2章 機械探偵ホームズ(後編)
第6話 倫敦の連続殺人
濃い霧の中にガス燈の灯が浮かんでいる。
緩やかな風に霧が流されるのに合わせ、その光は揺らめいて見えた。
その下に長身の男が立っていた。黒ずくめのその姿は、街灯に照らされているにも関わらず実態の無い影のように見える。幽霊のように頬がこけ、血の気が無い。
男はシルクハットを少し持ち上げ、灯りの点る二階の窓を見上げた。
『ベーカー街221番地B』
建物に取り付けられた金属板に番地が記されている。
「見つけたぞ。シャーロック、……ホームズ」
男は低い声で、ゆっくりと呟いた。
その時、建物の中で二発の銃声が響いた。
☆
「な、何だ。どうしたんだ、ホームズ!」
ワトソンは自分の部屋を飛び出し、共有スペースとなっている居間へ駆け込んだ。
そこには硝煙の匂いが立ちこめていた。
「おい、ホームズ!」
ロッキングチェアに腰掛けたホームズは一瞬間をおいて、首だけを回転させた。
「……ああ、ワトソンくん。どうしたんだ、そんなに慌てて」
いつもと変わらない声で彼は言った。まあ、それ以外の声は聞いた事がないが。
だが、ワトソンは息を呑んだ。
「それは……何だ、ホームズ」
「うん?」
ホームズが伸ばした腕の先。指の先端から白い煙が上がっていた。
「君の手は拳銃になっているのか?」
部屋のもう一つの扉が勢いよく開いた。
階下から駆け上がってきたハドソンさんだった。
「何ですか、今の銃声は!」
このアパートの大家で、現役の女学生のハドソンさんは大声をあげた。
そして部屋の中を見回して、ある事に気付いた。
「あーっ、こんな事をして。逮捕されますよ!」
部屋の壁に掲げた、女王陛下の肖像。
その額が銃弾によって撃ち抜かれていた。
「どうしたんだろう。全く記憶が無いのですが」
ホームズは珍しく困惑した様子で自分の指先を見詰めた。その先端は銃口のように穴が空いていた。
「と、云う事は、撃った記憶もないのか、ホームズ」
ワトソンが問うと、彼は頷いた。
「そうなんだ。ここから銃弾が出るなんて事も、ぼくは今日まで知らなかった」
「わかった、だから手をこっちに向けないでくれ」
ワトソンは逃げるように、ホームズの横に回る。
こうなったら、もう一人の関係者に訊くしかないだろう。
「わ、わたしはそんな事してませんよ。私が造ったのは、ただの……」
このホームズの、実質的な製作者であるはずのハドソンさんは言葉を濁した。
「ただの、何です?」
問い詰めると、彼女は視線を逸らし、唇を固く結んだ。
ワトソンはため息をついた。
☆
やがて
その残忍な手口に市民は戦慄した。
スコットランド・ヤードが犯人に辿り着く事ができないまま、第二の事件が起きた。
同じく、被害者は女性だった。やはり遺体は刃物によって損壊させられていた。
姿無きその犯人を、倫敦市民はこう呼び始めた。
『切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)』と。
被害者の傷口を確認していた若い刑事がそれに気付いた。
「ここに、貫通した穴があります。おそらくは銃弾かと。それに、このサイズは現在流通している弾丸とはサイズが異なります。たぶん、専用に作成された銃から発射されたものと思われます」
彼はサイズの合わない、大きめの背広姿で立ち上がり断言した。
だが、それを相手にする者はいなかった。
倫敦は今日も深い霧に包まれている……。
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