遭遇して、しとめ損ねて……ヨハンはしばし回想していた。
ディルフのことはどうだっていいが、魔族を取り逃がしたことが、彼にとっては屈辱だった。
「あ、そうそう。総会のお偉いさん達、朝一で帰ったみたい。これで思いっきり羽が伸ばせるね。って、優秀なヨハンには関係ないか」
「そうか」
カーラは少し困った顔をした。どうにもヨハン相手だと一問一答みたいな感じになってしまい、会話が全く弾まないからである。
もちろんヨハンに悪気はない。彼は至ってこれが素である。悪気がないので当然自分の対応に問題があるとは微塵も思っていない。
とまあ、大体の人間はそこで諦めて会話終了するのだが、カーラはそこで引き下がらない。彼女にとっては人と接することが極端に少ないヨハンと話すせっかくの機会だ。この時間が終了するかヨハンの方から拒絶するまではできうる限りコミュニケーションをとりたいと考える。
「そうだ。せっかくだから手合いしよ。練習用の剣もあることだし。よし、決まりね、決まり」
カーラは通学用のカバンとして使っている丈夫な麻袋から木製の小太刀を二本取り出し、それを器用にくるくると回して見せた。
「やれやれ」
ヨハンはため息をつくと、カーラの提案に応じることにした。
やがて、生徒たちが登校してくる時間帯にさしかかる。
学園中のアラというアラをチェックしていた学園教育総会の人間が朝一番に本部に帰ったことで、学校生活を煩わす存在がいなくなり、学園はいつも通りの活気が戻っていった。
廊下で大声できゃあきゃあ喋る、階段に座り込む、低学年のクラスになると教室内をはしゃぎ回っている者もいる。どれもこれも総会にとっては排除すべき汚点だ。これまで抑圧されていた反動とも言えるかもしれないが。
「そ~の~両足で~立~ち上がり~蒼い空を仰ぎ~」
軽やかにスキップをしながら、歌を口ずさんでいるのは、戦士科格闘術コース5年生のリフィ・アンセムだ。格闘術コース在籍、という割に彼女は小柄で華奢だった。筋肉もあまり付いていない。
「未だ見ぬ~戦場へ~と~旅立~つき~み~は~……あれ? 次なんだっけ?」
足を止めて次のフレーズを思い出そうとする。単語を少し口ずさんでは「あ、これは違う曲だ」とか「二番の歌詞だった」などと呟いている。
「うー思い出せない。……あれ?」
リフィが頭を抱えていると、前方に赤いキャップと赤いジャケットというやたら目立つ服装の人物がフラフラと歩いているのが見えた。
「あー! ジャナルさん!」
そのまま元気よく赤いジャケットの背中をポンと叩いた……つもりだったが、相手は不意打ちをくらったかの如くそのまま地面に倒れた。リフィの顔が一気に青ざめる。
「ああっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか? 保健室、行きます?」
「そこまでしなくてもいいけど……大丈夫じゃないな……」
ジャナルがずれたキャップを手で直しながら立ち上がる。
朝一というのに、彼は気が抜けていてぼんやりしている。どうにも昨夜受けたらしい試験の疲れが一晩立っても取れていないようだった。どちらかというと、肉体的疲労より精神的疲労の方が大きいようにも見えるが。
「ところでフォードはどうしてる?」
「お兄ちゃん? それがひどいんですよ。昨夜は仕事ほっぽってどっか行っちゃうし、おかげであたしが叱られちゃったし。すっごく悲しかったですぅ。ま、朝はちゃんと市場に出かけたみたいだから元気なんでしょうけど」
妙に媚び媚びした話し方をするが、リフィは元々こうなので、見知った相手は誰もそれに突っ込みを入れることがない。ちなみにあんまり好きではない相手に対しては塩対応なので彼女は大変分かりやすい性格だとよく言われる。
「出かけた……か。まさかとは思うけどまさかなあ……」
「本当に大丈夫ですか、ジャナルさん? なんかすごく疲れているみたいだけど、やっぱり試験って大変でした?」
「それがさあ、試験の事あんまり覚えてないんだよ」
「え?」
どういうことかと問い返そうとするリフィに、ジャナルは赤ジャケットの内ポケットから紙を取り出す。
広げてみるとそれは、学園教育総会の印が押された合格通知書だった。
「すごい! 合格だったんですね! さすがジャナルさん」
目をキラキラさせるリフィだが、そもそもジャナルが合格したのは追試である。それも退学を賭けたギリギリの追試なので受けること自体が不名誉である。一般的な生徒からすればすごくも何もない。
「ただ、マジで昨夜のことがはっきり思い出せないんだよなあ。めちゃくちゃ死ぬかと思ったことは覚えてるんだけど、そこから先が……気づいたら寮のベッドの上に倒れてて横にこの紙が置いてあったんだけど……合格ってことは学校来ていいんだよな?」
「なんとも不思議な話ですねえ」
リフィが小首をかしげる。でも、彼女にとっては試験の出来事には全く興味はなく、一番重要なのはジャナルが退学せずに済むという事実だった。
学年が3つも違うし、今のように偶然出会う以外だと店くらいでしか会えないのだが、彼が卒業するまでは一緒の学校にいられる。リフィにとってはその喜びがすべてだった。
「なんだ。悪運が強い奴だな」
そこへ、不機嫌そうな顔で全身に何本ものベルトを巻いたファッションの男子生徒がやってきた。
彼の名前はディルフ・キャレス。ジャナルの弟だ。
「ディルフじゃねーか。どうした?」
「別に。とりあえずバカ兄が復帰したことで俺も後ろ指さされなくてすむことを実感しているだけ。ったく散々迷惑かけやがって」
「昨日のクラスの殴り込みも迷惑だろうに、お前も人の事言えないだろ」
「なんだとっ!」
誰に対しても明るい口調のジャナルと違って、ディルフの態度はとげとげしい。特にジャナルの前だとそう見えるのは気のせいだろうか。
「ディルフさん、ジャナルさんはものすごく疲れてるんですよ。何もそんな言い方しなくたって。素直にお兄さんを心配していたって言えばいいのに」
ジャナルを弁護するかのようにリフィが口を出す。が、これがディルフにとっての地雷だった。
「素直も何も別に心配なんかしてない! 心底迷惑してたんだ!」
「ひ、ひどーい。こんないいお兄さんなのにどうして弟さんはこんなひねくれで偏屈に育ったんでしょ?」
「何だと。俺がこのバカ兄よりレベルが低いといいたいのか!」
「ジャナルさんはバカじゃありません!」
リフィが明らかに贔屓で物を言っていることは明白なのだが、ディルフは全く気付いていない。
「ああ……もう朝から勘弁してくれよ……」
当のジャナルは付き合ってられないといわんばかりにその場をそっと去ることにした。
「お、おい、ジャナルだ! ジャナルが来たぞ!」
教室に入ったとたんジャナルを出迎えてくれたのは、鳩が豆鉄砲を食らったようなクラスメイト達の驚きの顔であった。そして驚いたあと、喜びと落胆の二つに分かれた。
「嘘だろー! 絶対無理だって思っていたのに!」
「よおっしゃー! 大穴的中!」
その他、金額を計算する者、頭を抱える者、唐突にジャナルを罵倒する者とクラス中大騒ぎだ。
「どういうこと?」
「賭けをしていたんだよ」
イオが眼鏡をかけなおしながら答えた。
「お前が退学するかしないかをな。ま、言いだしっぺは俺だけど。おかげで損したぜ。絶対お前は受からないと思ってたのに」
「ひどっ! お前、それが友達に言うセリフか?」
話によると、この賭けに参加したのは乗り気のなかったヨハンとカーラを除くクラス全員の13人。うち、儲けを出したのはたったの3人。自分の在学を賭けた試験をギャンブルの対象にされ、しかも合格すると思っていた人間の少なさに、ジャナルは少し傷ついた。
「ま、これでお前は在学決定。煩わしい総会の堅物も居なくなったことだし。またいつもの平和で楽しい学校生活に戻るというわけだ」
そうこうしている内に、朝錬に出ていたヨハンとカーラが戻り、始業のベルが鳴った。
だが、HRの時間になっても担任であるトムは現れなかった。代わりに10分程してから露骨に嫌そうな顔をした槍術コースの教師・メテオスがやって来た。
メテオスは教壇に上がると、眉間にしわを寄せながらこちらを見回した。そしてやはり露骨に嫌そうなため息をつく。
「聞け、能無しのヒヨッ子共。トムは体調を崩して休むそうだ。よって今日このクラスで予定していた実戦授業は私が見ることになる」
「え? 槍術コースと戦うんですか?」
「愚か者。なんでうちの生徒とお前らなんかと戦わせにゃならんのだ。メニューは別々に決まっている。分かったらさっさと体育館へ来い」
言うだけ言うとメテオスはさっさと教室を出て行った。
「ヤな奴っ!」
去ったあとでジャナルが叫んだ。
「なんで復帰早々あんな奴の顔を見なきゃならないんだよ!」
「仕方ないだろ、メテオスなんだから。にしてもトム先生どうしたんだろ? 身体を壊すようなキャラじゃないだろうに」
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