2-4 ~最後の試験~
リフィはものすごく不機嫌だった。注文のレモンティーを取りに行って戻ってきたらジャナルの姿はなかったし、兄のフォードもいない。いるのは自分の苦手な人物であるアリーシャだけ。
一方アリーシャはそんなことには全く気にする様子もなく、足を組み、雑誌を捲りながらたった今来たレモンティーをすすっている。
「読むか飲むかどっちかにしてください。そんなに読みたい本なんですか」
「まあね」
アリーシャが熱心に読んでいるのは「今週の星占い」のページだった。
「……ずいぶん信心深いもので」
「ん? 占いと宗教は別物だよ。この占い師のコラムってすごく面白いからちょっとファンなんだよね。結構当たるし。先週の占いもビンゴって感じ」
「で、その内容は?」
「落雷注意」
確かにアリーシャはカニスの一件で電撃地獄を味わったが、普通は的中しないだろう。
「馬鹿馬鹿しい。やっぱり召喚術とか使う人って理解できませんね。なんか変な生き物をこき使ってばかりだからそんな安っぽい占いとかも信じちゃうんだ」
「……言ってることが支離滅裂なんだけど」
アリーシャは雑誌を閉じて、リフィを見た。別に怒ってなどはいなかった。リフィの言いがかりがあまりにも幼稚すぎて怒る気になれなかったのである。
「それに召喚術は精霊とかを使役して戦うけど、別にこき使ってるわけじゃないよ。呼び出して働かせた分の魔力を報酬として精霊に分け与えているって言うのが術のメカニズムなんだから」
「そ、それくらい授業で習いました!ただ、いくら魔力が報酬とはいえ、ほいほい呼び出される精霊がかわいそうだなーって思っただけです」
「呼び出す精霊はあらかじめ「契約」しないとだめなの。悪い言い方をすれば持ち駒になってくれるって言う約束なんだけど、信頼関係が成立していないと契約すらできないの。だからうちの授業はほとんど精霊との契約ばっかり。できないと単位が取れないし」
これも全コース共通の授業で習ってるはずなんだけどな、とアリーシャは思ったが、それは口に出さなかった。
「ま、理論上は魔力のやり取りだけだから、その気になれば魔族みたいなのとも契約はできるとは思うけどね。普段は封印しておいて、いざって時に呼び出すって感じで」
「先輩だったらやりかねませんね」
「あはは、ないない。あくまで理論上の話だから。さーてと、今週の占いは、と」
アリーシャは、再び雑誌を開いて該当する星座の欄を見た。
『今週の射手座……大きな転機が訪れるとき。提案は素直に受け入れるが吉。むしろ受け入れないと取り返しの付かないことになる』
やがて空は暗くなってゆき、白く光る月が昇る。約束の時間より15分早く、ジャナルは学校の正門にやってきた。門のすぐそばにある受付所にいる夜勤の警備員に昼間に学生課でもらった夜間用登校許可書を見せ、校門を開けてもらって中に入る。
警備員がものすごくこっちを小馬鹿にしたような態度だったが、ジャナルは気にしないことにした。
「そういや地下の訓練場ってあんまり行った事ないんだよなあ」
などとつぶやきながら地下への階段を下りる。妙に長い階段を降り、薄暗い廊下を突き進み、突き当たりにある大きな扉を開けると広い空間が飛び込んできた。
試験会場である多目的訓練場は、古代の闘技場のように広い円形の広場を階段状の観客席がぐるりと取り囲むような場所だ。遥か高い位置に、巨大な照明(魔術で稼働)がぎらぎら輝いている。
が、よく見ると訓練場の壁や地面には薄っすらとヒビのようなものがいくつもいくつも入っているのが分かる。
これ、全部バッキリいったら生き埋めになるんじゃ……という不安がジャナルの脳内に一瞬だけよぎったが、まあ学校の施設から大丈夫だろう。と考え直した。
「ようこそ。と言うのも変ですが、夜にわざわざご苦労様です」
ジャナルの位置から真正面の観客席に、学園教育総会会長・ニーデルディアがいた。すぐ横に校長と担任のトムがいる。
「これから試験の説明をします。
言われるままにジャナルはパイロットマフラーからバッジを外して念を込める。
そしてさっきフォードの前でして見たのと同様に、それは黒い刃の剣へと変形する。
ジャナルの愛剣・ジークフリード初期型だ。
「ルールは簡単。これから私が召喚する魔物を倒すだけです。試験官は私と、グラビット校長。それから剣術コース8年担当のテリートスの3人です」
横に目をやると、校長もトムも心配そうな目でこっちを見ている。このふたりはジャナルの成績の良し悪しで何らかの処罰が待っている。いわゆる「人質」のようなものだ。
「それから注意事項を言っておきます。まあ、たった一つですけどね」
ニーデルディアが片手をかざすと、訓練場の床に怪しげな紋様が浮かび上がった。紋様は円を描き、その中央から巨大な黒い腕が生えた。
「マジ?」
現れた魔物はジャナルの背丈の数倍はある巨大な筋肉ダルマを思わせるような怪物、通称・ブラッキートロル。
「全力で叩きのめさないと死にますよ?」
『笑わずにはいられなかった 無力な自分の姿を
涙を止めたくて走った ただひたすらに』
カルネージでは歌姫の衣装に身を包んだリフィが歌を披露していた。
歌手志望の彼女は時々店の小さなステージに上がって歌を歌う。今日は初老の客からリクエストが来たので、昔流行ったヒットソングを歌っていた。
『何度その足を踏みとどめ 躊躇したせいで失った
愛と美に包まれた日々を 遠き思い出の日々を』
「どうしてそれを早く言わなかった!」
「私だって確信を持ってそうと言えるわけじゃないし、なんでああなったのか分からない。今だって言うべきかどうか迷ってるんだから」
店の片隅でもめているのはフォードとアリーシャだった。
フォードは、アリーシャから先日の三人組との一件を聞き出していた。彼が一番反応したのは、他でもなくジャナルが超人的力を発揮した事についてである。
「それにそういうことはフォードだって同じじゃない。ねえ、一体何を知ってるの? それにニーデルディア総会長って何者なの? 何かあったわけ?」
「ほぼ同じ質問をジャナルにもされた」
そしてフォードは黙り込んだ。だが、対称的にアリーシャの苛立ちのボルテージは上がる一方だ。
「なんでそこで黙る! とにかくさっさと話して!」
またもジャナルと同じ事を言われ、フォードは少し考えた。
『もしもその思いを紡いで この世界を変えられるなら
今その言葉を歌にして 唇に乗せて広めよう』
「動かずに後悔した日々を取り戻すために、失った誇りと真実を取り戻すために、私は今ここで戦いを誓おう、か」
「何、それ?」
「今の歌の歌詞だ。結構有名な歌だから覚えている」
フォードは深呼吸を一つした。
「実のところ俺の知っていることはお前らと大差ない。知っていることと言えばニーデルディアが凶悪に胡散臭い上、何かとてつもないことを企んでいるという事くらいだ」
「企んでいるって何を?」
「それが分からないからどうしようもないんだ。だが、ジャナルのことといい、実際奴に関わった人間は厄介ごとに巻き込まれるのがオチだ。何を考えてるか分からないが、奴の目的はお前の言うジャナルの「力」だろうな。自分にとって使えると思うものはどんどん自分のものにしようとしているんだ、あいつは。……俺も危うくそうなるところだった」
今度はアリーシャが黙り込む番だった。頭の中でそれらを整理するためである。
だが、それよりも先にフォードの決断の方が早かった。
「リスクは大きい。だがやるしかない、か」
「フォード?」
「直接、ニーデルディアを止める。あいつが何を企んでいるかは知った事じゃないが、このままだとジャナルが危ない」
「どうしました? もう終わりですか?」
ニーデルディアの楽しそうな声が上から聞こえてくる。が、ジャナルは苦情を考える余裕さえなかった。
目の前の化物は図体がでかいくせに動きがやたら素早い。繰り出してくる拳は強い風圧となって、それすらも武器になる。ジャナルはそれに耐えるか避けるしか行動が取れないままでいた。
それに、たとえ攻撃できたとしても相手は自分よりはるかに大きい筋肉ダルマだ。たとえ心臓を一突きにしても簡単に倒れてくれそうもない。
その上ニーデルディアは敵の重量を全く考慮していなかったのか、それともわざとなのか、ブラッキートロルが暴れるたびに床面がボコボコになっていく。つまりどんどん足場も悪くなっていくのである。
一言で片づけると、勝ち目などこれっぽっちもないのは明白だった。
「総会長。やはり危険すぎます。今すぐやめさせないと!」
観客席にいるトムが抗議の声を上げた。
「いいえ。やめさせません。試験ですから」
「しかし!」
「よせ、トム。総会長が生徒を見殺しにする真似などするはずがない」
校長がなおも食ってかかるトムを押さえた。
「まあ、本当に死にそうになったら止めますよ。それに」
バシュッという音がしてブラッキートロルの悲鳴が上がる。
「なかなかやりますね。彼は」
試験官たちが下の方を見ると、一瞬の隙を突いて巨大な怪物の太い腕に傷を付けることに成功したジャナルの姿が見えた。
「ちっ」
ジークフリードの力をもってしても腕に傷を付けた程度か、とジャナルは舌打ちした。
本当なら腕を切り落として怪力を封じるつもりだったのだ。
ジークフリードは相手の力量に比例して斬れ味を増す剣だが、斬れ味だけではこの化物を倒す事はできない。
「げっ!」
次の一手を悩んでいる隙に、ジャナルの体勢が整う前にブラッキートロルの拳が彼に迫る。
「ジャナルッ!」
トムの叫びもむなしく、ジャナルの身体は宙を舞った。
「……フォード」
「何か言いたげだな」
「言いたげも何も、なんで店の倉庫と学校の裏庭がつながっているわけ?」
アリーシャとフォードは学園の裏庭にいた。すぐ足元には芝生でカムフラージュされた正方形のフタが同じ大きさの穴の上にずれて置かれている。
「夜の学校は侵入者よけに結界が張ってあるからな。ま、こんな奇想天外な秘密通路を作ったのは俺じゃないけど、まさか活用する日が来るとは思ってもなかった。……勝手に作られた挙句撤去しようにも大規模過ぎて手に負えないからずっと放置するしかなかった」
なら誰が作ったんだ、とアリーシャは心の中でつっこんだ。どう考えてもこういう事態を予期していたなんて不自然すぎるだろう。
「でもジャナルはどこに居るんだろう? 会場の場所、聞いて置けばよかった」
「どこか明かりのついている所を手分けして探すしかないな」
「分かった。じゃ、30分後にここに集合ね」
そう言うや否やアリーシャは夜の闇の中に走っていった。
残されたフォードはしばらく辺りを見回したあと、裏庭の片隅にある、崩れかけた小さな像を見つけた。
「あの時のままだ。全てはここから、か」
「がは……ごほっ……」
床に叩きつけられ、ジャナルは咳き込んだ。
だが、立ち止まっている場合ではない。気力を振り絞ってフラフラする身体に鞭打って敵との距離を置く。
「総会長! 止めましょう、本当に死んでしまいます!」
「大丈夫。本当の勝負はこれからですよ」
ニーデルディアが白々しく言い放つ。
「くっ」
トムは再びジャナルの方を見やった。
確かにジャナルは圧倒的に不利な状況であるにもかかわらず、まだ戦っている。元々が負けず嫌いな性格だから闘争心も全くと言っていいほど失われていない。
幸い、先ほどの浴びせた一撃で、相手の動きが多少落ちてきたので攻撃の回避に余裕ができた。だが、ジャナルの方もダメージを負っているので「あくまでほんの少し」だが。
「たあああああ!」
ジャナルは剣を下段に持ち替え、ブラッキートロルに向かって突進する。飛んでくる拳を避け相手の懐に入り込むことに成功した。
「せいりゃあああっ!」
鮮やかにわき腹から喉笛までを切り裂く一撃が決まった。
これならもう動けない。そう確信したときだった。
残った力を振り絞って、怪物がジャナルの身体をわしづかみにしたのだ。
「嘘……だ、ろ!」
そのままぐいぐいと締め付けられ、ジャナルは息すらできない。全身の骨がミシミシと音を立てる。
「授業で習いませんでしたか? 勝利を確信したときが一番危険な時。しくじりましたねえ、ジャナル・キャレス君」
「総会長!」
「トム・テリートス教諭。これは戦いです。私情を挟む余地はないのですよ」
「ですがあなたはさっき本当に死にそうになったら止めるといったじゃないですか!」
「ええ、でもまだ死んでませんよね?」
今にも掴みかかりそうなトムに対して、ニーデルディアはあくまで冷静、かつ冷酷だ。目の前で生徒が命の危険にさらされているというのに、何事もないように涼やかな表情である。
だが、トムにしてみればジャナルは大切な教え子の一人だ。死なせたくない。そうならないように今まで鍛え上げてきたのだ。
「総会長……あなたは生徒を何だと思っているのですか!」
すると、ニーデルディアは数秒沈黙した後、こう答えた。
「
「え?」
「彼もあなたも、全ては私が動かすための駒なのですよ」
ゴキッゴキッ
明らかに嫌な音がした。
「あ……が……」
意識がどんどん遠くなっていく。もう死を確信するほかなかった。
というよりも、それ以外のことを考えることすらできなかった。
(力を、覚醒させなさい。)
薄れ行く意識の中、突如頭の中でその「声」が聞こえてきた。
(死にたくなければ、力を解放しなさい。)
これはあの時……そう、三人組を倒したときに聞こえてきたあの声だ。
覚醒しろ。覚醒しろ。覚醒しろ。
「その力、『アドヴァンスロード』を見せなさい。このニーデルディアに!」
その言葉がまるで起爆装置のスイッチのように、次の瞬間ブラッキートロルの腕が勢いよく弾け飛んだ。肉片は粉々に飛び散り、怪物はそのまま地面に倒れ伏せて動かなくなった。
ジャナルの方はすでに意識はなく、虫の息だ。
トムと校長はすぐさま倒れているジャナルに駆け寄った。動かさないように慎重に具合を見る。
全身の骨をこれでもかというぐらいに折られ、手の施しようがない。いくら骨折程度なら一日で治るという治癒術を施したとしても、ここまでやられると限度がある。
「やはり、こんなことさせるべきではなかった!」
「待て、トム! ジャナルの身体が!」
「え……?」
二人は目を見開いた。
信じられないことに、ジャナルの傷口が常人とは思えない速さでどんどん塞がっていく。骨はあっという間に再生し、肌の血色もよくなっていく。
どれほどの治癒術のエキスパートでも死の寸前からあっという間に元通りの身体に回復させることなんて不可能だ。
「総会長!」
トムが叫んだ。その声は震えていた。
「これは一体どういうことなん」
ニーデルディアに向けられた言葉が終わらないうちに、トムと校長はほぼ同時に崩れ落ちるようにして気を失った。
二人が完全に動かなくなったのを確認すると、ニーデルディアは気絶しているジャナルの前でしゃがんで彼の身体に手をかざす。触れてもいないのに、ジャナルの身体はそれに抵抗するかのようにビクンと大きく震えた。
それを見ながらニーデルディアは冷たく微笑む。
なおもその身体はビクンビクンと動くが、それはジャナルの意思でもなければニーデルディアの意思でもない。だが、ニーデルディアはそれが誰の意思なのかは理解していた。
「無駄ですよ。あなたの「力」はこの少年の身体に封じ込めました。あなたが錬金科の問題児をその「力」でねじ伏せた時に。皮肉にもあなたがこの少年の身体に乗り移ってから初めて「力」を解放した時に、ね」
ニーデルディアは、目を細めて笑う。
そして、手のひらサイズの方位磁石のようなものを取り出すと針の動きをじっと見つめる。
「……ふむ、あわよくばここで目的を果たそうかとも思いましたが、さすがにそこまでの力は戻ってはない、か」
方位磁石をしまうと、ニーデルディアは倒れているジャナルの方にもう一度視線を向ける。
「楽しみにしてますよ。あなたが彼の身体を食い破るほどの力を取り戻す時を。その時に私の望みは叶うのだから」
最後に大きく脈打ち、ジャナルの身体は動かなくなった。傍から見るとただ眠っているように見える。
「さてと、ここまではシナリオ通り。……いい加減出てきてはどうです? そこにいるのでしょう、フォード・アンセム」
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