1-2 ~嗤う者と具現武器~
最悪だ。
俺って不幸な男だ。
どんよりした気分で戦士科の校舎に戻ってきたジャナルはそのまま教室には戻らず、誰もいない廊下でぼんやりしていた。
追試に該当する教科は全部で6つ。明後日に4つ、その翌日に2つ。元々ない知識に加えて時間もない。しかもよりによって明後日の方が苦手な教科が集中していた。
自業自得と言えばそれまでだが、心情的にそれで納得できるかとなると話は別である。
「大体数学とか歴史なんて何の役に立つって言うんだ」
多くの学生が思っていることを呟きながら窓縁に腕をかけ、何となしに外を眺める。正面にある医務棟(戦いを学ぶための教育という名目上、常日頃生傷が絶えない学園なので、専用の建物がある)を挟んだ向こう側にあるグラウンドでは下級生達が球技を楽しんでいたり、修行熱心な生徒は昼錬に励んでいた。
「大体、無理! やる気すら出ない! つうか、剣の腕さえあればいいじゃんか、世の中!」
今度は空を眺める。大小まばらな雲がぷかぷか浮いているのをなんとなく数えながら、ジャナルはこの空とどこかで繋がっている遥か異国の地で旅の剣士をやっている将来の自分を思い浮かべていた。
卒業後は剣一本を手に、さまざまな国をあてもなく旅をする冒険者。
この将来性も何もない夢こそがジャナルの憧れであり、理想であった。
だが現実はというと、旅に出るどころか役に立つのかどうか分からない知識を無理やり叩き込むことを強要され、それができなければ退学処分という危機にさらされている。義務教育なのに退学というのは、すなわち「生きるための術を学ぶのに相応しくない者」という意味を表わす。誰だってそんな烙印は押されたくない。
それにジャナルは、勉強は嫌いだが学校は好きであった。もっと剣術の腕を磨きたいし、それにここにはたくさんの仲間がいる。いつかここを巣立っていく日が来ようとも、今それを手放したくはなかった。
「とは言え、何とかしないとなぁ」
悩んでいる暇があったら勉強しろと言いたくなるが、気分が乗らない。気分が乗らないからますます落ち込んでくる。
「とりあえず宿題は後回しだな。最悪誰かに見せてもらえば、……っ!」
ふいに、ジャナルの顔つきが変わった。ただならぬ悪寒を感じ、周囲に神経を張り巡らせる。
(何か、いる!)
悪寒は殺気に似た空気へと変わった。呼吸を殺し、右手を自分のしているパイロットマフラーについている校章バッジを外す。もはや退学リーチのかかった劣等生の姿ではない。
(たちの悪い妖魔でも入り込んだのか? つーか、周り誰もいないのかよ!)
バッジを握りなおす。後方約12メートル。速度は遅いが確実にこっちを狙っている、ならばこちらの攻撃範囲に入ったと同時に先制ぶちかましてやる。と、ジャナルは素早く戦いのプランを立てた。
(5,4,3)
右手に持ったバッジが淡い光を放つ。
(2,1)
右手を振りかざし、勢いよく振り返る。
「起動・ジークフリード!」
振り下ろした右手には黒光りする片刃の剣が握られていた。
バッジから剣へと一瞬にして変形する武器は、ジャナルの背中を狙っていた殺意の塊をものの見事に一刀両断にし……なかった。
「ってあれ?」
自分が振った刃から数センチ先にいたのは、妖魔でもなんでもない、端正な顔立ちをした人物だった。
「君があと一秒剣を振るのがズレてたら私は真っ二つにされてましたね」
「あ、あんた、誰?」
小さな飾りのついた帽子に、流れるような黒髪、長いローブに腰まである無地のポンチョのようなマントというシンプルな服装だが、なぜかひきつけられる、そんな不思議な雰囲気の人物だった。
「初対面、それも目上の人間に「あんた」はないでしょう」
「え? いや、はい。えーと、どちら様で?」
ジャナルの疑問はこの人物が何者か、である前に、この人物が男なのか女なのかというものに変わっていた。端正な外見が限りなく中性的に見える上に、体つきもローブを羽織っているせいで判別できない。声も男にしては高く、女にしては低い。世にはカーラのような男勝りすぎて男にしか見えない女もいるが、これほど性別が分かりにくい相手は初めてだった。
「まず先に「すみません」と謝るのが先でしょう。それに授業以外で校舎内での武器の使用は禁止されているんですけどねえ。私、敵ではないですよ? こういう者です」
渡された名刺を片手で受け取る。
国家認定 学園教育総会 総会長 N・C・ニーデルディア
ジャナルの手から剣がこぼれ落ちる。床に落ちた剣はワンバウンドして元の校章バッジに戻った。
「ええええええええ?」
学園教育総会 総会長。
すなわち目の前にいるのは国内全ての学園において一番偉い人間。
「おや、軽々しく手放してはいけませんね。
ニーデルディア総会長はバッジを拾い上げると、それをまじまじと眺める。
学校名のデルタを意味する三角形の赤い石が埋め込まれた手のひらサイズの金属のバッジだ。
この国の人々は、いつ魔物などの危険と遭遇してもいいように、常に武器を携帯していた。
しかし、武器というのはかさばる上に重い。その問題点に着眼したとある錬金術師と召喚術師が共同開発したのが
一言で言うならば必要な時だけ武器を呼び出すことができる媒体である。ジャナル達学生はこの媒体を校章バッジとして持ち歩いているが、それ以外にも指輪や腕輪といった様々な装飾品をかたどったタイプのものがあり、いまや生活必需品として浸透している代物であった。
「しかし、あなたの武器はジークフリードですか。意外と言うか、何と言うか」
「そ、そうですか? 俺的には結構かっこいいと思ってるんですけど」
「まあ、見た目はそうかもしれませんが、これ、チキンが使うような武器ですよ?」
ニーデルディアは苦笑しながらバッジをジャナルに返した。
「ま、危険察知能力を試してみましたが、とりあえず合格といったところでしょう。追試がんばってくださいね、ジャナル・キャレス君」
「えっ、何で俺の名を?」
問い返したときには、ニーデルディアはすでに歩き出していた。人をからかうような鼻歌を歌いながら。
いや、からかうような、ではない。最初からからかわれていたのだ。ジャナルがそのことに気づいたのはニーデルディアが視界からいなくなってから10秒後である。
夕方。
もう、何だったの、あれは。
腰まである長いポニーテールが特徴的な少女は、職員室や学生課のある校舎を出るとガツガツと大股で歩き出す。
学園教育総会のお偉いさんの「生徒の声に耳を傾けてみたい」という面倒くさい要望により、ランダム(建前は。真相は不明)で選ばれた生徒が一人一人面談させられるというとばっちりを食らっていた。
彼女、アリーシャ・ディスラプトもそのとばっちりを受けた一人で、しかも放課後に帰る準備をしていた時に校内放送が流れたのである。
『魔術科召喚術コース8年生のアリーシャ・ディスラプトさん。個人面談を行いますので至急、面談室までお願いします。繰り返します……』
放送機器の性能の問題もあるだろうが、男だか女だか判別しづらい声に呼び出されて、行ってみるとその声の主は見た目も男か女かわからない人物だった。
N・C・ニーデルディア
学園教育総会の長という、かの人物が待ち受けていたのである。思い返すだけでも酷いドッキリだ。
面談内容は学園生活の様子や志望進路など極めて普通の内容のはずだったのだが、総会長の口調はどこか人をからかっているというか、向こうから呼び出して質問している割にはこちらの話にはあまり興味がなさそうな感じがする。
そして隙あらば大戦の歴史やらこの地方都市の由来や地理などの雑学をねじ込んでくる。おまけに話が長い。10分ほどで終わると思っていたのに、倍くらいの時間を取られて終わる頃にはアリーシャの気分は完全に萎えていた。ただの長話に付き合わされた、そんな感想しかわいてこない。
仲の良いクラスメイトと一緒に帰ろうと思っていたのだが、時間が時間なだけにみんなすでに下校しているだろう。実際、学園の敷地内に生徒はあまり残っていないようだった。
そりゃ今日みたいな日にはさっさと帰りたいよね、とアリーシャはため息を一つつくと校門に向かって歩き出す。
朝登校した時よりも妙に奇麗に掃除されている校門をくぐると、少し広い通りに出る。
学園前にある行きつけの喫茶店にお茶してから帰ろうかとも思ったが、一人で行くのもちょっとなあ、と思い直してそのまま歩いて自宅方面の裏道に入る。そのまま曲がり角に入ったところで何かが足に当たった。
「痛っ」
ものすごく迷惑そうな男の声に、アリーシャは反射的に「すみません」と謝罪するが、すぐに顔をしかめる。
そりゃあぶつかったのがいかにもガラの悪そうな容姿の男が曲がったところでヤンキー座りしていたんだから、こんな軽い事故が起きるのも何ら不思議ではない。
「あーあー、今すっげーイヤそうな顔しただろ?」
男はふらりと立ち上がるとアリーシャの方をにらみつける。
男には二人の連れがいた。やはり二人ともガラが悪そうな見た目。校章バッジが服についているので、一応は同じ学生であることがわかる。状況的には男三人に対してこっちは女子一人。まとわりつく空気はとことん不穏かつ険悪だ。
「ちょ、ちょっと! ……きゃっ!」
男の一人がアリーシャの腕をつかみ、裏道に強引に引っ張りこんで壁に投げるかのように彼女の身体を叩き付ける。
「痛っ! ちょ、いきなり何す」
アリーシャが抗議の声を上げる前に喉元を掴まれ、壁に押さえつけられる。
必死で逃れようとするものの、前は男三人に囲まれ、後ろは壁。逃げ場はない。
「俺ら今、学校のお偉いさんに説教食らって、超ストレス溜まってんだよねー」
向かって右の男の一人がナイフ(
言ってることもやってることも、もはやめちゃくちゃだ。
この街は外からの魔獣は自警団が守ってくれるが、街の中である人間同士のいざこざに対しては若干甘いところがあるというか、正直そこまではフォローしきれていないという現状があった。だからたまにこんなガラの悪い連中がいたりする。
ただし「たまに」だ。大体の住民は普通に他人に迷惑をかけずに生活しているし、こんな奴らに絡まれること自体そうそうあるもんじゃない。
下品な笑いに、勝利を確信したような見下した目。もうこいつらの目的が嫌というほどすぐに理解できる。弱い者をいたぶることに快感を覚え、それに躊躇をしないクズのような人間。
絶体絶命の危機。
そう認識した途端、アリーシャの顔に広がるのは恐怖の感情……ではなかった。
そう、敵は潰さなければ、自分が潰される。
「だから ストレス解消にちょっとくらい付き合ったって……うぐぉ!」
アリーシャを抑えていた男の身体がくの字になって崩れ落ちた。
「知ったことか、ボケナス連中ぅ!」
普通ならば恐怖で動けなくなっても不思議ではない状況だが、アリーシャは何のためらいもなく相手に鋭い蹴りを入れていた。拘束が緩んだ隙をついて、自分の着ている上着に付けている校章バッジを握りしめると、具現武器を起動させる。
「起動・ピースオブフォース!」
一瞬にして、胸の高さまである魔術師用の杖がアリーシャの手中に現れたかと思うと、彼女はそれを勢いよくぶん回して二人目の男をなぎ倒す。ついでに三人目の男の胴にも一撃入れた。
「て、てめえ、
「ナイフ片手に三人がかりで襲おうとしたくせに、どの口が言うか!」
アリーシャの顔からは先ほどまでの年相応の少女らしい表情は消え、変わりに怒気と鬼気を醸し出している。口調もかなり乱暴だ。本格的な棒術の構えをとりながら、ぎらついた目で三人組をにらみつける。
ちなみに断っておくが、魔術師用の杖はあくまでも魔力を安定させたり増幅させたりするための媒体であって、本来は打撃武器として使うものではない。
「この女!」
逆上した男の一人がアリーシャにつかみかかろうとする。が、相手がごく普通の体型の少女とはいえ、リーチからして明らかに男のほうが不利である。冷静に考えると分かるのだが、すでに頭に血が上っている男達には「腕力では俺の方が勝っている」ということしか頭になく、その時点で敗北していることにも気づいてすらいなかった。
ほどなくして、彼女の足元には顔をぼこぼこにされた男共の屍(※死んでない)が転がった。が、暴走はまだ止まらない。
「二度とその汚い手が動かないようにしてやるわぁ!」
呪文詠唱に入る。本気で男達を消そうとしていた。
「食らえ! 竜王召か」
「ちょっと待ったー!」
周囲に馬鹿でかい声が響いた。その声はアリーシャのものでもチンピラどものものでもない。
反射的にアリーシャはそちらの方へ顔を向ける。
「……なんだ、ジャナルか。どうしたの?」
「なんだ、じゃない! ってゆーかこれだけ暴れて何事もありませんでしたって顔すんな!」
このキレ者(※ブチ切れる的な意味での)召喚術師の暴走を止めたのは、あの問題児であり落第寸前劣等生剣士である、ジャナルであった。奇跡的偶然である。
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