第2話 緋色の研究を開始する
「ところで、探偵とは何なんだ。ホームズ」
私がそう言うと、ホームズはヒュー、と口笛を吹いた。まったく無駄な機能としか思えないが、これもフロリーさんの趣味なのだろうか。
「そうだな。この世界において探偵という職業は存在しないから、ワトソン君が知らないのも無理はない。決して君が無知だという事ではないから安心したまえ」
機械なので無表情なのだが、どこか上からの態度だ。少しイラッとする。
ホームズはそんな私を気に掛ける様子も無く、話を続ける。
「いいかね。ここに一つの帽子がある」
そう言うと、テーブルの上に置いた小汚い帽子を指さした。
「これから何が判ると思うかね」
私はそれを手に取り、裏表を観察した。帽子の
「古い帽子だな、としか……」
ホームズは満足げに頷いた。
私にはこんな帽子より、この機械ホームズの首の構造がどうなっているのか、そっちの方が関心がある。後でフロリーさんに訊いてみようと思う。
「君のは観察ではないな。ただ眺めているだけだ」
観察とはこうするのだ。そう言うとホームズは私から帽子をとりあげた。
ホームズの頭部から機械音が響いた。
右の複眼が奥に引っ込み、替わって望遠鏡のような物が突き出された。
鏡胴が前後してピントを合わせている。
「観察とは、こうするのだ」
呆然としている私を見て、ホームズは親指を立てた。
「この帽子の持ち主はかつて裕福だったが、ここ数年は貧しい生活だな。家には電気もガスもない。普段は家に籠もりがちな小太りの中年男、といった所かな」
ちょっと待て。電気?
「おっと、先走りすぎたな。そこは忘れてくれ」
「あ、ああ。では他はどういう事なのだ」
ホームズは得意げに、ロッキングチェアに腰を下ろして足を組んだ。
「簡単なことだよ、ワトソン君」
その言い方、腹が立つのだが。
「これは今でこそ、ただの古い帽子だがね。もとは結構良いものだよ。素材も上等だから発売当時はいい値段がした筈だ。つまり、これを
ほう、私はこの機械人形を少し見直した。
「さらに、この表のシミは
つまり、ぽっちゃり体型の可能性が高い。
「あとは、この抜け毛だ。白髪が混じっているから、まあ、中年男かな」
証明完了。そう呟いて胸の前で指を組んでいる。
☆
「お食事ですよ」
フロリーさんがドアから顔を出した。
あれっ、とテーブルの上の帽子に目をとめた。
「この帽子、先日のお客さまが忘れて行ったんですね。あとで届けてあげないと」
私はホームズを見た。帽子の持ち主を知ってたんじゃないか。
―――騙された。機械に。
ホームズは素知らぬ顔で立ち上がった。
「では、食事にしよう、ワトソン君」
「おい」
勝手に動いていいのか。
「大丈夫さ。ある程度は自動的に動けることになっているんだ」
食事や睡眠時には自分で定位置に移動するのだという。
「当然だよ。燃料補給とか休憩は大事だからね」
それはそうかもしれないが、やはり釈然としない。
料理はガチョウの丸焼きだった。私を歓迎するために奮発したそうだ。
「でも今日はなぜだか、ガチョウが品薄だったんです」
フロリーさんが不思議そうな顔で、こんがりと焼けた鳥を切り分けていく。
「これが最後の一羽らしくて」
私はモモ肉をほおばった。いい味付けだ。フロリーさんは見掛けによらず料理上手らしい。良かった、下宿の料理が不味かったら救いようが無い。
ホームズは器用にナイフを使い、胴体部分を輪切りにした。そのまま大口を開け、かぶりつく。ボリボリと骨を噛み砕く音が響いた。
「あら、ホームズさん。お行儀が悪いですよ」
嬉しそうにフロリーさんがたしなめる。
私はふと、テーブルに置かれた新聞の記事に目を引かれた。
ある犯罪者の自白内容が書かれている。
なるほど、それはガチョウが品薄になる訳だ。だって……。
「あれ、固いぞ」
ホームズが呟く。その声に私は慌てて振り返った。
「ちょっと待て、ホームズ!」
間に合わなかった。鋭い金属音、というか何かが割れたような音が、何度も続く。
「美味しかったよ、ハドソンさん」
ごくり、とそれを飲み込み、ホームズは言った。
にっこり、と彼女は笑った。自慢の息子を見る母親の笑顔と言ってもいい。まあ、実際はまだ少女なのだが。
だけどフロリーさん、ガチョウを調理するときは内臓は取ろう。
新聞記事の内容はこうだ。
『某伯爵夫人がホテル滞在中に盗難に遭った。犯人は盗んだ宝石を農園のガチョウに呑み込ませて隠したが、誤って出荷されてしまった。宝石を発見した方は警察まで通報するように……』
宝石の発見者には莫大な謝礼が用意されていたらしい。
私は、そっと新聞から目をそらした。
そうだ。ここでは何も起きていないのだ。
☆
「犯罪を捜査するという事は」
ホームズはまた椅子に腰掛け、解説を始めた。
「白い毛糸の束に紛れ込んだ、たった一本の緋色の糸を見つけ出すことさ」
ゆったりとパイプをふかしている。
「君となら、それが出来ると思うんだ。協力してくれるね、ワトソン君」
なるほど、探偵というのは面白そうな仕事だ。
だけどホームズには、緋色の糸を見つけるより、ガチョウのお腹の宝石に気付いて欲しかったけれども。
「わかったよ、ホームズ。よろしく頼む」
私は右手を差し出す。ホームズもそれを強く握り返した。
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