紙とペンと方眼紙
嘉代 椛
第1話
「私、方眼のない紙って嫌いなのよね」
被害者にかけられたブルーシートを捲りながら、先生は唐突にそう言った。肥えた中年男性の死体。その胸からは一本のナイフが生えている。
僕は彼女の意図が分からなかったので「はぁ...」と曖昧に返事を返したのだが、それが良くなかったらしい。先生は死体から僕へと視線をずらした。
「何?あんた、そういうの気にしないタチ?」
「えぇ、特段のこだわりはありませんね」
「あっそ、じゃああんたは探偵には向いてないわね、間違いなく」
またこれだ。僕は首の後ろに手を回した。僕らは探偵だった。正確に言うならば僕はまだ見習いだが...。それでも警察に顔を覚えられる程度には頻繁に殺人現場に足を運んでいた。
彼女は僕の先生にあたる人で、こだわりの強い女性だった。彼女は時折、僕に難癖を吹っ掛けてはこのように批判するのだった。
「どうしてそんな事が言えるんです?ああ、いえ、別に批判してるわけじゃ、ハイ」
彼女の眼力に、僕の声は次第に尻すぼみになってしまった。蛇に睨まれたカエル。そこまで言うと大袈裟だろうが、彼女はその眼力で多くの人間を萎縮させてきた。よく顔を会わせる刑事殿もその一人だ。二回りも下の小娘に圧倒されるベテラン刑事というのも、どうかとは思うが。
「私、文字が汚いのよ」
彼女はそう言った。確かにそうだ、僕は内心で大いに頷く。彼女の文字はミミズがのたうち回るような、ひどいもので、初めて見たとき僕はアレを酔っぱらいの書き走りだと思った。
昔事務所で彼女の年賀状を手伝ったことがあったが、あれも酷いものだった。貰った関係者がなにかの怪文書だと勘違いしてもおかしくない。結局その後は全て僕が代筆をすることになっている。
「でも方眼があれば、なんとなく綺麗になるじゃない?大きさもある程度均等になるじゃない?」
「あー、確かに、そう言われるとそうかもしれません」
「そうでしょう」
彼女は自信たっぷりにそう言った。僕はだからといって彼女の文字の汚さが変わるわけではない。そう思ったが、口に出すのはやめておいた。
「それでこれって殺人にも当てはまると思うのよね、私」
「先生の文字が汚いことがですか」
「馬鹿か」
足首が軽く叩かれる。先生は呆れたように僕を見た。
「紙は殺人の下地になる動機。ペンは人を殺すナイフ。んで、方眼は殺人計画ってことよ」
「...えーと、つまり。方眼の中に汚い文字。要は現場の証拠を当てはめていくと?」
「そゆこと」
分かり辛っ!?思わず口元がひきつる。普通にパズルに当てはめればいいだろ。なんでこの人はわざわざ自分のエピソードに当てはめて説明するんだ。
文句が頭のなかを駆け回り、そしてすぐに沈静化する。悲しいことに僕は先生の自由奔放さにすっかりと慣れてしまっていた。理不尽さといったほうがいいか。
「さて、ちゃちゃっと解決してご飯にしましょうか」
先生はそういってめいっぱい伸びをした。彼女の感性は独特すぎる。しかしそれは思考に、推理に、直感に恐ろしいほどの冴えを与えていた。
彼女に解決できない事件はない。僕の気づかないうちに、彼女は事件を解決してしまう。
僕は彼女の思考が分からないのが悪いとは思わなかった。彼女と僕は違う。彼女の感性と僕の感性が違うのもまた当然のことだった。問題は、僕がまだ自身の力で謎を解き明かせられないこと。
まだまだ見習いだな、とベテラン刑事が僕の肩をポンと叩いた。
紙とペンと方眼紙 嘉代 椛 @aigis107
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