2-3 ~VS店長代理~
完全にしくじった。人ごときに私の気配に気付かれるとは。
こっちは目的達成までのほんの少しの間だけ身体にとり憑つきたいだけだというのに。どこまでケチ臭い連中なんだ、人間というものは。
魔族の女は学園の上空でふわふわと浮きながら、苛立っていた。そうしている間にも、ゆっくりだが、彼女の身体は透けていく。
ここ数日で29人分。彼女の肉体が活動するために摂取した人間の魔力の量だ。内、半分くらいの人間は魔力欠乏症によって倒れてしまっている。
彼女にしてみれば数人の人間から少しずつ魔力を摂ったつもりでいたので、ぶっ倒れさせるつもりは全くなかったのだが、やはり飢えには勝てないのらしい。ものすごく無責任な言い方をすれば、気づいたらこうなっていた。
貧血と同等の症状なので命に別状はないが、それにしても人間は戦争が終わってから随分と貧弱になった、というのが彼女の感想である。
(しかし、このまま通りすがりの人間から魔力をむさぼっていては、いい加減「奴」の方が私の存在に気付くだろう。それだけはあってはならない)
そう思って、魔族の女は誰か特定の人間の肉体にとり憑き、肉体を実体化させる分の魔力を節約しようと考えたのだが、結果は失敗。ディルフにとり憑こうとしたところを、ヨハンに阻止された。失敗した以上、もう一度というわけには行かないだろう。相手もそれに警戒してくるはずだ。
(まあ、元々とり憑くこと自体、周囲に感づかれやすいリスキーな手段だったからな。それ以外を考えなければ)
一番楽なパターンは秘密裏に魔力を供給してくれるパトロンを手に入れることなのだがな、と彼女は思ったが、現実問題どこの世界に魔族に協力する人間がいるというのだ。ヨハンではないが、魔族は人類にとっての天敵である。何十年も激しい戦争をしてきた者同士だし、戦後教育だって魔族を見たら始末しろ、といわんばかりの事を人類は叩き込まれてきたのだから。
(いかん、実体が維持できないくらい魔力が減ってきた)
もはや、目的が自分の健康管理という方向へずれ始めている事に気付いて、魔族の女は忌々しげに地上へ降りていった。
「お客さん、お客さんってば!」
耳元で可愛らしい少女の声がする。身体を揺さぶられているような気がするが、瞼が重すぎてそれに応じる気分になれない。
「お客さぁん。……ジャナルさーん、起きてくださいよお」
一層声が大きくなったが、起きる気配はない。
「ジャナルさーん、他のお客さんの迷惑になりますからぁ」
「どけ。そんなのじゃ奴は起きん」
今度は男の声が下かと思うと、いきなり襟首を掴まれ、そのまま後ろへ引っ張られた。その反動で身体はバランスを崩し、後ろの床に叩きつけられる。さすがにジャナルは目が覚めた。
ひっくり返った視界に映るのは、心配そうに顔を覗き込む黒髪のおかっぱの少女と、不機嫌そうにこっちを見下ろす筋肉質の黒髪の青年。二人ともおそろいのエプロンを着用している。
「いつまで寝ている気だ、馬鹿者」
ようやくジャナルは今まで行きつけの喫茶店「カルネージ」の店内カウンターでずっと眠っていたことを思い出した。
「……今何時?」
「もうすぐ4時半。ランチタイムが終わる頃にやってきてはずっと居座りやがって」
「もうお兄ちゃん、ジャナルさんはお客さんなんだからそんな言い方しなくたってもいいじゃない」
「注文もせず店内で眠りこけてる奴は客じゃない。俺の営業方針だ」
筋肉質の青年が「カルネージ」の店長代理であるフォード・アンセム。おかっぱの少女が妹のリフィ・アンセム。彼女はまだ学生だが、授業が早く終わった日には店の手伝いをしている。
「大体寮に帰ったって一人じゃ暇だしさ、これくらい見逃してくれよ」
言うまでもなくちっとも良くない。彼はまだ謹慎中であることには変わらないのだから。
「でもジャナルさん、退学になったら寮にも居られなくなるんでしょう? ご両親もいないし、そうなったら大変なんじゃないの?」
「ほっときゃいいのよ。野宿して死ぬような奴じゃないし」
「きゃっ」
リフィが驚いて振り返るとそこには丸めた雑誌を片手に持った長いポニーテールの少女が立っていた。
アリーシャ・ディスラプト。魔術科召喚魔術コース8年生で、ジャナルとは幼馴染である。
「で、謹慎中のあんたがなんでこんなところに居るわけ?」
「いいじゃないですか。ジャナルさんが何をしようとあなたには関係ないでしょう?」
ジャナルの代わりにリフィが答える。先程の可愛らしい態度とは一転、心なしか口調に棘がある。だが、それが露骨に出ないようリフィはすぐに元の口調で「注文、何にします?」と言い直した。
「じゃあレモンティー1つ。頼めるかな、リフィーちゃん」
「あたしの名前はリフィーじゃなくてリフィ。なんで語尾を伸ばすかなあ」
どういうわけかリフィはアリーシャのことを良く思ってないらしい。ちなみにアリーシャ自身はリフィを嫌ってはいないが、さすがに向こうがああいう態度を取っていると、こっちもどうしたらいいのか分からない状態だった。
「でさ、ジャナル。イオから聞いたけど、あんた、また追試を受けるんだって?」
「まーな。なんか総会の会議で決まったらしいぜ。今夜なんだけど」
「の割には全然緊張感がないじゃない」
「平気平気。通告書を見ると実技試験みたいだし、ペーパーよりよっぱど希望があるってことだ」
「元々学科試験で追試だったのに実技試験? 普通なら落第だってのにあの陰険な教育総会様にしては生温い処遇だわ」
「心当たりがないってわけじゃないけど」
ジャナルが大あくびをしながら言った。
「総会長のニーデルディア。なんかこっちへ来てから追試の前日までやたら顔合わせては変な話ばっかりしてた様な気がする。あのカニスの剣を盗った連中の事件の時だって」
「もしかしてあんたがもの凄い「力」であいつらをねじ伏せたあのこと? まさか」
「俺だってなんであんなことになったのかわからねぇよ。けど考えられるのは……」
言いかけてはっと顔を上げるとフォードがやたら険しい顔でこっちを睨んでいた。
しまった。フォードの前でニーデルディアの話は禁句だった。
理由は分からないが、ニーデルディアの話をするとフォードは嫌そうな顔をする。どうやら過去に何かあったらしいが、詮索しても話してくれそうになかった。
「ジャナル」
「な、何だよ……うわっ!」
「いいから来いっ!」
フォードはジャナルの襟首を掴むと、そのままずるずると引きずっていく。
ジャナルは決して小柄な体型ではないのだが、筋肉質で大柄なフォードの力には逆らうことが出来なかった。
というより、下手に逆らおうとするとそのまま首の骨がボキリと折れてしまいそうだった。
「痛い、痛いって!」
「やかましい! 今日こそツケを払ってもらうぞ!」
もちろんこれは周囲の客に対する演技である。軽蔑と同情の目が集まる中、ジャナルは店内の奥へと引きずられていくのであった。
ジャナルが連れて行かれたのは店内の今はほとんど使われていない狭い物置部屋だった。
「いってーな! 何もこんな所に連れて来なくたっていいだろ!」
「今日の追試には行くな」
「はあ? なんでだよ?」
いきなり理不尽な要求を突きつけるフォードにジャナルの怒りはますますヒートアップする一方だ。
「ニーデルディアには近づくな。あいつはヤバい」
「ただ追試受けるだけだろ!」
「だが、あいつが関わってきてるんだろう?」
フォードは射抜くような鋭い目でジャナルを睨みつけた。それが本気であることはジャナルにも理解できた。
「大体お前の言う総会長って何者なんだよ? そりゃ見た目男か女かも分からないし、意味不明なことを言い出すような人間だからお前の言うことを信じないわけじゃないけど、知ってることを話してくれないとどうしようもないだろ?」
フォードからの返事は、ない。
「なあ、フォード。お前の言うことはそれほど重要な秘密なのか? 昔、何があったのかは知らないけど、このまま話してくれないのだったら俺もお前のことは信用しない。それから追試には出る、退学なんてごめんだからな」
それでもフォードは黙ったままだった。
「……はい、決定。じゃ、俺は行くぞ」
一瞬だけ非難めいた目でフォードを睨み返すと、ジャナルはそのまま部屋を出て行こうとした。
「待て、ジャナル!」
ジャナルがその声に振り向いたとたん、フォードの拳が飛んだ。
寸前のところをかわし、拳はすぐそばの壁を叩く。
「うわ! なんでそうなる!?」
やはりフォードからの返事はない。代わりに間を入れずに再び拳がとんでくる。ジャナルは何が何だかわからなかった。少なくとも普段のフォードならこんな非常識的で理不尽なことを仕掛けてこない。
ジャナルは横にかわすとすばやく身に付けているパイロットマフラーについている三角形のバッジを手に取った。分校の名前である「デルタ」を象ったバッジで、中央に赤い三角形の石が埋め込まれている。学校から支給された校章で、持ち主が念じると各々の武器へと変形する。通称・
「起動・ジークフリード!」
0コンマ1秒もせぬうちにジャナルの手の中にあったバッジは、黒い片刃の剣に変形する。剣先はフォードの喉笛の方を向き、距離数センチの場所で止まっている。こうなってしまえばさすがのフォードも身動きが取れない。
「やっぱりお前らしくもない。言っておくけど俺、フォード相手には油断はしない」
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